2010年10月27日 (水) | Edit |
週刊朝日(2010年10月22日号)の養生達人・健康問答、
帯津良一×立川談志の対談で

dansi

「ひとつの情報もこぼれてこないっていうのは、
やっぱり死後の世界はないとしか言いようがない」

と言う人もいますね。でも、私はまあ、あると思って
いたほうがいいかなって。と帯津良一先生がわけのわ
からないことを仰っています。

以前コメントにも書きましたが、盤珪禅師は

「不生で一切事がととのいまするわいの」
とおっしゃり、続けて

「いま不生でおるところで、死んでのち不滅なもの
ともいいませぬわいの。 生ぜぬもの滅することは
ござらぬほどに、そうじゃござらぬか」

つまり「生まれていない、のだから死ぬわけがない」
とおっしゃっているのです。 ろくろくはこの盤珪さん
の言葉がすべてを語りつくしているのだと思うのです。
死後の世界はない・・・・・

「私たちの誤解の最たるものは『私たちが誕生した』と
思いこんでいるところにある」とスティーヴン レヴ
ァインさんだったか?が仰っています。

えっ??私たち、誕生したのではないのですか?
と誰もが思ってしまいますよね。

盤珪さんもおっしゃる通り「不生」=生れていない、
のですから、死ぬわけがない。でも母から生れて
来たのもがあるのも確かですよね。

そこで何が生れてきて、
何が「不生」なのかということになります。

生れて来たのは肉体で、
その肉体に宿る意識=心は「不生」で不滅だ
というのです。

おっと前置きが長くなってしまいました。
余命は今日(10/27)で、後65日であります。
あと少しの命を大切にしたいものです。

今回は「肉体に生きる」(スティーヴン レヴァイン著
「余命一年…だとしたら」より153頁~)を共に学び
たいと思います。

yomei
余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると

何の苦労もなく肉体を脱ぎ捨てるためには、
その前に、肉体の中に完全に宿っていなけれ
ばならない。

死の準備をするだけでなく、
生の質を高める手段として、
一つの感覚ごとに完全に体の中に
入り込むことが大切だ。

頭のてっぺんから足のつま先まで、
やさしく意識の手を引いて体の中を案内する
ことだ。仏教徒のあいだではこれを
“ほうきで掃く瞑想”と一般に呼んでいる。


houki
ターボの薩摩ぶらり日記からお借りしました。


意識が肉体の中をほうきで掃くようにさっと
駆けなでるからということもあるが、
じゅうたんの下に隠しておいたほこりを掃き
出すという意味も含んでいる。

怖れや不安で無感覚になっていた体の部分を、
意識が蘇生させ、からだ全体の中に戻るよう
に促す。

さらに、閉じ込められたエネルギーで破裂しそうに
なっている部分に対して、力のバランスを取る。肉
体の中で、愛されている部分と愛されていない部分
など、対立する部分に調和をもたらす。

肉体と呼ばれれる感覚の場を探求していくと、
私たちはこの肉体以上の存在だということが
わかってくる。

私たちは肉体の中に宿り、
肉体を探求する意識なのだとわかる。

感覚を詳細に観察することは、
肉体に意識を向けるための手段ともなる。

それは、一瞬ごとに、感覚ごとに、いのちが
肉体の中に入ることを促し、そしてついには、
肉体が意識的に出て行くのを可能にする。

・・・・・
体を上から下へとほうきで掃くように瞑想する
目的は二つある。

一つ目は、自分の肉体に完全に宿り直すためだ。
二つ目は、時機が熟したら、肉体を完全に捨てる
チャンスをあたえるためだ。

この瞑想をすると、ある種の生き生きした感覚が
増大するとともに、肉体がだめになった時に、
生命力がきれいに肉体を通り抜けられるような
通路ができあがる。

生とのたわむれの一つで、
死の経過を楽にしてくれる。

「肉体に宿るいのちの瞑想」の部分は割愛しました。
私はこの瞑想を自分の声で録音し、寝る時に聴いて
います。


帯津 私、実は今日は、どういう死に方をするのが
いいかっていうのを伺いたかったんです。

談志 アメリカの映画監督のビリー・ワイルダーはね、
90くらいになってね、女を連れてバーにいてね、その
女の男にピストルで撃たれたいって、そう言ってます
ね。・・・

おれは、何で死にたいかって言うと、やはり心不全とか
がんだとかは平凡でよくあるから「ふとした病」ってい
うのはどうだって言ったんですよね。

帯津 いいですね。


みなさんは、どういう死に方をするのがいいですか?


