2010年08月24日 (火) | Edit |
余命は今日(8/24)で、後130日となりました。
余すところ4か月と7日です。

暑い夏も、あと一息で終わろうとしていますが、
最後の夏であればこの暑さもまた違った気持ち
で過ごすことができるのです。こんなに暑い夏
であっても、愛おしくさえ思えて来るというの
は、なんということでしょう。

誰もが「暑いね、暑いね、今年は特別暑いね」と
言葉を交わしています。確かに炎天下、外に出れ
ばクラクラする位の暑さに違いはないのですが、
とてもなつかしくて、いとおしい。

ということは、やっぱり「もとはこちら」なんだ
ということをあらためて体験させて頂いたという
ことになりました。

外がどんなに暑くても、内にその暑さを超えた気
持ちがあれば、暑さが快感でさえある。原因は自
分にあるんだということなんだなぁ~
(熱中症には充分気を付けなければなりませんが)

ところで、どうして私たちはなんの根拠もないの
に、また来年の夏も間違いなく自分に巡って来る
と信じているのでしょうか?

それは、生れてから今日まで確実に巡り続けて来た
折々の四季が、当たり前に淡々と狂うことなくやっ
て来たからなんでしょう。それ以外の体験が無いも
のだから、死もありえないとしか思えないのでしょ
うね。

それでも、この夏のように熱中症で多くの人が亡く
なるのを毎日のように聞かされると、生と死は本当
に紙一重であり、自分のすぐ近くにも死はあるのだ
と感じられます。

natu

怖れを見つめる
(スティーヴン レヴァイン著「余命一年…だとしたら」2001年 より 74頁~)

漠然としたほんの少しでも感じられたら、
それを認めよう。
はっきり“怖れ”という名で呼ぼう。

それに心が囚われて地獄の糸をつむぎ出したら、
“わたしは怖れている”と認めよう。

“怖れ”と“怖れている”ことの違いは、
自由と隷属の違いだ。

“怖れ”は招かれもしないのにやって来る。
あなたを守るためだと信じて現れるのだが、
確かにそういう場合もたまにはある。

けれども、たいがいは、虎の襲撃や虎に食い
殺されるところを勝手に想像しているだけだ。

肉体的な危険や心理的な危険を少しでも感じ
た時に起こる条件反射であって、無意識の反
応だ。

それと向き合えば向き合うほど、その肉体反
応や心理的なパターンに私たちは気付くよう
になる。

さらに、たとえば最初の呪文が口の中でもぐ
もぐ出そうになる前に、臍の後ろでかすかな
エネルギーが渦巻くというような、ほんのわ
ずかな徴候にもすぐに気が付くようになる。

怖れが発生する時点ではまだ選択の余地があり
そうなので、そこで怖れに直面する。

怖れが最初に表面に出てくるのを眺め、次に、
誇り高く最後の息を吸い、やがて本来の有限性
ゆえに消え去るのを眺める。

kumo

次に示すのは怖れの性質や影響についての瞑想だ。
怖れが自分の中で生まれつつあると気付いたら、
かならずこの瞑想を行ってほしい。

怖れを押さえつけるのが目的ではない。
むしろその反対だ。怖れをあるがままの姿で吟味
するには、怖れが何ものにも邪魔されずに出現で
きるようにしなければならない。

怖れから身を引かないでください。
お腹をやわらかくして、
怖れの中にそっと入りましょう。
怖れと深く関わるのです。
おざなりでなく深く関わりましょう。

この心理状態に伴う肉体上のパターンや
思考のパターンを調べましょう。
この心理状態がなぜ怖れだとわかるのですか。

どんな特徴がありますか。
怖れにはどんな肉体的なパターンがありますか。
腹部はどんな様子ですか。
肛門のあたりはどうですか。

背骨や手や足の指はどうですか。
舌は口の中でどんな位置にありますか。
丸くなって口蓋にくっついてますか。
それとも歯の後ろにぴったりくっついていますか。
それとも下を向いていますか。

