2010年08月01日 (日) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(7)


瞑想的な心がうまれる土壌は

日常の生活のなかにあります

そこには

争いがあり

苦痛があり

つかのまの喜びがあります

瞑想は そこではじめられなくてはなりません

そこに秩序をもたらし

そこから果てしなく動いていかなくてはならないのです

meisou

瞑想瞑想
(1998/06)
J.クリシュナムルティ

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20世紀最高の哲学者クリシュナムルティの本。
彼は、既成の捉え方を否定する。
ただ見つめること。
観察すること。
注意深くあること。
静寂であること。
あなたも瞑想とは何かを知ることができるかも・・・



しかし あなたが

秩序をつくりだすことだけに関心をもつなら

その秩序そのものが限界をもたらし

心は その囚人になってしまうでしょう

このような あらゆる日々のいとなみのなかで

あなたは なんとかして

反対の側から

kawa
(フリー素材屋Hoshinoさんからお借りしました)

むこう岸から

はじめなくてはなりません

こちら岸にばかり 心を奪われていてはいけません

川をどうやって渡るか ということだけに

気をとられていてはいけません

泳ぎ方など知らなくても

水に飛びこまなくてはならないのです

瞑想の美しさというのは

自分がどこにいるのか

どこへむかっているのか

その果てになにがあるのか

けっしてわからない

ということです



次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
描いているというより、描かされている
おはようございます。
ろくろくさん、ありがとうございます。
今回のろくろくさんのコメントを読んでいくうちに、すーと、女人が浮かび上がってくるようでした。

やまんばはこう決心しました。もう二枚描こう・・・、と。

一枚は桜をありのまま、感じたまま、人物を入れずに描く。
もう一枚は桜の精そのものを描く。

そのためには、さらに
①スケッチをする。 
②梶井さんの本など、もっと本や絵に触れる。
という作業をしていかねばならないと思いました。

そして、筆を持つ時期を待つ・・・。

なぜならば、その時期は予期せぬときにやってくるからです。

桜の精の前は「牡丹の精」でした。

やまんばはなぜか、牡丹と桜に興味を覚えるのです。
「牡丹の精」はあれよあれよと筆がすすみ、気が付いたら自分が想像していたより、遥かに凄みのある「牡丹の精」が現れており、アトリエに立てかけたとき、思わず後ずさりするほどでした。(あくまでも、やまんばのレベルでということを、お忘れなく^^^)
今、思うに、牡丹はやまんばの陽の部分を、桜は陰の部分を象徴しているのではなかろうか??????

朝から、とんだおしゃべりをしてしまいました。
どちらにしても、学びはつきることがありません…溜息。

アトリエのどこかに「桜の精」がいるような気がしてなりません^^^。

2010/08/08(Sun) 06:01 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
やまんばさん
やまんばさんの「桜の園に夜佇み、ふと感じた「桜の精」」
の中には色々なものが秘められているようだな~と思った
のがキッカケで「桜の精」を検索しました。

すると間も無く、あの梶井基次郎 の「桜の樹の下には屍体
(したい)が埋まっている!」という言葉が浮かび上がって
来ました。彼の文章を読んでいると、彼が書いているという
よりかは、書かされている様な印象があって、

絵画の場合も画家が描くというのも、描かされているという
のと結局同じことなんではないのかなぁ~と思ったりしたの
です。

こうした、印象とか、感じとかいったものは、論理的でも
合理的でもないけれど、時に大切なものが含まれたりする
から面白いなあと思ったのです。

なにはともかくやまんばさんが「桜の精」をあれこれ検索
されたことによって、多少でも、いままでとは違った刺激
を受けられたならよかったです。


2010/08/07(Sat) 18:45 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ろくろくさんへ
桜の精・・たくさんの紹介、ありがとうございました。
ろくろくさんの御親切にきちんとコメントしようと思って、適切な言葉が自分の中から、湧いてくるのを、待っていました。
一応、自分でも桜の精の検索もしてみました。

しかし、なかなか言葉がみつかりませんでした。

思いますのに、コメントが遅れた原因はろくろくさんのコメントの中の
「人の心は 心の深くではすべてつながっているといいますから・・・・・自分固有の、自分だけの「桜の精」というこだわりや執着を外したほうが正しい方法なのでしょう」・・・ここにつまずいてしまったのだと思います。

いろいろ検索してみた結果、桜という花を見つめていると、あまりの美しさ、見事さに「我を忘れて見入ってしまう」状況にたくさんの方が陥ってしまわれるのだと思いました。
その結果、普段の意識のレベルが外れて、無意識の摩訶不思議な世界に足を踏み込む可能性が大きいのだと、やまんばなりに理解しました。

見た人の数だけ、桜の精は存在する。・・・ならばどうやって、自分固有の自分だけの「桜の精」というこだわりや執着をはずせばよいのだろうか???逆にいえば、やまんばが感じた桜の精以外、何をたよりに絵を描けばよいのか、皆目分からなくなってきたのです^^^^。探すのは外の世界ではなく、もっと奥深い無意識の内なる世界なのではなかろうか?そこを突き詰めていけば、共通の無意識の世界にたどりつけ、結果、自分だけにこだわらない「桜の精」に出会えるのかもしれないなあ・・とやまんばなりの答えがでてきたのです。