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コメント
この記事へのコメント
ターボさん
無心に掃除をしているおばあさんの様子が
とても印象的な写真ですね。

勝手に使わせていただいてその上
コメントまでいた頂いてありがとうございます。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
2012/01/09(Mon) 09:39 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
つたない画像がお役にたてて嬉しいです。
2012/01/08(Sun) 08:39 | URL  | ターボ #-[ 編集]
ろくろくさん、ありがとうございます。
これで安心しました。
死ぬ時に迷わないで行けそうです^^^^。


2010/11/03(Wed) 13:37 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
私たちは肉体の中に宿り、
肉体を探求する意識なのだとわかる。

感覚を詳細に観察することは、
肉体に意識を向けるための手段ともなる。

それは、一瞬ごとに、感覚ごとに、いのちが
肉体の中に入ることを促し、そしてついには、
肉体が意識的に出て行くのを可能にする。

のところの
「肉体が意識的に出て行くのを可能にする」は
「肉体から意識的に・・」のまちがいですよね。

そうですね。
「いのちが肉体から意識的に出て行くのを可能にする」
ですね。



2010/11/03(Wed) 09:12 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
教えてください。
「余命一年・・・」の本の154ページの7行目の
「肉体が意識的に出て行くのを可能にする」は
「肉体から意識的に・・」のまちがいですよね。

確認のため、本をみたのですが、やはり、このようになっていました。
が・・・と、 から・・では、あまりにも意味がちがいます。

これは本がまちがっているのでしょうか?
文の流れでも、意味の上でも「から」の方が正しいと思うのですが、教えてください。
2010/11/02(Tue) 15:49 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
krishnamurtibot
何もすることはない。

ただ心を開いて静かに耳を傾け、

あの花の美しさを見つめたまえ。

2010/10/31(Sun) 18:46 | URL  | ろくろく #-[ 編集]

最近はとんと映画を
観なくなった。
どうしてなんだろう?

正確には
見てはいるんだが
こころに響いてくるのが
みつかりません

2010/10/31(Sun) 18:43 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
刺激映画[e:226]
おはよーございます
そうですね…♪

今日は刺激映画でも見て過ごしますです

私の最近のお勧めは

ファイル デッド サーキット(吹き替えは最悪です)

リアルでコミカルな恐怖をお楽しみ~♪


ウルヴァリン は
サクサク爽快で◎

ウルヴァリン役の人の大ファンなんです
どちらも
バラエティー感覚で楽しみますよ~♪


映画通のろくろく先生は もう とっくに見てらっしゃるかな…

って こんな くだらない映画は見ないですよね…(>_<)


今日くらいは…
どうぞ… f^_^;

2010/10/31(Sun) 10:11 | URL  | ひろぼう #2ySkFsy6[ 編集]
おはよう、ひろぼうさん^^^
朝から雄叫びですか!

元気ですねえ~~~^^^^

狼男やドラキュラが現れてきたら、ひろぼうさんはどんな顔をして怯えるでしょうか?^^^^^^
確かに、刺激はおおありだけど、死をかけた刺激だね・・・・まあ、そんな日は映画にいったり、紅葉狩りをしたり、飛びきりのおめかしをして、(サングラスをしたり、普段つかわない色使いで洋服をコーディネートをしたり)、お食事にいったりしてね。遊ぶといいよ。やまんばが側にいたら、一緒に遊んでもらうのだけど^^^、貴女と遊んだら、さぞかし楽しいでしょうねえ^^^^^^^)

介護もいよいよ実習に入るのね。
腰をいためないように、しっかり学んでおいてください。
きっと、役に立つ日がくることでしょう!





