2010年09月25日 (土) | Edit |
余命は今日(9/25)で、後98日となりました。
余すところ3か月と6日です。

酷暑の夏もここにきてやっと重い腰を上げてくれたよ
うです。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものです。

もしも今回「余命一年と思って生きる」ということに
チャレンジしていなかったら、もっと、もっと「暑い、
暑い」を連発しながら、不機嫌な夏を過ごしたことで
しょう。

さて、100日を切ったからといって、特に変わった
ことをするわけでもなく、いつものようにこうしてブ
ログを綴っています。普通であることの奇跡です。

何かの病気や事故で体にダメージがあり、痛みがあっ
たりすると、ことはそんなにすんなりと行かないかも
しれません。

その上そのことが原因で後98日の命しかないといっ
た人の場合は、こんなにも冷静に淡々と過ごすことは
出来なくて当然だと思います。体の不調、特に痛みは
心身に大きなダメージですからね。

hitode


なにはともかく、今までのような日々とは違っている
と感じるなにかがあります。

本気というか、真剣というか、シャキッとしていると
いうか、どこかに終わりを覚悟しているところがある
ように思う。


さて、今回は「人生を振り返る」(スティーヴン レヴ
ァイン著「余命一年…だとしたら」より129頁~)
を共に学びたいと思います。

人生の回顧を完了するにはあらゆることを思い出す必要
があるが、それには一生かかるかもしれない。

人生のスイッチを“巻き戻し”にして、無理に記憶をよ
みがえらせないで、自然に意識の底から浮かんでくるに
まかせよう。

・・・・・
一度に一つのシーンを思い出して、自分の人生と仲直り
をしよう。まるでシェイクスピア劇をバルコニーから観
るような生き方はやめよう。

人生に参加するのではなく、観客として安全な距離から
眺める生き方はやめよう。死が舞台に駆け上がって来て、
私たちの方を向き、本当の名前で私たちを呼ぶまで待つ
まい。

人生のシーンを一つずつ、一幕ごとに、
新たな一日の輝く陽光の中で今すぐ見直そう。

人生を振り返ってみると、自分がいかに人生を傍観者と
して眺めてきたかに気付く。その瞬間に意識を向けるこ
とがほとんどない。

人生を自ら生きているというよりも頭の中で生きている
ことが多い。自分が体験していることと一体化するほど
無我夢中になることはごく稀だ。死への不信感は生への
不信感と完全に比例する。

思い出の中身で自分という人間を定義するのをやめない
限り、何が本当の自分で、何が本当の自分でないかをけ
っして見分けられない。

「瞑想して自分の心の動きを観察する目的は、心が本当
の自分なのではなく、本当の自分は観察している者なの
だと悟るためです」とある瞑想の先生が言ったが、まさ
にそうだ。

kawabe


私たちは目覚めた意識そのものであって、その意識の中
に浮かぶちっぽけな思い出や考えに限られてはいない。

こうしたちっぽけな考えと自分を同一視するから、途方
もなく膨大な自分の存在をこの世の不平不満のサイズに
まで縮小してしまう。

そして自分は天国に入るだけの価値がないのではないか
とますます不安になる。不安にしがみついていると、私
たちは地獄を味わう。それを捨てると、天国を味わう。

浮かぶことのできるものは何であれ、あなたを“彼岸”
へと連れて行ってくれる。

以前“彼岸”という言葉を“死”と誤解した人がいた。
しかしこの言葉は、仏教の経典にあるように、完全なる
自由、つまり“悟り”の境地を意味する。

ここに多くの人にとって大事なポイントがある。
私たちは死がすべてを解決してくれて、
死んだら自由の身になれると思っている。

しかしそうはならないのだ。
それは一人ひとりが自分の責任で
成し遂げなければならないことだ。

死は私たちを肉体から解放してくれる。
けれどもその後は自力で歩かなければならない。

それだから、今ここで人生の荷物を降ろして、
自己嫌悪やうぬぼれのつまらないジレンマから
自分を解放しようではないか。

愛する人たちや友人に感謝し、
先生にお辞儀をし、
自分の中で震えている怖れをやさしく胸に
抱こうではないか。

息を直接、心の中に吸い込もう。
初めての息だ。
最後の息に邪魔されない新しい人生の呼吸だ。


余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると
(2001/12/01)
スティーヴン レヴァイン

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コメント
この記事へのコメント
ガバッ!(大切なことに気がつき、突然ふとんから起きた音)
そうだ!本当の自己は、もうすでにここにあるんだ!