そういうわけで、コメントがおくれました^^^。
2010/08/07(Sat) 09:00 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
桜の森の満開の下
「桜の精」を検索してみると
色々なものがあります。

そのなかにきっとあなたの
インスピレーションの扉を開く
鍵がみつかることでしょう。

人の心は、心の深くではすべて
つながっていると言いますから、
昔話や伝承の中に潜んでいる桜の精
を見つけ出すことからはじめるのが
いいかもしてません。

自分固有の、自分だけの「桜の精」
というこだわりや執着を外した方が
正しい方法なのでしょう・・・・・


山の夜語り サクラノセイ
安曇野の林に猟に入った久兵衛は、美しい山桜の林に迷い込んだ。若く美しい女と出会い幸福の時間を過ごし、再会の約束後女の姿は消え桜も散った。里に戻って再び山へ出向いた久兵衛だが、山桜の花びらに埋もれて死体で発見され、女は桜の精と噂された。
http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/0030161.shtml

桜の精 川崎ゆきお
 樹齢四百年の山桜が倒れた。
 山の斜面で、よく生き続けたとも言える。
 里からこの桜はよく見える。
 里人はその桜があって当たり前のように思っていた。山がそこにあるように、桜もずっとそこにあるものだと疑っていなかった。
 里の風景として固定していた。
 その桜が花をつける前に倒れたのだ。斜面のため、これ以上根で支え切れなかったのだろう。
 桜の老木には桜の精が取憑くようだ。その桜から誕生した精なのか、外から来たのかは分からない。
 桜の精は、もはやこれまでと逃げ出す準備をしていた。数百年も居着いていたため、他へ移る術を忘れていた。<BR>
 ところが倒木桜を惜しむ村人が、役所を動かし、植え替える工事を始めた。
 長年里を見続け、見守ってきた桜を復活させたいためだ。
 見守っていたとすれば、桜の精だ。しかし桜の精は里など見ていなかった。
 桜の大木は、大手術を受け、ほとんど原型がなくなるほど幹も枝も切られた。
 桜の精は痛みを感じ、枝から枝へと逃げ回った。
 そして切り落とされた枝と一所に処分された。
 樹齢四百年の桜は、ずたずたに切り裂かれ、平らな場所に植え替えられた。
 里からも見えにくくなったが、里のシンボルは生き残った。
 そして桜の季節を迎え、見事開花した。倒れる前、既に花芽が出ていたので、それが開いただけだった。
 桜の精は、その近くの小さな山桜に引っ越ししていた。<BR>
 やがて新緑の季節となるが、桜の老木はうまく根から水分を組み上げられないのか、開花後は枯れ木のようになった。
 里の物知りが、桜の精のことを言い出した。
「この桜には宿っておらんから、根付かんのじゃ」
 物知りは桜の精を探すことを役所に願い出た。
 役所は里の有力者の意見を取り入れ、祈祷を頼んだ。
 近くの神社から呼ばれた神官が、よくある祝詞を歌い上げた。
 それを聞いた、近くにいた桜の精は、傷口だらけの古巣には戻る気はしなかった。
 次の春。桜は枯れてしまった。  了
http://www.kawasakiyukio.com/bun/shousetu/671.html

桜の精 【陰陽師 桜幻想】
http://shimayu.co.jp/modules/myalbum/viewcat.php?cid=12

桜の精 江原啓之 歌詞情報
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND52019/index.html

まだまだ沢山ある。

2010/08/05(Thu) 14:12 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!
桜の樹の下には
梶井基次郎



 桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

 どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、選(よ)りに選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、千里眼のように思い浮かんで来るのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。

 いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽(こま)が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱(しゃくねつ)した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心を撲(う)たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。
 しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂鬱(ゆううつ)になり、空虚な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。
 おまえ、この爛漫(らんまん)と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
 馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛(ふらん)して蛆(うじ)が湧き、堪(たま)らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪(どんらん)な蛸(たこ)のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚(あつ)めて、その液体を吸っている。
 何があんな花弁を作り、何があんな蕊(しべ)を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。
 ――おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく瞳(ひとみ)を据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
 二三日前、俺は、ここの溪(たに)へ下りて、石の上を伝い歩きしていた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげろうがアフロディットのように生まれて来て、溪の空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。おまえも知っているとおり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。しばらく歩いていると、俺は変なものに出喰(でく)わした。それは溪の水が乾いた磧(かわら)へ、小さい水溜を残している、その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。隙間なく水の面を被っている、彼らのかさなりあった翅(はね)が、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったのだ。
 俺はそれを見たとき、胸が衝(つ)かれるような気がした。墓場を発(あば)いて屍体を嗜(この)む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
 この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯(うぐいす)や四十雀(しじゅうから)も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和(なご)んでくる。
 ――おまえは腋(わき)の下を拭(ふ)いているね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のようだと思ってごらん。それで俺達の憂鬱は完成するのだ。
 ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
 今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑(の)めそうな気がする。

