2010年11月13日 (土) | Edit |
今回はろくろくの座右の書のひとつである
ソギャル・リンポチェ著「チベットの生と死の書」
を共に学んでいきましょう 

(64頁~)


万物の本質は束の間の幻
二元論的認知をする者は苦を楽ととらえる
カミソリの刃から蜂蜜をなめる者のように
有形の現実に執着する者のいかに哀れなことか
内に思いを向けるのだ、わが心の友よ

だが、内に思いを向けることのいかに難しいことか!
わたしたちはいかにやすやすと古い習慣に流され、
一定の行動様式に支配されてしまうことか!

ニショル・ケンポの詩がいうように、
習慣や行動様式は苦しみをもたらすのである。
にもかかわらず、わたしたちはあたかもそれが運命で
あるかのように、あきらめ、受けいれてしまう。

それらに屈伏することに
あまりに慣れてしまっているからだ。

わたしたちは自由を理想としてかかげる。
にもかかわらず、こと習慣となると、
わたしたちはまったくの奴隷なのだ。

それでもなお、内省はゆるやかに智慧をもたらす。
固定し習慣化した行動様式に自分が何度も落ち込む
のを自覚できるようになるのである。

何度も何度も、わたしたちはその行動様式に舞いも
どる。だが、少しづつそこから出てきて、変わって
ゆくことができるのである。

sitosei
チベットの生と死の書

『五章からなる自伝』

1 わたしは通りを歩いている
 歩道に深い穴がある
 わたしは落ちる
 わたしは途方にくれる……絶望する
 これはわたしが悪いのだ
 穴から出るのに長い長い時間がかかる

2 わたしは同じ通りを歩いている
 歩道に深い穴がある
 わたしは見て見ぬふりをする
 また落ちる
 同じところに落ち込むなんて信じられない
 でも、これはわたしが悪いのだ
 やっぱり、穴から出るのに長い長い時間がかかる

3 わたしは同じ通りを歩いている
 歩道に深い穴がある
 わたしはそれを見る
 やっぱり落ちる……習慣なんだ
 わたしは目を見開いている
 自分がどこにいるのかわかっている
 これはわたしが悪いのだ
 わたしはすぐに穴から出る

4 わたしは同じ通りを歩いている
 歩道に深い穴がある
 わたしはそれを避けて通る

5 わたしは別の通りを歩いている

rinne
輪廻図


死を内省するのは、心の奥深くに真の変容をもたらす
のである。さらには、「歩道の穴を避ける」すべを、
「別の通りを歩く」すべを学ぶためである。

それには、しばし日常から身を引いて、深い観想に沈
む時間が必要になる。なぜなら、そうすることによっ
てしか、人は自分が人生でしていることに真に目を開
くことができないからである。

・・・・・
あなたが活気に満ちているとき、
気持ち良くくつろいでいるとき、
ベットに寝ころんでいるいるとき、

あるいは休日に好きな音楽を聞いているときに、
死を思ってみてはどうだろう。

あなたが幸福なとき、健康なとき、
自信にあふれているとき、
心から満足しているとき、
死を思ってみてはどうだろう。

ソギャル・リンポチェ
ソギャル・リンポチェ


死を見つめることは、恐ろしいことでも、
気味の悪いことでもない。
好きな音楽を聴いているとき、
気持ちよくくつろいでいるとき、
死を思ってみてはどうだろう。

メメント・モリメメント・モリ
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藤原 新也

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