2011年02月01日 (火) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(13)
To meditate
is to be innocent of time.
瞑想するということは
時間にたいして
無垢になることです
言葉をさしはさむことなく知覚すること
思考をさしはさむことなく知覚すること
それは もっともめずらしい現象のひとつです
そのとき 知覚は
はるかに鋭敏なものになります

To meditate
is to be innocent of time.
瞑想するということは
時間にたいして
無垢になることです
言葉をさしはさむことなく知覚すること
思考をさしはさむことなく知覚すること
それは もっともめずらしい現象のひとつです
そのとき 知覚は
はるかに鋭敏なものになります

頭だけでなく
すべての感覚が働くことになります
そのような知覚は
知性による断片的な知覚ではありません
感覚に左右された現象でもありません
それは完全な知覚とよべるものです
それ自体が瞑想の一部です
瞑想のなかで
知覚する人なしに知覚するということは
かぎりないものの高みと深みに合一することです
このような知覚は
対象を観察者なしに知るこことは
まったくちがいます
なぜなら
瞑想のなかで知覚するときには
対象となるものは なにもなく
それゆえ どんな体験もうまれないからです
もちろん瞑想は
眼を見ひらき
あらゆるものに取りかこまれているときにおこります
しかし そのとき
それらのものは
まったく重要ではありません
それらを見ても
どんな認識過程もおこりません
どんな体験過程もおこらないのです

そのような瞑想に
いったいどんな意味があるのでしょう
どんな意味もありません
どんな効用もありません
しかし そのような瞑想のなかで
大いなるエクスタシーがおこります
それを 快楽とまちがえてはいけません
このエクスタシーは
瞳や 頭や ハートに
無垢の質をもたらします
もし あなたが
生をまったく新しいものとしてみることができないとしたら
人生は 決まりきった 退屈な
無意味なできごとになってしまいます
だから瞑想は もっとも大切なことなのです
瞑想は
計ることのできないもの
測りようのないものへの
扉をひらきます
次回につづく
すべての感覚が働くことになります
そのような知覚は
知性による断片的な知覚ではありません
感覚に左右された現象でもありません
それは完全な知覚とよべるものです
それ自体が瞑想の一部です
瞑想のなかで
知覚する人なしに知覚するということは
かぎりないものの高みと深みに合一することです
このような知覚は
対象を観察者なしに知るこことは
まったくちがいます
なぜなら
瞑想のなかで知覚するときには
対象となるものは なにもなく
それゆえ どんな体験もうまれないからです
もちろん瞑想は
眼を見ひらき
あらゆるものに取りかこまれているときにおこります
しかし そのとき
それらのものは
まったく重要ではありません
それらを見ても
どんな認識過程もおこりません
どんな体験過程もおこらないのです

そのような瞑想に
いったいどんな意味があるのでしょう
どんな意味もありません
どんな効用もありません
しかし そのような瞑想のなかで
大いなるエクスタシーがおこります
それを 快楽とまちがえてはいけません
このエクスタシーは
瞳や 頭や ハートに
無垢の質をもたらします
もし あなたが
生をまったく新しいものとしてみることができないとしたら
人生は 決まりきった 退屈な
無意味なできごとになってしまいます
だから瞑想は もっとも大切なことなのです
瞑想は
計ることのできないもの
測りようのないものへの
扉をひらきます
次回につづく
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この記事へのコメント
イメージが現れてよかったですね。
つまんない話なんかではないですよ、
やまんばさんは、お山の大将のように
なったかとおもうと、
谷底の底のほうに隠れてしまうような
感じの時とがあって面白いですね。
立春も過ぎたし、きっと桜の精も活動
をしはじめたのでしょうね。
まずはおめでとうございます。
まもなく桜の季節です
つまんない話なんかではないですよ、
やまんばさんは、お山の大将のように
なったかとおもうと、
谷底の底のほうに隠れてしまうような
感じの時とがあって面白いですね。
立春も過ぎたし、きっと桜の精も活動
をしはじめたのでしょうね。
まずはおめでとうございます。
まもなく桜の季節です
2011/02/05(Sat) 11:19 | URL | ろくろく #-[ 編集]
余命一年・・・ということで、去年、やまんばは「桜の精」を描きましたが、どうしても、自分が桜の園で感じた妖精??のイメージが現れず、アトリエに立てかけて時々、見てはため息をついておりました。
(どうしてよいのか、どうやったら現れてくれるのか?皆目わかりませんでした)
しかし、やまんばはもう一度彼女に会いたくて、諦めずに、少しずつ、その時に出来ることだけを頼りに描いていましたら、突然、すーと静かに浮かんできたのです。
朝から、つまんない話で、申し訳ないのですが、やまんばの秘かな喜びを聞いていただきたくてコメントさせていただきました。
この絵は、このブログのおかげで、命のあるときに描くことができたからです。
心より、感謝です。ありがとうございました。
(どうしてよいのか、どうやったら現れてくれるのか?皆目わかりませんでした)
しかし、やまんばはもう一度彼女に会いたくて、諦めずに、少しずつ、その時に出来ることだけを頼りに描いていましたら、突然、すーと静かに浮かんできたのです。
朝から、つまんない話で、申し訳ないのですが、やまんばの秘かな喜びを聞いていただきたくてコメントさせていただきました。
この絵は、このブログのおかげで、命のあるときに描くことができたからです。
心より、感謝です。ありがとうございました。
2011/02/05(Sat) 07:27 | URL | やまんばさん #-[ 編集]
計ることのできないもの
測りようのないものへの
扉をひらきます
私たちの日常は
計らい
比較することで
なりたっている
のですからね
瞑想の
真逆です
測りようのないものへの
扉をひらきます
私たちの日常は
計らい
比較することで
なりたっている
のですからね
瞑想の
真逆です
2011/02/02(Wed) 16:09 | URL | ろくろく #-[ 編集]
知覚する人なしに
知覚するということは
かぎりないものの高みと深みに
合一することです
今日の写真はこの言葉と重なりました。
知覚するということは
かぎりないものの高みと深みに
合一することです
今日の写真はこの言葉と重なりました。
2011/02/01(Tue) 13:09 | URL | やまんばさん #-[ 編集]
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