やまんばは空。空。空・・とイメージしていた。
言葉の上でイメージしてたけど、
もうイメージはいらない

自己を、あくまでも、頭でとらえようとしていたのだ

ただ、そこに在り続けるんだわ!

自分が知ろうと知るまいと、もう、ここに、「在る」んだわ!

2010/09/29(Wed) 05:36 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
頭がすぐにショートする
そうですね。これらのことを言葉にするには
注意深くあらねばならないです。でないと
頭がすぐにショートしてしまいます。

というか、いままで私たちはあまりにいい加減に
無神経に、不注意に、言葉をつかっていました。


krishnamurtibotというのがあって
botというのはロボットのこと。

krishnamurtiのロボットが彼の言葉を
ときどきささやいてくれます。

宗教心とは、宗教を信ずる心とはまったく別物である。
宗教心はいかなる恐怖も信念も存在しない心の状態であり、
そこに存在するのはただあるがままのもの…実際にあるも
のだけである。
1分未満前 EasyBotterから
あなたと2人がリツイート

問題は私たちが何を考えるかであって、他の人たちが
私たちに考えてもらいたがっていることではありません。
伝統に追従するとき、私たちはすぐに、「こうあるべし」
ということの単なるコピーになってしまいます。
約2時間前 EasyBotterから
あなたと2人がリツイート

何が真実かを問うかわりに、虚偽の中の見せかけの真実を
否定し、虚偽として否定し去ること、これこそは思考から
自由な精神のとる即時的な行為なのである。
約4時間前 EasyBotterから
あなたがリツイート

おやすみなさい。
2010/09/28(Tue) 23:26 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
自分の中の沢山の自分
自分の中の沢山の自分は、
どれも本当の自分と認めて
受け入れても良いのでしょうか?

自分の中の沢山の自分は、
どれも本当の自分ではないです。

本当の自分は自覚することが
できません。

2010/09/28(Tue) 23:08 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
不安になったら空を見上げよう^^^
ろくろくさん、たくさんのコメント、ありがとうございます。

今、この瞬間に意識を向けて生きる

例えば、不安になったら、不安になってる自分を思考も判断もなくただ見る・・ということですね。
やまんばもそうしようと思っています^^^

不安になっている自分・・これは空に浮かぶ雲
本当の自己は、雲ではなく、青空そのものなんだということを思い出すために、空を見る^^^^^

でも、やまんばは、そういうことはこれ以上は(ろくろくさんもやまんばのコメントでお気づきだと思うのですが^^^^)むつかしいです。頭がすぐにショートするのです。



茂木さんを覗いてみました。こんな言葉が目にとまりましたよ。

「月の」(ルーナー)という言葉には「狂気」という意味がある。たまには太陽や文明の灯りに背を向けて、かすかな月のメッセージに心を向けたい。
「狂気」の中にしか、本当の創造への道はない


2010/09/28(Tue) 22:08 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
過去は知恵と言う結晶を生み出す

おはようございます
ろくろく先生☆やまんばさん♪

今回も深い深いコメントを下さり、ありがとうございます!!
私、ろくろく先生も、やまんばさんも 大大大好きです♪♪♪

お二人は、いつも真剣で聡明で爽やか、でいらっしゃる☆

浅はかでミーハーな私は、穴があったら入りたくなります
と…既に他人と比べる浅はかさ…トホホ
現実をイメージと言うフィルターに掛けて見ている。そんな自分も好きです♪

私は、イメージマジックを信じて愛するバカボンで~す♪~θ(^0^ )

イメージしてる自分も、ありのままと…受け入れてては、駄目でしょうか(・_・;)
う~む…殆ど、夢、まぼろし、の中で生きている私には…

何が、真の現実なのか?分からないまま、この世とサヨナラするのでしょうか?
それは、確かに悲しい現実だ…(;∇;)/~~
でも、過去の素晴らしい体験達を、綺麗さっぱりと 離 したり。ワクワクする未来とも 離 出来る潔さが、未熟な私にはまだまだ…です(;_;)
今ある浅はかな知恵は過去から生まれた結晶ですが、その結晶達を心の宝石箱に大切に閉まっては、時々、眺めて楽しんでいる。愚かな、いかにも女性特有の女々しい行為。

分かっちゃいるけど止められないf^_^;


過去や未来と、かすかな命綱で繋がっている。その命綱が無くても生きられるように成らなくては、 人生を自ら生きてる事にはならず。いつまで経っても、今を生きられ無い。

ろくろく先生☆
素晴らしいろくろく先生は、クリシュナムルティには無い独自の光を放っていらっしゃる☆唯一無二の存在ですm(_ _)m

クリシュナムルティの思想をもう、熟知されていらっしゃる
頭の中で生きている私は、時々、ふと…
幼い頃から…この現実は本当に存在している現実なのかな?と…疑ってしまう事が、多々有ります(-o-;)今もなお…?

