2011年08月21日 (日) | Edit |
山崎龍明著「親鸞に人の生き方を学ぶ」中経出版より

今回は2006年02月15日~19日の五日間掲載しました
「親鸞に人の生き方を学ぶ」を再掲載させて頂きます。

親鸞の教えも、しばしば繰り返し学びたくなります。
それは、わかったつもりになっていてもわかってない
からなんだと思います。そして改めて学びなおしてみ
ると、ホッとする何かがあるからなんだと思います。



親鸞は人間をどうみたのでしょうか。
自己をいかなるものとしてみたのでしょうか。

親鸞の人間へのまなざしは、
じつにきびしいものがあります。

ことごとく悪・罪・煩悩
といったものと結びついています。
たとえば、親鸞の人間規定をみると、



罪悪深重の私
罪業深重の私
煩悩具足の私
煩悩成就の私
煩悩熾盛の私
生死罪濁の私

といった語がみられます。
要するに私には、欲望といかり、
愚かさがこの身に満ち満ちている
というのです。

親鸞に人の生き方を学ぶ―「他力」と「浄土の思想」がよくわかる本親鸞に人の生き方を学ぶ―「他力」と「浄土の思想」がよくわかる本
(2004/08)
山崎 龍明

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この点においては親鸞は
徹底しています。
これでもかこれでもかと
自己自身の内面を凝視しています。

親鸞自身の自己の罪悪性、
罪業性に対する告白です。


凡夫というは、
無明煩悩、
われらが身にみちみちて、
欲も多く、
いかり、
はらだち、
そねみねたみのこころ多く、

ひまなくして、
臨終の一念にいたるまで、
とどまらず、
きえず、
たえず


親鸞は人間の営みの一切は、
不純なもの、
毒を含んだものであるといいます。


悪性(あくしょう)さらにやめがたし
こころは蛇蝎(だかつ)のごとくなり
修善も雑毒なるゆえに
虚仮の行となづけたる

(私の中の悪の本性はいかんともしがたく、
心はへびやさそりといった毒虫と少しも変わりがなく、
虎視たんたんとしている。

少しの善を修めても自己中心的な思い、
煩悩の毒がまじっているから、
うそ、いつわりの行為といわざるをえない)


親鸞は自己のことを
「極悪人」といいます。
極重(きわめつき)の悪人である
というのです。

なぜここまで自己を問わなければ
ならなかったのでしょうか。
それは、親鸞の単なる感傷ではありません。
自己自身の直視でした。

このような、
悪と愚の自覚は、
自己がゼロになるということでした。

自己が低い場に立つとき、
あらゆるものがみえてきます。



次回につづく

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コメント
この記事へのコメント
忘れっぽい天使
おだまきや桜の花が、はっとするほど美しい・・・
自然は美しいもので溢れている。
 
うれしい・・・

2011/08/25(Thu) 06:19 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
人生は冥土までの暇つぶし
ろくろくさんのコメントを読んだとき、やまんばの心に先日目にした今東光さんの言葉が再び蘇った。

「時には、夢いっぱいに期待し努力し、また時には スッパリ期待や夢を捨てる」
同じ暇つぶしなら、どういう形で過ごすのが、「やまんばとしての生涯」に似合っているのか?
たぶん、先ほどのろくろくさんの言葉のように 生きていくことだろうなあ・・・と思うけど、そうやって、しゃかりきに人生と戯れて、一喜一憂しているやまんばを、どこかやさしい目で、見つめている自分でありたいとも思う。

昨日、宮沢賢治の映画をみた。
この人は、自己観察を徹底的に行った人だと思う。

だからこそ、見える世界があるのだろうなあ・・・・

2011/08/23(Tue) 06:50 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
何事も期待してはならない?
たとえば自分の子供に、これだけのことをしてやったんだから、
自分のことを大切にしてくれてもよかろうと、期待してしまう。

スポーツの試合に臨んで、あれだけ練習してきたんだからキット
上手くいくだろうと、結果を期待してしまう。

子供に「これだけのことをしてやった」というだけで満足する。
試合の前に「あれだけ練習できてよかった」と思うだけで、気持
ちをおさめてしまう。

こうしたことがなかなか出来ない。

一方、未来に夢を持ち、願望を描き、子供をそだて、
スポーツの練習に勤しむことは決して間違っているわけではない。

時には、夢いっぱいに期待し努力し、
また時には、スッパリと期待や夢を捨て去る。

この二辺往来が必要なんだと思います。

2011/08/22(Mon) 17:13 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
忘れるところでした。
急流に流されそうになり、ほとんど溺れそうになったとき、やまんばは大切なことを、思い出しました。
全ての人の心の真ん中に(もちろん、自分にも)泉のような美しい領域が在るということを。
忘れてはならない!
おめでたい人間だといわれようと、やまんばは生涯そのことを忘れないで生きていこうと思いました。
2011/08/21(Sun) 17:04 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
忘れっぽい天使の中にも・・・[自己観察]
今のやまんばに丁度良い言葉に出会いました。

「何事も期待してはならない。愚か者は他力本願だから、恨んだり 怒ったりするのだ。権力者だからと言って、頼ってはならない。血の気が多い人は最初に没落するのだ。金持ちだからと言って、お願いしてはならない。時間が経てば、貧乏になる。才能があるからと言って、期待してはならない。孔子だって、生まれた時代が悪かった。人格者だからと言って、あてにしてはならない。顔回も、不遇の人生だった。君主に可愛がられても、安心してはならない。怒らせれば、その場で闇に葬られるから。家来がいても、安堵してはならない。裏切って、逃げることとがよくある。人の優しさを真に受けてはならない。必ず心変りする。約束も、信じてはならない。守られることは希である。

自分にも他人にも期待しないことだ。ラッキーな時は、ただ喜び、失敗しても、人を恨まずに済む。心を左右に広く持てば動じず、前後に奥行きを持てば行き詰まることもない。狭い心は衝突ばかりして、傷つきやすい。少ない気配りしか出来ない人は、何事にも反抗的で、争って自爆する。穏やかな心でいれば、身の毛、一本も損なわない。

人間は現生を彷徨う妖精だ。世界はブラックホールのように留まることを知らない。人の心も、また同じである。穏やかな気持ちを解放していれば、一喜一憂することなく、人に苦しめられることもないのだ。

一字一句、心に刻むように、忘れないように・・・・
ここに再び記載させていただきました。
読みながら、絶望的に恥ずかしくなったり、今後の生き方の参考になったり。

徒然草,第二百十一段・・・と記され、最後に小さな字で、
・・・他人に期待しないってのは、冷たいように見えてなんでも許せるようになるからね。・・って かいてありました。やさしさに触れたようで、胸がジーンとしました。

自己観察していくと絶望的に情けない自分が次々に見える。
はてさて、これからどうしたものか・・・

しかし、少し、希望が持てた。なんだかこんなやまんばでも、生きていけそうに思えた。

お気楽やまんば、すぐに立なおる・・・そしてまた、すぐに絶望的になる。この単純さ、どうしたものやら・・・
2011/08/21(Sun) 13:47 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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