2010/10/31(Sun) 07:00 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
ハッピーハロウィン

今日は
ユニバーサルスタジオは仮装で盛り上がります♪♪♪

私も仮装したいな~
体験は十分仮装完了ですが…(T_T)


今日はハメを外して楽しみましょう~♪


ハメる相手は
居ませんが…(ToT)

今日は
無礼講お許しを…

今日ぐらいは
狼男かドラキュラに
襲われてみたいな…


な~んて…


ワァォ~~~ン
\(☆o☆)/
2010/10/31(Sun) 04:21 | URL  | ひろぼう #2ySkFsy6[ 編集]
完全な自己放棄
愛とは何かを知っているのは、
完全な自己放棄をもって木や星や光り輝く川の水を見る心だけであり、
そのあるがままの姿を見るとき、
我々の心には愛が生まれるのだ。
krishnamurtibot より



この完全な自己放棄こそが
あるがままなのではないでしょうか?

2010/10/30(Sat) 14:29 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
クリシュナムルティ万歳
あなたが何の足場も持たず、確たるものもなく、何事かをなしとげてもいない場合、その時にこそあなたは正しく見、正しく行なう自由を獲得できる。そしてその自由をもって世界を見る時、すべては一変して新しい様相を呈するのだ。krishnamurtibot より


まるで僕のための言葉の様に
思ってしまった。(^_^;)アセアセ...

2010/10/30(Sat) 14:14 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
あるがままのちがい
ぼくもよく分かっているわけではないのですが、
ぼくのあるがままを強いて言葉にすれば、
「自覚すること」であり、「受け入れる」こと、
だと思っています。

でもそれが出来ていない自分がそここに顔を覗か
せているのが分かるのです。

やまんばさんの説明で言えば、
「落ち葉やごみがある、その落ち葉やごみが在る
という心の状態を正確に認識」できたり出来なか
ったり、というのがろくろくです。

2010/10/30(Sat) 14:03 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
介護スクール
そうか~ひろぼうさんは
介護スクールで学んでいたんでしたね。

良い勉強をなさっているようでよかったです。



2010/10/30(Sat) 13:46 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
深いですね

やまんばさん も ろくろく先生 の コメントは奥深くて…

現世から離れてしまいそうに成ります

介護スクールが無事終了し、昨日は打ち上げでした♪

短い間でしたが…
凄く勉強になり、

何の不自由も無い

今を 心底感謝できました(;_;)

そして、打ち上げで不覚にも泣いてしまいました…。


みんな、介護の厳しい世界への不安を隠した笑顔で支え合ったスクール

支えられた感謝が
蘇り駄目でした(;_;)

まだ、これから
恐怖の実習が待っています(」゜□゜)」


どうか…無事に

人間扱いされて無い特別養護老人ホーム の…お年寄りの姿を

受け入れられるのか
想像しただけで
ひよひよの私は

怒りで切れてしまわないか…

思わずトイレに
逃げ込んだりしないか(・_・;)


現実は想像をはるかに越えてるだろうな

大阪のカメレオンは頑張ってきます

又、報告
聞いて下さいね…
(`´ゞ

やまんばさんの
『おもうがまま』の考え方を胸に

行ってきまーす

ありがとう
2010/10/30(Sat) 10:37 | URL  | ひろぼう #2ySkFsy6[ 編集]
「ありのまま」
ろくろくさんの「ありのまま」と、ひろぼうさんの「ありのまま」のちがいは、ほうきで掃き清めるおばあちゃんの写真をみたら わかりました^^^^^^

ろくろくさんのありのままは、ほうきで掃いて塵一つない状態(悟りに状態)の心で、ひろぼうさんのありのままは、落ち葉やごみがある、その落ち葉やごみが在るという心の状態を正確に認識するということのありのままなんですね!