いったい、夢を見ている時の世界と現実…どこが違っているのだろう?と疑問?
まるで、マトリックス。

自分の中の沢山の自分は、どれも本当の自分と認めて受け入れても良いのでしょうか?

ジャンヌダルクは天使の声が聞こえると言って、統合失調症(分裂病)と診断され、ロボトミーに葬られてしまった。
脳では無く、シンプルに、心のみに従って生きられたらな…

朝から、うるさくして…本当に、ごめんなさい。m(_ _)m
介護スクールに通い始めます。




2010/09/28(Tue) 06:17 | URL  | ひろぼう #2ySkFsy6[ 編集]
「人生を自ら生きる」つづきのつづき
やまんばさんもひろぼうさんも、
そして私も同じようなものです。

やっぱり、どうしても
思考=自分自身と思ってしまっている。

でも、クリシュナムルティが指摘するように、
思考は現実に直面できないのです。

なぜなら、思考は現実を過去の出来事と比較したり、
判断したりするために何分の一秒かが、かかってしまう。

思考ばかりか、五感にしても同様で、今感じていることが、
熱いのか、冷たいのか、痛いのかを判断するのに何分の一秒
かのタイムロスが出てしまう。

だから、私たちは「あらわな現実の姿」
に永久に触れられないということになる。

その上「あらわな現実の姿」に各自独自の思考や
感覚のフィルターを通して「現実」を見ている。

言葉を変えるならば、クリシュナムルティが言う
ところの「今についてのイメージを作りあげる」
から、そのようなイメージとありのままの実相と
の間に大きなへだたりが起きてしまう。

だから、あるがままの自分を観察することが、
けっしてあるがままではないということにもなる。

では自己観察が意味がないかというと、
決してそういうことではない。

日常の様々な場面を自己観察することにより、
先入観でものごとを見ることが少なくなり、
自分が今からどうすれば良いかが分かってくる
ようになるからである。

2010/09/27(Mon) 17:04 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
「人生を自ら生きる」つづき
クリシュナムルティは一貫して
「人生を自ら生きる」ことについて
語り続けているのだと思います。

「あらわな現実の姿だけが唯一の事実なのであって、
それが今の実体である。

ところが思考はそれに直面できないので、
今についてのイメージを作りあげるのである。

そのようなイメージとありのままの実相との間の
懸隔こそは、思考が生み出した不幸に他ならない。 」

「自分を他のものや他の人間と比較したり、
昨日の自分と今日の自分を比較するとき、
そこに生じるのは矛盾だけである。

過去の姿と現在の姿とは一致しない。
そうした比較をすべて無視した場合にのみ、
あるがままの自分が存在するのである。 」

2010/09/27(Mon) 13:18 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
「人生を自ら生きる」
「人生を自ら生きる」
ということは

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
・・・・・
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

というふうに 
頭の中で生きるのではなく、

自分の、この瞬間に意識を向けて生きる
ということだと思う。

ナリタイ自分ではなく 
ドウイウ自分だったかでもなく 

つまり未来の願望ではなく 
過去の思い出でもない 

今の、アリノママの自分を自覚し 
ただ、アリノママを受け入れる 

「不安になったら、空を見上げよう!」
と、頭の中で生きるのではなく、

不安になったら、
なった時に、なった時の自分を自覚し 
アリノママを受け入れる  
ということではないだろうか。

他の人と比較するのでもなく、
あるがままの自分と向きあって生きる 
自分のこの瞬間に意識を向けて生きる
ということだと思う。


2010/09/27(Mon) 12:40 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
人生を自ら生きる
それって、どういうこと?

その瞬間に意識を集中すること・・と書いてある。

頭の中で生きるのではなく、自分が体験することと、一体化する・・・
無我夢中になる・・こと
24時間、瞑想するということって以前にもかかれてあったわ。

意識的に暮らすこと=目覚めた意識=人生を自ら生きる
そういうことなんだわ・・・。

言葉を頭の中だけで捉えているから、何回もろくろくさんが言われていることを、いまさらながらに、フムフムなんて呑気なことを言っているんだわ。
やまんば、目を覚ませ!!!!