暗室で写真を現像するときのように、
肉体に刻まれた怖れのパターンが、
ゆっくりと現れるのを待ちましょう。

体の緊張やあちらこちらにある
しびれの位置に気付きましょう。
それを詳しく見てみましょう。

刻々と変化する思考に注意をむけましょう。
怖れとはたえず変化し続ける喪失の悲しみなのです。

この複雑なプロセスの中にある、
いくつもの心理状態に気付きましょう。

一瞬動揺して発した疑問が不安に変わり、
それが不信感になり、
やがて相手を避け疑うのを観察しましょう。

それが無力感や自信のなさに変わるのを
観察しましょう。それが攻撃的な態度や
高慢さになり、また再び不安に変わります。

怖れが変化するにまかせ、やわらかな腹の
広大な空間の中で消え去るにしましょう。
生れたり消えたりするにまかせましょう。

怖れの中に怖れるべきものはまったくありません。
怖れを真剣に吟味すると、怖れがなくなります。
そうなると、怖れが消えることよりも怖れが心を
開いて自由になることを人は願います。


余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると
(2001/12/01)
スティーヴン レヴァイン

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コメント
この記事へのコメント
おはようございます。
そうです。
荻窪風景のことです。
何気ない どこにでもある風景なのに、次元がちがうという感じなのです。
2010/08/28(Sat) 06:19 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
長谷川潾二郎
荻窪風景のことですか?
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/0530/index.html

長谷川潾二郎はどの絵も一筋縄にはいきませんね。
「干魚」もすごい。

2010/08/27(Fri) 20:12 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
長谷川さんの猫の絵もみましたよ。
あの猫の絵より、その下の風景画に目を惹かれました。
気をつけねば、あの画面の中に、引きずり込まれそうな
そんな絵でした。あ~~~鳥肌の立つような絵でした。風景の中に、まだ人物が配してあるので救われましたが、あの人物を指で隠すようにみると・・・・・・・・
2010/08/26(Thu) 13:10 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
静かな奇譚
そうか、平明・静謐・孤高-長谷川潾二郎(はせがわりんじろう)展
に行けなくても展覧会図録を送ってもらえばいいのだ。
しかしそれは890円ではなかった。

「現実は精巧に造られた夢である」と洞察した画家・長谷川潾二郎
の画文集「静かな奇譚」をアマゾンに注文。3150円

ツィートのおかげで文章をコンパクトにする習慣が出来つつあります。

2010/08/26(Thu) 10:17 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
^^^^^^^
「とんでもない人」に長い間丁寧にお付き合いしてくださり、本当にありがとうございました^^^^^

へるんさんの秘めごと・・・というタイトルで、熊本現代美術館で、八雲さんの生誕記念の展覧会が催されているということを、この方の検索のときに知り、やまんばの「おきにいり」に保存していました。カタログが送料込みで 890円とかいてあるので、送ってもらおうと思います。

脱線ですが、昨日テレビで芥川 龍之介の「鼻」のドラマを観ました。後半の解説で、この方の原点を垣間見たように感じ、黒く重いものが心に入ってまいりました。

やまんばは本当になんにも知らないのだなあ・・・
でも、これがやまんばの「ありのまま」です。  
良し、と します^^。この宇宙の法則は、私の生きるに必要なことは、かならず与えてくださると信じます。
だからこそ、神様はろくろくブログで勉強しなさいと導いてくださったのだと思います^^^^^^^
この世でのお付き合いもあと129日・・・と書いてある。
いまさらどうしようもない・・とも書かれてありますが、まま、もうちょっと、お付き合いくださいマセマセ^^^^。

2010/08/26(Thu) 07:09 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
小泉八雲ですか
なになに? 「耳なし芳一」を書いた人だと知らなかった?
ろくろくはとんでもない人と長年コメントのやり取りをして
いたんだなぁ・・・・・。(^_^;)アセアセ...

しかしこの世でのお付き合いもあと129日になってしまったし、
いまさらどうにもなりません。

小泉八雲 koizumi_yakumoのツィート(つぶやき)は17あって
一番新しいのは「10:31 PM May 24th webから」とあるから
3か月ほど前のですね。かなり不定期です。

「死人は決して全く死ぬということはない。
死人は疲れた心臓、忙しい頭脳の最も暗い
小さな室に眠っている。

そして稀に彼らの過去を呼び起こすある声の
反響によって目を覚ますのである」(『門つけ』)


