2010年06月23日 (水) | Edit |
余命一年と思って生きる(7)

余命は今日(6/22)で、後192日となりました。
いつの間にか200日を切ってしまいましたね。

にもかかわらず、厚顔無恥というか鉄面皮というか
厚かましくも、ずうずうしく平気の平左で生きてい
おります。みなさまはいかがお過ごしですか?

ちょうど二週間ばかり前だったですが、風邪を引いて
2,3日ダウンしていました。この「余命一年…だと
したら」の31頁~に「風邪で死ぬ」という丁度ぴっ
たりの訓練法があるのを思い出したのは風邪が治って
からでありました。

とはいえ、風邪で苦しんだ感覚の冷めやらぬうちにあ
らためて風邪を利用しての死ぬ訓練のおさらいをして
おくのは(手前味噌ですが)よいタイミングだと思いま
す。


風邪で死ぬ

死ぬ訓練をするのに、病気を素直に受け入れるという
興味深い方法がある。風邪をひいたりインフルエンザ
にかかったりしたら、不快感に対して抵抗を和らげる
機会として病気を利用する方法だ。

そして抵抗すると痛みが苦しみに変わり、不快が耐え
がたいものに変化するのを観察する。痛みが喪失の悲
しみを呼び寄せる様子に気付く。

傷む体の中で影が集まるのを観察して、影が愚痴をこ
ぼし自分を憐れんでぶつぶつ言う声に耳を澄ますのだ。


hon01

痛みへの恐れがあると、自己憐憫が生れる。痛みをや
さしく包んでやると、共感が生れる。痛みから逃れよ
うとすると、無力感を味わう。

感覚の原点に照準を合わせて素直に向き合い、一時的
に感覚が継承したものを拒否する代わりにやさしく受
容する態度を見せると、そこに共感が生れ、さらには
感謝の気持ちさえ生れる。――感謝の念はたぶんやさ
しい受容に対してだろう――

病気になったり頭痛がするたびに、気分を紛らわせよ
うとテレビやステレオのスイッチを入れる代わりに、
あるがままの瞬間に静かに意識を向けて、その不快感
に穏やかに接してみよう。

私たちは不愉快なものから目をそむけるように訓練さ
れてきた。その条件づけを破るのだ。本人の自覚を制
限するようなものは何であれ、癒しを制限する。

・・・・・
不快感に抵抗する代わりにそれに応じるようになると、
劇的変化が起きる。痛みを、単に“自分”の痛みでは
なく、“普遍的”な痛みとして感じるようになる。

すると、以前には考えもつかなかったような次元での
共感がわいてくる。“私”のガンではなく、“普遍的”
なガンだとしたら、同じ病気で悩む人たちの気持ちが
わかる。

そして、ガンから何とか逃れようとして逃れられずに
無力感を味わって、痛みを苦しみに変える代わりに、
ガン一般に対して共感の気持ちを送ることができる。

こうして“個人的なものを普遍的な次元で体験できる”
ようになると、“普遍的な精神”と呼べるものの中で
肩の荷が下りたような気持になる。

“私”の憂欝、“私”のガン、“私”のエイズで悩ん
でいる時には、偉大なる慰めの根源から“私”は切り
離されている。人は自分の苦しみにがんじがらめにな
っていて、それを助け出すことはできない。

ところが、“普遍的”な憂欝であれば、もう少し客観
的に見られるようになって、調べてみようかという気
になる。

“私”の無価値観であれば、私にはそれを調べるだけ
の価値がないと思ってしまう。けれども一般的な無価
値観であれば、じつに多くの人たちが悩んでいること
でもあり、自然に共感と思いやりがわいてくる。

人を愛せるようになる前にまず自分自身を愛さなけれ
ばならないとはよく言われることだ。それは確かにそ
うだ。ただ、その逆も同じく真理だ。

自分自身を愛せるようになる前に、自分というものが
わかる前に、まず人を愛さなければならない。私たち
の置かれた状況の普遍性が理解できると、癒しの可能
性に道が開ける。

問題は自分の心でもなく自分の痛みでもなく、精神や
痛みそのものにそなわる性質のせいなのだとわかった
日を境として、私と痛みとの関係が永遠に変化した。

普遍的な痛みであれば、宇宙全体を漂う痛みになるが、
“私”の痛みであれば、私は独りその中にたたずむし
かない。

不快感に素直に向き合おう。不快感を怖れず、憐みの
気持ちで接しよう。痛みが私たちの受容を最も必要と
する時に、私たちは一番それを避けようとする傾向が
あることに気付こう。

態度を和らげ、中に入り、探求し、さらに態度を和ら
げて、人生を深く味わう余地を生み出そうではないか。

今度風邪を引いたら、“死ぬ練習”をしよう。
そしてすっかり抵抗を捨てたやすらぎの中で、死の不
安がさまざまな筋書きを伴って頭の中を飛び交うのを
観察しよう。

一息吸うたびに、それが最後の息かもしれない
と思って呼吸しよう。

自分の一生が走馬灯のように映し出されるのを
見てみよう。

やり残したことが何かあっただろうか。あったら、
今度さわやかな気分の日にそれを実行しよう。
生きる練習をするのだ。


余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると
(2001/12/01)
スティーヴン レヴァイン

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コメント
この記事へのコメント
元気ですよ^^・・・中間報告です。
ろくろくさん、ひろぼうさん、みなさん、お久しぶりです。

やまんば、さきほど水墨画(色紙)の十牛図10枚と、その一枚一枚に相当する日本画での(心の旅)を描き終えました。(心の旅のシリーズは9枚で、最後の10枚目は今は描けません)まだまだ描けないと思っていましたが、筆を握ると我ながら信じられないほどのスピードで描くことが出来ました。
傍ら、腰かけ程度で日本画で桜も描いていますが、やっと十牛図が終了したので、今度はこちらに気持が集中して入ることが出来ることでしょう^^余命1年という話がなければ、まだまだ描けなかったと思います。このブログの存在のお陰です。ありがとうございます。

ろくろくさんはお元気そうでなによりです。
やまんばはサッカーはあまりみませんのでよくわかりません。みなさんがものすごく熱狂しておられるのが、やまんばの筆の運びの加速になんらかの関係あるかもしれません^^。

ではまた桜が終了しましたら、コメントさせていただきます!

2010/06/26(Sat) 19:06 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
寝不足の日々
みなさんお元気ですか?

ろくろくはと言いますと、
すっかりW杯サッカーにはまってしまい
寝不足の日々がつづいているのであります。

当初はまったく期待されていなかった
日本代表が決勝T進出できると考えた人は
すくなかったっかもしれませんね。

それにしても、前回優勝したイタリアや
準優勝のフランスが見るも無残な負け方を
するのを見るにつけ「驕る平家は久しからず」
なのだなぁと感じ入っています。

そういう意味で岡田ジャパンは、驕りは欠片
ほどもありませんから、スッキリ、サッパリ
のびのびと、プレーしているところが好感が
持てます。チームとしてのまとまりもあって、
守備力も抜群ですね。

今までの日本代表と違い、とてもクールに試
合を進めているところがあって、安心して見
ていることができます。

次回のパラグアイ戦はなかなか厳しい試合に
なりそうですが、なんとか乗り越えて、もう
1つ上のステップに立ってもらいたいですね。

2010/06/26(Sat) 10:27 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
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