こうも書いてある。

死は肉体から解放してくれる。けれども その後は自力で歩かねばならない・・・・困るなあ・・・
やまんばは死んだら自由になれると本気で思っていた。

自力で歩く・・・・・頼りないなあ、やまんば大丈夫かなあ・・・・・
ちがうちがう。
私たちはみんな「目覚めた意識そのものだ」と、書いてある。そうだった、そうだった^^^^。
つい不安になって、大切なことを忘れるところでした。

いずれ、やまんばは心のよりどころととしている、このブログとも いつか かならず別れなければならないのだ。
一人で歩かねばならないのだわ。

不安になったら、空を見上げよう!

そして、自分は、思い出や、もろもろの感情、考えではない、そんなちっぽけな存在ではないことを、いつもいつも思い出させてもらおう!

私たちは みんな  「目覚めた意識」そのものなのだわ。
それ以外のゴチャゴチャはみんな捨てよう。

今朝のつぶやきを頭に刻んでおこう・・・。
2010/09/27(Mon) 07:20 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
感謝

ろくろく先生☆

離 の 理念を、ご丁寧にありがとうございましたm(_ _)m

確かに、離 さえ身につける事が出来たら 心は平和で居られるし、自分の周りも、平和に出来ますね。
離 の理念は、特に私には、素敵な宝物です。合掌♪m(_ _)m
2010/09/26(Sun) 22:19 | URL  | ひろぼう #2ySkFsy6[ 編集]
おもうがままに・・・
肉体から開放されてからが、大変なんですね。

例えば、普通、肉体が船なら、心は舵。

だったら、心の船に乗っかりたい。

真に無自我に成れた時・・・

五覚に支配されない

心の船にのれるんかな・・・

お花畑の海の上・・・
心の船で、浮かんでいたい。 

気持ちの良い空気にながされて・・・

辿り着くべく所に辿り着くのだろうね。

心の船にのれたなら、
いつまでも、降りないで乗り続けたられたら・・・

想い描いたところに、知らない間にたどり着いてるよ。 

2010/09/26(Sun) 10:28 | URL  | ひろぼう #-[ 編集]
舵のない舟にのる
今日も予定がいくつかある。

予定はあるけど、それがどう展開するのか?ワカンナイ^^^^^^^

しかし、希望は持とう!そのほうが今日一日が楽しいから

思うようにならなかったら、
「きっと その方がよかったんだ」
とまんまる受け止めよう

(だんだん生き方がうまくなってきたようだ^^^^)

よかった よかった

今日もいい天気

稲穂は実り かなり咲き遅れたマンジュシャゲが
今年もりっぱに秋を演出している

さあ、舵のない舟に乗り出して行こう・・・・・
2010/09/26(Sun) 08:26 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
追伸
優先座席に、のん気にうたた寝をしている子供達に、
朝から、すこぶる癒されました^^安心しきっている。
こんな風に私は生きたい^^・・・最高に贅沢な願望^^
2010/09/26(Sun) 05:32 | URL  | ひろぼう #-[ 編集]
素晴らしいろくろく先生の詩
おはようございます!
今回のような、ろくろく先生オリジナルの素敵な詩には、うっとりを覚えます。

さぞかし、沢山の女性を、うっとりさせていらした?^^^^今日も、一言多い憎たらしい、ひろぼうでぃす^^                                      最後の息に邪魔されないように、新しい息を常に吸い続けられる。・・・そんな人に私はなりたい。

お詫びです。

ちょっとひつこくて申し訳ありません。

陽水さんの ワカラナイ を自分の思い込みで美化して
しまいました。

陽水さん程の人なら、こんな風に感じていらtしゃるだろうと・・・勝手な解釈でした。

陽水さんは 宮沢賢治を、「媚びてる作家」 と文章に、書かれている事を知り、少しがっかりしました。

アメニモマケズは、決して、押し付けではなく、

あくまでも、私はこうでありたい。との願望です。

それは、今回のろくろく先生の願望のように・・・。

陽水さんは、宮沢賢治に、こうであれ!!と、
崇高な志を振りかざしてるかのように勘違いされている
  
まさしく、ろくろく先生が日頃から、教えて下さっている。

殆どの事が、思い込みと勘違いで成り立っている。
そのもの、ですね。???

人それぞれが、輝く星(太陽)なのに・・・
悲しかったです。

今回のろくろく先生の詩は、
私の中で、陽水さん の詩よりも、ずっと、ずっと深く
感じ、さださんの詩のように、心に染み入りました。

志はそれぞれ違えども、みんな同じ宇宙の子供達。

ならば・・・せめて、お互いの評論家には成りたくは
無いものです。

などと、背伸びをしたくなるのも、悪い癖です ^^

そんな事より、満月素晴らしく綺麗でしたね^^ ^^ ^^
2010/09/26(Sun) 05:21 | URL  | ひろぼう #Cp9r/c9I[ 編集]
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