もうひとつは名前はあるけれど中はからっぽでした。

2010/08/25(Wed) 15:26 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
おはようございます。
ろくろくさんがお尋ねの、やまんばが興味を持った作家の名前は「小泉 八雲」です。
毎度お馴染の「なんにもしらないやまんば」は、この人があの怖い怪談の「耳なし芳一」を書いた人だと知り、びっくり。
ろくろくさんのtwitterのどこに「小泉 八雲」あったのかなあ・・・と何回か見たのですが、ついにわかりませんでした。どこかを開き、その中の気にいったのを、またクリックし・・を繰り返していたら、この小泉さんの「言葉」にぶつかったのだと思います。その「言葉」に興味を覚えたのです。
耳なし芳一などの怪談を書いた人だとは、あとから、この方を検索してわかったことです。
耳なし芳一は、昔、なにかで映像を見たことがあり、怖ろしいなあ・・とひどく印象に残ったのを覚えています。
2010/08/25(Wed) 09:47 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
Bhaveshさん
こんにちは
お便り有難うございます。

Bhaveshさんが死の床で体験されたこと、

「私が感じたことは、眼は前を見るようにできているし、
足は前に歩いたほうが便利にできている、ということでした。」

そして、

「もし余命130日だったとしても、とにかく、前を見て、前に歩
いていこうと思います。」

など、とても印象深く読ませていただきました。
あの道元禅師の悟りを開いた時の言葉「眼横鼻直」とよく似て
いるように思いました。

読書ブログ「地球人スピリット・ジャーナル2.0」いつも読ま
せて頂いてます。色々な分野の本をご紹介くださるので、とても
有り難いです。今後ともよろしくお願いいたします。

2010/08/24(Tue) 10:30 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
やまんばさん
大丈夫です。Twitterもなかなか面白いけれども、
ろくろくブログがメインであることには変わりあ
りませんからご心配なく。

やまんばさんの「ろくろくのtwitterを覗いた時、
興味を持った作家」とは誰のことですか?
よろしければお教えください。

2010/08/24(Tue) 10:28 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ろくろくさん こんにちは
私は今から30年前、26歳のときに、余命半年(喉のガン)と宣言されました。もっとも、その時、私に告げられていた病名は軽いもので、実際にその事実を知ったのは、それから20年以上も経過してからです。家族が正月に話してくれました。
ただ、私は当時、病院に入院していて、本当に大変な状態だったので、自分でも、その死が目の前にあるんだな、ということを直感で知っていました。
で、なんども襲われる高熱のダルさの中で、私が感じたことは、眼は前を見るようにできているし、足は前に歩いたほうが便利にできている、ということでした。
誤診だったのか、何かの幸いが私の上に降ってきたのか、あるいは、今回、この世での宿題が終わってなかったからなのか、私はまだ生きています。
私は多くを望むことはあまりないですが、とにかく、前を見て、前に歩いていこうと思います。
もし余命130日だったとしても、私にはそれしかできません。
おそかれはやかれ、私達は全員死を迎えます。だけど、今でも生きている私は、生きているだけ丸儲け、と思って、普通に生きていきます。
2010/08/24(Tue) 09:30 | URL  | Bhavesh #-[ 編集]
ろくろくさんには感心しました。
ろくろくさんはパソコンでの新しい世界巡りに出かけられて、さぞかしお忙しく、当分こちらには戻ってこられないだろう^^^と思っていましたが、なかなかどうしてどうして!!!!どこに時間があるのでしょう!

さすが余命一年・・です。
きちんと生きておられるのですね~~~。

恐れ・・・今度襲ってきたときには、きちんと自分を見つめてまいります。体の反応も詳しくみてみます。

掲載の写真、気持ちの良い写真ですね。
夏休みが終わるころ、山のように溜った宿題をやりながら、いつのまにか、よだれを流して眠ってしまっていたころを思い出すような 花と空色の一こま^^^。
兄たちに叱られながら手伝ってもらった夏休み帳。
まだ青々としている植物採集帳をおずおずと提出した恥ずかしさ^^^^

我ながら、なんで早くにやっておかなかったのだろうと眠い目をこすりながら仕上げたのを懐かしく思い出す。

余命一年がこんな思いで終わらないよう、今度こそがんばるぞ~~~~!

そうそう、ろくろくさんのtwitterを覗いた時、興味を持った作家をみつけました。絵の創作しながら、ちょっと、その作家の本を読んでみようと思いました。


2010/08/24(Tue) 08:34 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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