2010年07月23日 (金) | Edit |
余命は今日(7/23)で、後162日となりました。
なんの苦もなく204日過ぎてしまいましたね。
まったく気にしていないかといえば、そうでは
ないですね。

今までの1年とは違っていて、計画を立てたこと
を着々と実現している自分がいます。やりたいこ
とはうやむやにしないで、妥協せずにチャレンジ
しているのです。

人との関係も、大切にするようになってきたし、
本も、これまで敬遠していた重いテーマの本など
もわりと読んでいます。

無理をしなくなったというか、ホントにやりたく
ないことはやらなくなったですね。無理をしない
ことに関しては、今までだってそうだったからっ
て言われそうですが、よりいっそう無理をしなく
なった。

soumatou

心に残る臨終の言葉
(スティーヴン レヴァイン著「余命一年…だとしたら」
より 41頁~)

・・・・・
私は家族に見守られて死んだ人を数多く見てきたが、
その人たちの最期の言葉は「愛してるよ」だった。
話すだけの力がなくなった人もいたが、目の表情や
かすかな微笑でそれと同じことを伝えた。

私は人が死んでいく場に何度も居合わせたが、そう
した時、その部屋に厳かな雰囲気が漂うのを感じた。

また、穏やかな心で死ねなかった人にも出会った。
肉体から生気が抜けて初めて深い真理を発見し、
多くの後悔や確執を残したまま死んだ人もいた。

まわりの人たちに感謝しながら死んでいった人もい
れば、まわりの人たちに赦しを請いながら死んだ人
もいる。

思い残すことや確執に向き合うことさえできなかっ
た人にとって、後者は“望ましい死に方”には思え
ないかも
しれないが、魂の観点から言えば重要な一
歩といえる。

素直な心への突破口が開かれたからだ。ある未亡人
が言ったように、「非常に遅い第一歩」だった。

なかには、死ぬ数日前や数時間前になるまで確執を
なくす努力をしようとしない人もいる。反対に、死
ぬ直前にそうしたことをあわててやるのを嫌って、
今すぐにその努力を始める人もいる。

死ぬまでに時間の余裕がある人は、この“未処理の
問題を解決する”ことが人生の完了を前にした第一
の難関だと気付く。

時間の余裕のない人は、自分がこれから去ろうとし
ている足場がいかにでこぼこで危いかに気付いて心
を痛める。

実際、自分の人生を正面から見据えて、全人的な人
間になるためにやり残したことや修復すべき人間関
係、表現しそこなった愛情や言い忘れた感情の言葉
などに気付く精神的な成長過程は、誰にとっても辛
いものだ。

だが、同時に、人生の可能性を教えてくれるすばら
しい機会だ。しかし、こうして得た洞察を自分の中
で整理して行動に移せるだけの時間や機会が誰にも
均等にあるわけではない。

ここでもまた、学ぶべきことは明白だ。人生を充実
させるためには今から死ぬ準備をするべきだ。

“時期が来たら”脳内のエンドルフィンが分泌され
て自然にそうなるだろうと期待しないでほしい。そ
の時が実際に来て発見するのは、今ここにあるもの
と同じだ。

死の床で何が起きるかは予測不可能だ。
ただ言えることは、心は普段のパターン通りに動く
傾向にあるということだ。妻のオンドリアがいつも
言うことだが「私たちは自分が生きたように死ぬ」。

・・・・・
臨終の言葉というのはその人の人生と同じように
自然に内側から出てくるものだ。今、思いやりの
ある言葉を心をこめて話しているとしたら、

そして今、自分の心を素直に表現する言葉を使っ
ているとしたら、意識の旅立ちという時に自然に
口からでてくるのもそうした言葉だろう。


余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると
(2001/12/01)
スティーヴン レヴァイン

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ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
自分が生きたように死ぬ
あまりに暑い日が続くので、
何も考えられなくなってしまいそうです。

クーラーの入った部屋に行くと
この世の天国ではないかと思ってしまいます。

でもクーラーの部屋に閉じこもっていても
負けたような気がしてしまうのは僕だけの
ことなのでしょうか・・・・・

真昼の暑い最中に外を歩くと汗がタラタラと
出てきて頭がクラクラしてくる。だけども、
生きているという充足感のようなものが感じ
られるのも本当だ。

そしてそうしたとき、白昼夢のように浮かび
上がってくる映像がある。ただひとり、真っ
白な道をとぼとぼと歩いている映像・・・・・

隣に誰かがいて手を引いてくれているように
も思うのだけれども、目に映るのは、一本の
埃っぽい白い道だけで、暑さでその道がゆら
いで見える・・・・・

手を引いてくれているのは父のようにも母の
ようにも、まったく知らないお姉さん?のよ
うにも感じられる。

ルオーのキリストと子供の絵に描かれている
「ルオーのキリスト」ような人に手を引かれ
ているような気もしてきた・・・・・

http://kugabi.fc2web.com/ruo.jpg
2010/07/24(Sat) 15:27 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ひろぼうさんへ
前回のコメントの「豆知識」で紹介された音楽のところをクリックしたけど、「ジョン レノン/イマジン」まで出るのですが、次の画面の部分をクリックすると、表示不可とでます。三つともそうでます。

以前の紹介されたのもそうなるのです。
やまんばは感想を伝えたいのですが、そういう理由で出来ないのです。
せっかく紹介してくださっているのに、コメントも出来ず、貴女がさみしい思いをされてるかもわかりませんので、このことを伝えます。やまんばは本当にパソコンが自由に使えないのです。ごめんなさいね。

そうそうさっきのやまんばのコメントで自分が今一番執着しているものは、「自分の命」でした。
それと同じくらい執着しているものは「子供の命」でしょうか。
でもやはり、神様が迎えに来られたら、ついていくことでしょう^^^^
2010/07/24(Sat) 14:02 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
提灯の写真
この写真、妙に心に残ります。文より印象的です。

この写真を写した人は几帳面な方だなあと思いました。
いいかげんな人ではなく、美に対してこだわりのある人だと感じます。
2010/07/24(Sat) 10:18 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
余命162日
やはり、死ぬ日がいつと決まっていないほうが良いですね^^^^^
やまんば昨日このブログをみていたのですが、まだ前回の執着のところに心は残っていました。
「執着とは・・・・ある物事に強く心がひかれること。心がとらわれて思いきれないこと」と書かれてある。

やまんばは、今、何に執着しているだろうか・・・・
今すぐここに、神様が迎えに来られたら、すべてを捨てて、ついていけるかなあ・・・・
なにもかも捨てていくのは、無責任みたいだけど、やっぱり、ついて行きそうに思う^^^^^

お盆が近くなり、提灯の写真(この写真の提灯を見ていると、あの世とこの世をつないでいるように見える)も掲載されており、こんな気持ちになったのかなあと思います^^^。
2010/07/24(Sat) 06:54 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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