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2011年05月26日 (木) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (5)


ある寒い冬の夕暮れのこと、
山の散歩から帰ってみると遇居のドアというドア
そして窓が、いたるところに風に押し開けられて、
はためいていました。

家を出たときに戸じまりを
ちゃんとしてなかったのです。

冷たい風が家じゅうに吹きこんで、
窓を押し開け、机の上の書類が部屋じゅうに
散らかっていました。

微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践
(2002/02)
ティク・ナット ハン

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すぐに窓や扉を閉めて、灯をつけ、
書類を机に戻して暖炉に火をたくと、
すぐにパチパチと火がおこって温かくなりました。

ときおり私たちは人ごみのなかで疲れきり、
ひややかな孤独を感じることがあります。

自分の世界に戻って暖まりたいと思うことがあります。
この日の私が、窓を閉めて、暖炉のそばに坐って、
冷たい風から身を守ったように。

五感は外界へむけた窓です。
ときにはこの窓から風が吹き込んで、なかのものを
滅茶苦茶にかき乱してしまうことがあります。

なかには窓をしじゅう開けっ放して、
自分の孤独な苦しい内部を外部にさらけだしている人
がいます。それほどに孤独で寂しく不安なのです。

あなたはひどいテレビ番組に釘付けになって、
スイッチが切れなかったことはありませんか。

耳ざわりな音や、炸裂する銃声は気を転倒させます。
それでも立ちあがってスイッチを切ろうとはしません。

なぜそんなに自分をいじめるのでしょうか。
あなたは窓を閉めたいとは思わないのでしょうか。

ひとりぽっちが怖いのでしょうか。
たったひとりで自分にむかい合ったときに、
空っぽで孤独な自分に出会うことが怖いのでしょうか。

俗悪なテレビの番組を見たら、私たちもそのテレビの
番組になってしまいます。五感で感じたり、知覚した
ことは、そのまま私たち自身になります。

yukiyama


腹を立てたら私たちは怒りになるし、
愛につつまれていたら愛になるのです。

雪をいただく峰を見れば、
私たちはその山そのものになります。

何でもなりたいものになれるのですから、
安易なお金儲けのために人を駆り立てるような番組や、
心臓をドキドキさせて拳を握り、

あげくのはてに疲れ切ってしまうような番組に、
わざわざこころの窓をひらく必要はないのです。


では、だれがこのようなテレビの番組をつくり、
子どもたちにまで見せているのでしょうか。



次回につづく




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コメント
この記事へのコメント
注意しよう!
やまんばの家は大体、音を小さくしたテレビがついています。それは寝たきりになったばあちゃんがさみしくないようにというやまんばの配慮。

しかし、愚かでした。

なるだけ、きれいな景色や旅番組や時代劇、歌舞伎などにチャンネルを合わせているけど、いつのまにか、浮草のような番組が流れ、側にいると、チャンネルも変えず、やまんばもなんとなくみていることが多くなっていました。

「何でも なりたいものになれる」

こわいなあ・・・・可哀そうなことをしていました。
動けないばあちゃんに、もっと配慮が必要でした。

注意しよう!・・・反省しました。
2011/05/26(Thu) 07:07 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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