2010年05月03日 (月) | Edit |
岸田秀著「ふきよせ雑文集」文芸春秋より(4)

男が女を口説く例で言えば、女を口説いているとき、
男にとっては、女を得ることそれ自体よりも、
「女にもてる男」だとみんなに羨ましがられ、

賞賛されることによって男としての自我を
確認することのほうが重要になりがちである。

講師の例で言えば、聴衆に自分の意見を公表する
ことよりも、うまい講演をして聴衆に賞賛される
ことによって自我を確認することのほうが
重要になりがちである。

そうなると、女を得るとか聴衆を説得するとかの
目標は忘れ去られ、見えているのは自分の
自我だけになる。


相手の女や聴衆は自分の自我を支える背景に
すぎなくなる。自分は相手の女や聴衆を背景に
押しやり、無視している。

しかし、自我の確認のためには彼らに
受け容れられることが必要である。

つまり、自分が無視しているものに
自分が受け容れられなければならない
わけである。

彼らに受け容れられるためには
彼らを重視しなければならない。
この矛盾と葛藤がますます緊張を高める。


ぱんだ

rio's story レッサーパンダアルバム」からお借りしました。



・・・・・・
要するに、自我をもつ人間は、
何らかの目標をめざすとき、

同時にその目標を実現して他者の是認や賞賛を
得る自我をもめざさざるを得ないのであり、
それゆえ、人間に特有なし方で多かれ少なかれ
緊張せざるを得ないのである。

緊張は疲れるし、苦しい。快い緊張というものも
あるかもしれないが、それは目標が実現したときの
喜びに対する期待の快感であって、
緊張そのものは苦しい。

緊張が苦しいのは他者に承認されると予想される
固定したパターンに無理に自分をはめ込もうと
するからである。

自分という存在全体は、もちろん、そのような
固定したパターンにはいり切らず、
多大の部分がはみ出す。

そのはみ出した部分をそのパターンから排除し、
押しのけておかねばならないので、
緊張は苦しいのである。

緊張するとわれわれが固くなるのは、
固定したパターンを自分に押し付け、
自分で自分を固めているのである。

このことは、目標の実現に関して逆効果になる
ことがしばしばあるが・・・・・・。

このように疲れる、苦しい緊張の状態なんか
わざわざ求めなくてもいいではないかと考えられ
るかもしれないが、しかし、そうはゆかない。

すでに述べたように、自我は絶えずその存在価値、
正当性などを他者の承認を介して確認しつづける
のでなければ崩れてしまう不安定なものであるから、

絶えず何らかの目標をめざしていなければ
ならないのである。


・・・・・・
自我というものは、過去から現在を経て未来へと
流れる時間のなかにおけるひとつの形であり、
この形は過去に起源をもち、

未来にめざす目標を持っていてこそ
形として成り立つのであって、
過去を失っても未来を失っても崩壊する。

たとえば石は現在という時点だけでも
石として存在しているが、自我は石のように
空間に場所を占めているのではなく、

時間のなかに棲んでいるのだから、
時間が現在という時点に限定されたなら、
無に転落する。

それは、メロディというものが現在という
時点だけで成り立たないのと同じである。


次回につづく


ふき寄せ雑文集 (文春文庫)ふき寄せ雑文集 (文春文庫)
(1997/05)
岸田 秀

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