2010/08/05(Thu) 14:06 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
桜の精
桜の園に夜佇み、ふと感じた「桜の精」

今回の制作は4作目でした。いままでで、一番近いけど、やはり、どこかがちがう。
もっとひんやりとして、やまんばを奥の世界に誘うように、振り向きながら、私の前を歩いている・・そんな感じだった。
やまんばは桜の精を、後ろ向きのその姿勢で描くのが怖かった・・・

もう一度描こうと思う。

やまんばは園で、実際にみたのではないのだ。
・・・感じた・・・のです。
だから、姿をかくのは今度こそやめようと思う。
その「気」を描かねばならないのだと思う。

のめり込むと連れていかれそうになる・・・恐怖。
。。気がつけば、夜中の二時。。    「桜の精」は「死の世界」に住む女人


でもやまんばはどうしても諦められない・・・・・・・・・・・
・・・・・あっ、執着している。。。。。

執着していることが、わかったのなら、もう怖くない。

私が連れていかれるのではなく、なんとか説得してアトリエの中に連れてこようと思う^^^
2010/08/04(Wed) 07:46 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
おはようございます。
朝から蒸し暑いです。

ろくろくさんへ、 
「自我を無にしてすべてを受け入れること」

やまんばは、いま、ここで 理解したように思えても、体を少しでも動かした瞬間から、その言葉は忘れてしまいそうです^^^^

でもこのブログで何回も何回も、このような言葉に触れさせていただいているから、何かが起こっても、以前のように感情に支配されて、パニックになることは大変少なくなりました。 
なにかの行動を起こすとき、その行動の根本原因を見ようとしている自分がいて、少し落ち着いて行動するようになってきたと思います。

その結果、おのおのの人生は自分が書いたシナリオを、女優のように、演じているにすぎないのだなあと思えるようになりました。原因も結果も自分が決定しているのだと、少し見えるようになりました。今の人生の結果は、だれでもなく、自分の責任に他ならないのだと!

そしてあらゆる私の行動のパターンの中に、誕生してから、現在に至るまでに関わった人たち、(それこそ森羅万象すべて)見え隠れしながら、私という肉体を持った魂の舟の羅針盤になっているのだと感じます。

こうしてここで触れる言葉も、なんにもわかっていないように思えても、今からの人生に、いつかどこかで、かならず登場してくれて、私を導いてくれるのだと思います。

よき人、優れた知恵ある言葉に縁があったことに、いまさらながらに感謝しています。

それから、ひろぼうさん、やさしい言葉をありがとう!!

100号の絵の曼荼羅・・・・ひろぼうさんなら、きっと描くことが出来ると思います。なにかをやろう!としたとき、夢を実現できるのは自分自身しかいないですものね。
それを叶えてあげることは、自分を愛することに他ならないのだと思えるようになりました^^。どうぞ、楽しんで、そしてまた苦しんで^^がんばってくださいね。


2010/08/04(Wed) 07:09 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]

やまんばさん

気軽に言える事ではありませんが

お友達のご冥福を心よりお祈り申し上げますm(_ _)m

きっと、いつも、お友達はやまんばさんの魂の一部となり、いつも傍らで見守って下さる事でしょう
死は新たなる旅立ち 新たなる誕生

重ね重ねご冥福を…

瞑想=無=全=生=死=瞑想

今日の生に感謝☆
死によって救われる 人生を感謝と思いやりと忍耐を忘れずに、おもうがままに…

人類が正しい方へ導き守られますように 毎日祈りながら

曼陀羅をオリジナルな形で表現したいです。自分の中で納得いけば、いつか、百号のキャンパスに 生きた証をぶつけてみたいです。

私にとって無こそが生きた証です。

素材屋サイト
ありがとうございましたm(_ _)m
2010/08/03(Tue) 13:05 | URL  | ひろぼう #2ySkFsy6[ 編集]
瞑想 = 死
そうですね。
瞑想は、あらかじめ死を疑似体験する
ようなものかもしれません。

あなたは なんとかして
反対の側から
むこう岸から
はじめなくてはなりません

とクリシュナムルティは言います。

これは、まさに、死の側から
彼岸から、この世を見るように
しなくてはなりません、と言っている
のですね。

あの世から見るためには
自我を無にして
すべてを受け入れることに
ほかならないのです。


2010/08/02(Mon) 10:32 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ここ数日の間にやまんばはまた大切な方の死に立ち会いました。
その間日帰りで二度九州を車で往復したので、今日の言葉は少し意味合いがちがいますが、ギョッとしました^^。

写真の山と川、気持ちいい~~~ですね。
小さいころは膝くらいの深さの川で足だけバタバタさせて、よく遊んでいました。   夏の色。

記載の文を三回くらい読んだ時、後半の文面の中からふと湧いてきたものがありました。
「瞑想」という言葉のかわりに 「死の世界」という言葉を当てはめてみたらどうだろう??

ちっとも違和感がない・・・・・
だからどうした・・といわれると困るのですが・・・^^^
そう感じたものですから。
2010/08/01(Sun) 22:37 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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