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2006年05月15日 (月) | Edit |
稲盛和夫著「稲盛和夫の哲学」ー人は何のために生きるのかー PHP研究所より (4)


われわれの人生を形成する要素として、
二つのものがあると私は考えています。

まず第一にあげられるのは、
もって生まれた「運命」です。

たとえば、時代を代表する優秀な学者がいるとします。
彼の頭脳が明晰なのは、両親から素晴らしい脳細胞を
遺伝として受け継いだとしても、それだけで優秀な
学者にはなれません。


病気をせずに健康で過ごすこと、
学問に打ち込める環境があること、
恩師や支援してくれる人々にめぐり合うことなど、

さまざまな条件が加わって初めて、
人はその与えられた才能を十二分に
開花させることができます。

つまり、一流の学者という地位を得るかどうかは、
自分の意思や遺伝子の力が及ばない「何か」
ーー「運命」ーーの範疇に属することなのです。

東洋の政治哲学・人物学の権威として知られる
故安岡正篤さんは、「易は宇宙の真理を包含した学問だ」
というようなことをおっしゃっていましたが、

中国では古くから「易」が自然の理(ことわり)として
研究されていました。西洋でも占星術が深く研究され、
膨大な文献が残っています。

いずれも「運命」というものの重みを理解し、
何とかしてそれを知ろうとする人々の
強い願望が生みだしたものでしょう。


この「運命」とは別に、もう一つ、われわれの人生を
形づくる大きな要素があります。それは、
「善根は善果を生み、悪根は悪果を生む」という
「因果応報の法則」です。

「思いのままに結果が現れる」ということを
私は機会あるたびに話していますが、それは思ったこと、
行動したことが原因となって結果が生じるということです。

これが「因果応報の法則」と呼ばれるもので、
「運命」と同時並行的に、われわれの人生を
滔々(とうとう)と流れています。

つまり、われわれの人生をつくっている要素には、
その人がもって生まれた「運命」と、
その人の現世における思いや行動によってつくられる
業(ごう)がなす現象との二つがあるわけです。

表現を換えれば、「運命」と「因果応報の法則」が
まるでDNAの二重らせん構造のように縒(よ)りあって
人生がつくられているのです。


ここで大事なことは「因果応報の法則」が「運命」より
若干強いということです。そのため、われわれはこの
「因果応報の法則」を使うことで、

もって生まれた「運命」をも変えていくことが
できるのです。つまり、善きことを思い、
善きことを行うことによって、
運命の流れをよき方向に変えることができるのです。

これは私が勝手に考えたことではありません。
安岡正篤さんはその著書「運命と立命」のなかで、
「運命は宿命ではなく、変えることができる。

それには因果応報の法則が大事なのだ」
という趣旨のことを述べ、中国の古典から
袁了凡(えんりょうぼん)という人物に関する

話を紹介しています。
この話の大筋は次のようなものです。

袁了凡はもともとの名前を袁学海といい、
代々医術を家業とする家に生まれました。
父を早くに亡くしたため、母の手で育てられ、

彼の母は息子に医者をつがせようと医学を
学ばせていたところ、ある日頬髯(ほおひげ)の
立派な老人が尋ねてきて、こういいました。

「私は雲南で理法(易)をきわめた者です。
袁学海という少年に理法を教えるようにという
天命が下ったのでやってきました。

お母さんはこの子を医者にしようとお考えかも
しれませんが、彼は科挙の試験に通り、
立派な役人になります。

県で受ける一次試験は何番で通ります。二次試験、
三次試験にも何番で受かります。
そして科挙の本試験に臨む前に役人になり、

若くして地方長官に任じられます。
結婚はしますが、子供さんはできません。
そして五十三歳で亡くなる運命です」

学海少年は実際に医者の学問をやめ、
役人の道を進みます。すると、恐ろしいぐらいに
老人が言ったとおりになっていく。

何番で試験で受かるというのもそのとおりなら、
地方長官になるのもそのとおりでした。
すべてが老人が予言したとおりだったのです。


次回につづく


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テーマ:哲学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
運気(易)の制御
どうやら錬金術者さんは袁了凡(えんりょうぼん)の話を
ご存知のようですね。

安岡正篤陽明学を独学で勉強されたのですか?
すごいことです。
2006/05/16(Tue) 15:38 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
信じる力は凄い
 安岡正篤学ともいうべき現代陽明学、つまり陽明学を主とした、古代東洋学ともいうべき、陰陽相対理論は、私も独学で勉強させていただきました。
 実は、占いは、占う為ではなく、占わない為にあるのです。独立自尊心(信)を養う為になるのです。
 だから、真の易者は、占いません。
 運命を自由自在に変える力である、立命の意志。これは西洋占星術では、神秘の力を養うことが肝要です。
 西洋では、天体のなかにそのような意志があり、東洋では、自然の中に、運気(易)の力があるといわれてきました。
 西洋では、人間という神の本体の自我を通じて、天体のなかの意志である、星(アストラル)の制御を学ぶので、占星術であり、東洋では、自然という物質界を照らす光や水の流れの運気(易)の制御から生活や人生を学ぶので、運命学であるようです。
 西洋の占星術から、自我とアストラル体の制御、東洋の運命学から、肉体とエーテル体(気)の制御を学び、キリスト教や仏教、イスラム教、ユダヤ教等から、その統一を学ぶのが、我々の次の時代の課題のようです。
2006/05/16(Tue) 13:00 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
言葉の持つ力はすごい
昔はよく易者さんが家々に訪問して鑑定してたようです。
とくに中国では、それが普通だったとか。

言葉の持つ力はすごいから ホントに注意が必要です。



2006/05/16(Tue) 10:55 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
予言されたらーーーー、
ある日、やまんばの家の玄関に、こんなおじいさんがいきなりやって来て、何かの予言をされたら、どう思うかな。「そのとうりだ。」「頭がおかしいのかなあ
?」どちらの道を選択するのか?やまんばはピンとくるほうにいきます。それは、やはり自分の心の奥深くにすでに答えが用意されているのだと思うからです。それにしても言葉の持つ力はすごいのですね。怖いくらいです。
2006/05/15(Mon) 19:01 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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