何か変ですか^^^?

2010/10/30(Sat) 08:26 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
ターボの薩摩ぶらり日記のおばあちゃんの写真
白い花(さざんか?)の下を掃き清めるおばあちゃん。
お掃除されたところを見るのは、なんと気持ちよいのでしょう。

ほうきで掃く瞑想
それはやまんばのようにたんに気持ちよいからだけではなく、
①死の準備をするため
②生の質を高めるため
その手段なのですね。

この瞑想の紹介の部分はどの部分もとても大切なことがかかれてあり、やまんばは忘れるのがもったいないので、またまた印刷しました^^^^

何の苦労もなく肉体を離れるためには、その前に肉体の中に完全に宿っていなければならない・・・。

体の感覚を意識していると、なんだか流れにくいところがある。だから、やまんばはじーとそこにスポットライトのように、意識をあてる。
そうしていたら、そこではない別のところが、なんらかの反応を示したりする。「あ~~、つながっているんだなあ」と思う。意識はそこにあてたまま、決してそらさない。そうしたら、すーと通過する瞬間がくる。
また、先を続ける。

そんな感じです。

「肉体は感覚の場である」ともかかれてある。
「肉体の中で愛されている部分と愛されていない部分など、対立する部分に調和をもたらす。」

やまんば、やはり、自分の体は自分のものだと思っていたんだわ。口では「神様からの預かり物」だといいながら、大切の仕方が足りなかったのだと気づきました。

体のどの部分も大切にする。(この写真のようには毎日溜ったごみなどを掃き清めるように)
おのおのの部分が仮の持ち主であるやまんばに、何か伝えたいことがあるかもしれない。ごめんなさい、悪いことをしてたわ・・・・。今から、ちゃんと大切にして、死ぬ時は心から感謝して、きちんとして、お返ししないといけないなあと思いました。
2010/10/30(Sat) 07:35 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
死ぬ時のイメージ
ろくろくさんの死ぬ時のイメージ・・・興味深く感じました。
「もしかしたら人類最後の人間がろくろくなのかもしれません。
最後の一人ですから、誰にも看取られることもなく 旅立つのです。」

なんだか、SF映画みたいですね^^^^^

しかし、案外これは、ろくろくさんの天命を象徴しているかもしれませんね。クールに感じていましたが、すごい面倒見のよい「親分肌」の面もお持ちの方なのですね^^^^^
やまんば、大変感心しました!!!

2010/10/30(Sat) 06:39 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
死ぬ時のイメージ
僕の周りに沢山の人が取り囲んでいるという
イメージはないですね~

もしかしたら、人類最後の人間が
ろくろくなのかもしれません。

最後の一人ですから
誰に看取られることもなく
旅立つのです。



2010/10/29(Fri) 15:11 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
瞬間的にトップスピードにあげよ!
茂木さんの「人生のエネルギー問題」のポイントを
まとめてくださってありがとうございます。

一番大切なのは、
「朝早くからハードルの高いことを自分に課すのをお勧めします」
「瞬間的にトップスピードにあげよ!」
でしたね。

それは、武道の基本でもあり、茂木さんは朝一番から、
ギアをトップに入れ、あとはグライダーのように下っていけば、
エネルギーを上手に使える、といった点が一番のポイントの様
に思いました。

http://bit.ly/9VYzDP

2010/10/29(Fri) 14:45 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
茂木さんの「人生のエネルギー問題」
ろくろくさんに紹介された時と、今朝、二度見させていただきました。
 
茂木さんお話はあっちこっちに飛びまくる。
だから「聞く気」になって耳を澄ましておかねばならない。
バックに流れる音楽やら、メタボのおなかをポンポコポンポコ叩かれたり、Tシャツをみせてくださってることに意識をとられていては、大切な話の箇所を見逃してしまうからだ^^^^^^^

一番大切なのは、「瞬間的にトップスピードにあげよ!」ということのようでした。それは、武道の基本でもあるようで、茂木さんは朝一番から、ギアをトップにいれ、あとはグライダーのように下っていけば、エネルギーを上手に使えるようです。

