2006年05月14日 (日) | Edit |
稲盛和夫著「稲盛和夫の哲学」ー人は何のために生きるのかー PHP研究所より (3)


現世で積んだ経験、知識が意識として継承され、
AとBという両親の卵子と精子でできあがった
生命のなかに宿る。

宿りますが、奥深く入ってしまうので、
なかなか表に出てくることはない。
しかし、ちょっとしたきっかけで、

それが間歇泉(かんけつせん)のように出てきて、
子供が教えてもいないことを話すという現象が
起こるのではないかと思っています。


・・・・・・
宇宙の意志に過去世でつくりあげた人格がプラスされ、
さらに現世でつくった経験がしみ込む。
それを私は「意識体」と呼んでいます。

意識体は肉体が滅びるとき
ーー一般にいう「死」ですーー
に肉体からはなれます。

では、死を迎えて、「あなたは現世で何をしましたか?」
と尋ねられたら、どんな答えを返すでしょう。
「京セラをつくって、大きな会社にした」といってみたところで、

意識体にとっては肉体も何もないので、何の価値もありません。
さらに財産を何千億円持っていても、これも無意味なのです。

では、何が価値あるものなのか。それは現世を生きたときに
つくりあげた人格、人間性、魂、意識体です。
それは肉体が滅びてもなくなることはありません。

「あなたは努力され、素晴らしい人格をもつまでに
自分を高めましたね」といわれることが人生の価値であると
私は思います。つまり、人間性を高めるためにわれわれは
現世で生きているのです。

・・・・・・
人生というものをひと言でいえば「心を高めるプロセスである」
といえると思います。そこでは事業が成功したとか失敗したとか、
大病を患ったとか健康だったとかといったことはすべて、

宇宙をつくった創造主が心を高めるために与えてくれた修練の場
ーー仏教でいえば修行の場ーーでしかありません。
われわれが現世で体験することは、

宇宙の創造主が人格をつくるために、
手を替え品を替えて、
われわれに与えてくれる試練なのです。

・・・・・・
ヘレン・ケラーは「目が見えない」「耳が聞こえない」
「口が利けない」という三重苦を背負っていました。
両親を恨み、運命を恨み、挙句のはては神さえ恨んでも
不思議はありません。

同じ境遇に陥った人のなかには、「悪いことをしたわけでは
ないのに、私だけがこんな不幸な目に遭うなんて」と、
あらゆるものを恨み死んでいく人もいたかもしれません。

しかし、ヘレン・ケラーは恨むどころか、
その試練を見事に克服し、自分よりももっと不幸な人たちを
大きな愛で助けようとしました。本当に素晴らしい人格を
つくっていったのです。

宇宙の創造主は、いろいろな試練を人間に与え、
それをどのように受け取って自分の心を高め、
心の浄化をしていくのかを試しているのです。

そう考えれば、人生はまさに心の修行をするために
与えられたものだといえます。


次回につづく


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テーマ:哲学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
人と人が出会えば
かならずビビッビビッと化学反応が起きます。^^

「大きな賭け」は、しないほうがいいと思います…
試練とか、悩み、苦しみは己を知るチャンスですね。
2006/05/15(Mon) 09:42 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ろくろくさん、ありがとうございます。
{魂には重さがある}と言明された方があるとのお知らせ。大きな賭けみたいですが、あると信じてこれからも生きていきます。意識のこと、大変興味深く読ませていただきました。試練はチャンスだと覚えておきます。それからヘレン ケラーさんのこと。彼女が奇跡のように偉大に生きられたのは、彼女を導いた先生の存在があればこそだと思いました。人と人が出会えば、かならず化学反応が起きる。そう気づけば毎日が奇跡なんですね。
2006/05/15(Mon) 07:05 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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