2010年11月17日 (水) | Edit |
養老孟司「運のつき」マガジンハウス(8頁~)より



「自分が死ぬって、大問題じゃないか」
たいていの人はそう思っているでしょう。
でも、考えたらすぐにわかるじゃないですか。
「自分が死んで、何が大変か、死んだら、
それを心配する自分がいないんだから、
考えたってムダじゃないか」って

…べつに理屈じゃありません。
素直にそう思っているんですよ、私は。

「そうはいうけど、死にたくない」
っていう気持ちは、私だってありますよ。でも
だれでも死ぬことはたしかですから、
いくら死にたくないと思っても、結局はムダです。

…私たちは毎日眠るじゃないですか。
そのまま死んでしまったら、どうなりますか。
二度と目がさめない。それで死を「永遠の眠り」という。

眠っている本人にとっては、生きてようが、
死んでようが、関係ないじゃないですか。
眠ている以上は、死んだことにも気づかないんですから。

飛行機が揺れると怖い。落ちたらどうしょう、と心配する。
それはじつは「死ぬこと」が怖いわけじゃない。
そこまでの途中が怖い。
墜落して、本当に死んでしまったら
怖いもクソもない。

un
運のつき 死からはじめる逆向き人生論

病気も同じです。ガンでほとんど死にそうという人が、
死ぬ心配をすることは、まずありません。苦しくてしょうがないから、
「先生、なんとかしてくれませんか」と医者にいったりしています。

「死のうが生きようが、そんなこと、どうでもいい。ともかく楽にして
くれ」。医者にそう頼んでいるわけです。ガンになったら、どうしよう。
それを心配するのは、まだ元気な人にきまってます。

健康でふつうに暮していると、飛行機が墜ちる、ガンで死にそうだ、
そんな状況は、頭のなかで想像するしかないわけです。じゃあ、想像し
たらそういう状況がわかるかというなら、これがわからないんですよ。

いってみれば、恋愛と似たようなものです。
なんであんなに一生懸命だったんだろ。
そのときは無我夢中ですが、あとで考えると、
それがわからない。

自分が経験した恋愛だって、そのときの気持ちをはっきりとは覚えてな
いんだから、まして未経験の死なんて、わかるはずがないでしょ。

死は人生の大事件です。恋愛以上の大事件かもしれない。
それなら死ぬときの自分の気持ちがわかるかといえば、
わかるわけがありませんよね。「じゃあどう考えればいいんだ」。
死ぬのは私じゃない、別の人。そう思えばいいんです。

だって恋愛中の私は、いつもの私じゃないでしょ。死にそうな私だって、
それと同じです。死ぬことを考えているのは、いまの元気な私です。

でも「現に死にそうな私」は、「いまの元気な私」じゃない。そんなこと、
あたりまえです。だからその二人は別人なんですよ。

・・・・・
死ぬのはいまの私じゃない。死にそうになっている私だ。死にそうになっ
ている私に、死のことは考えてもらえばいい。・・・それならいまは死な
んて考えなくっていいということじゃないか。そういうことになりますな。


運のつき (新潮文庫)運のつき (新潮文庫)
(2007/03)
養老 孟司

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コメント
この記事へのコメント
理想とする自分を達成しようと努めるのが
他の誰かのようになろうとしたり、
理想とする自分を達成しようと努めるのが、
全ての矛盾、
混乱そして争いの
主要な原因の一つである。

krishnamurtibot より
2010/11/20(Sat) 18:25 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
雲が通り過ぎていく
雲が通り過ぎていく
感情が通り過ぎていく
思考が通り過ぎていく
しかし、
あなたのなかで通り過ぎていかないものは何か?
それがわかるだろうか?(p.258)

KenWilber_botJP ケン ウィルバーbot
2010/11/18(Thu) 17:44 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
自己を理解するとは
自己を理解するというのは、一つの結論を得たり、
目的地に達したりするようなものではありません。

それは関係という鏡―「私」と財産や、物や、
人間や、観念との関係を鏡にして、
そこに映った「私」の姿を刻々に観察することに
他ならないのです。

krishnamurtibotより
2010/11/17(Wed) 20:52 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
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