二番目は、挫折や人生の方向を変えるときはエネルギーが出てくるし、「うつ」のときはエネルギーが溜っている状態。だから くじけないで真摯に受け止めること。

三番目に、大人の脳の中に子供の脳(何も仮定しない。何も偏見や思い込みがない状態)をもつことが大切。

まあ、やまんばに通じたのはこんなところです。

この方自ら言われている勇気をもって「偶有性の海に飛び込め!」を絵にかいたようなお話でした。

しかし、やまんばもやはり、朝一番にトップギヤーに入れて、むつかしいことから始めたら、一日がスムーズに行くことは、体験からわかります。

さあ、ギアーもトップにいれて、やまんばなりのコメントを、家族の世話やごみ出しをしながら、集中をつないで終了できたので、あとは楽しく、グライダーに乗ってすごすことにしましょう!!!

今日はお陰さまで良い「人生のエネルギー」のスタートが切れました。
ありがとうございました^^^^



2010/10/28(Thu) 09:29 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
死ぬ時のイメージ^^^^
立川 談志さんはやはり 意表をついた おもしろいことを言われますね。
「ふとした病」で死ぬ・・・・・吹き出しました^^^^うまいこと言うなあ^^^^^^おもしろいねえ^^^^^^

やまんばは自分が死ぬとき、一つのイメージがあるのです。
危篤になって、親しい人々が私の周りを心配そうに囲んでいる。
がっくりと うなだれた やまんばを見て、みんなが いよいよ死んだか~~と肩を落としているときに、やまんばは薄目を開けて「残念でした。まあだだよ」って、笑うのです。そうしたら、みんなも笑うのです。
そして、本当にあちらにいくのです^^^

こんなイメージが湧くのです^^^^
2010/10/28(Thu) 06:45 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
今日の内容を読んで
私たちはどんなに賢い人でも、完全に意識は開いていないから、見える程度がみんなちがう。だから、ああでもない こうでもないといっている。
やまんばはこの内容を読んで、車を運転しながら、そのことが一つのイメージとして浮かんできた。

目の不自由な人々が象さんをさわって、象さんはこうだ ああだと言っている・・・そのイメージでした。

やまんばは昔読んだ聖書に、確かこんなことが書いてあったことおぼろに思い出しました。
今、聖書を開いてみました。
よほど気にいったのか、それとも大切に思ったのか、章のところを赤い線で囲っていました。

「コリント人への第一の手紙 第13章」

「たとい私が人間と天使の言葉を話しても、愛がなければ鳴る青銅と響きわたるどらに等しい。たとい私が預言の賜をもち、全奥儀と全知識に通じ、山を動かすほどの満ちた信仰を持っていても、愛がなければ無に等しい・・・・・」という有名な箇所の12節のところに、
「今 わたしたちは 鏡を見るようにぼんやりみている。{当時の鏡は今のようにはっきり物を映さなかった}
だが、そのときには顔と顔を合わせてみるであろう。
今は不完全に知っているが、そのときには私が知られているように知るであろう・・・・」というところです。

だから、不完全なやまんばは、今という瞬間を大切にして、死の瞬間を少しこわいけど、やはり楽しみにして生きていこうと思うのであります。
2010/10/28(Thu) 06:35 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
ほうきで掃く瞑想
頭のてっぺんから 足のつま先まで やさしい意識の手を引いて 体の中を案内する・・・・この表現、大変気に入りました。体の感覚を意識する。
実はやまんばは時々、思い出したようにやります。

両手を上にあげ、手の平を天からのエネルギーを受け止めるように広げ、そのエネルギーが輝く玉となったら こぼさないように頭のてっぺんから、入れてあげる。それが体中を巡るのを感覚しながら見ていく・・・・こんな感じです。何かの本を読んだのかなあ・・・気持ちよいので、時々やりたくなるのです^^^^^

2010/10/28(Thu) 06:04 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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