2010年04月20日 (火) | Edit |
余命一年と思って生きる(5)


こうして死というものをあらかじめ受け入れて生活を
していると、とてもシンプルな生き方ができるように
なっている自分に気づいていきます。

TVドラマ、映画、小説、詩、のほとんどのテーマが
愛と死とからできていることに改めて気づかされます。
生きるということはほんのひとときの輝きなんだなぁ・・・

さて今回は「余命一年…だとしたら」の本の89頁~
の「死ぬ行為」をとりあげてみました。


死ぬということは次のようなものだ。

自分が軽くなり、大きく広がり、自由に浮かんでいる感じ。
やわらかなため息を一つつくだけの人もいれば、
少しずつ昇っていく人もいる。

どちらでもかまわない。
どちらも思いがけない喜びに心が躍動し、
どちらも行くべきところに行き着く。


余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると
(2001/12/01)
スティーヴン レヴァイン

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しかし巨大なアイロニーが死にゆく者と
生きている者を分かつ。
空間に鏡があるようなものだ。

実際は見かけとは違う。
肉体機能が一つなくなるたびに、
内なるものが解放されていく。
死の徴候が一つ現れるたびに、
自分の中に生気が次第に増してくる。

瞑想の時もそうだが、
死ぬ時は、深く入れば入るほど自分の境界がぼやけてくる。
そして自分の実在を深く感じる。

体が動かないこと、それが死の最初の外的徴候だ。
だが、固体の要素が解体していくにつれて、
何ものにも縛られない感じがして来て、
痛みが消え、新しい自由な動きが生れる。
それは窮屈な靴を脱いだような感覚だ。

次に血液の流れが止まる。
体液の要素が生命エネルギーとともに去って行くにつれて、
自分の中に流動性が高まってくる。
岩ではなく、海になったような気がしてくる。

肉体が冷え、火の要素が心臓に集中して、
頭のてっぺんから出て行く。
上昇していく気がする。
太陽に照りつけられた高速道路から蒸気が昇って行くように。

最後に肉体は硬くなり、
空気の要素が大気に消え去るとともに、
肉というより大理石のように見える。
同時に、軽いものがより軽いものの中に広がっていく。

死ぬ行為を超えて死に入り、
無限の可能性が限りなく広がる感覚が
内なるプロセスを推し進めていく。


肉体を捨てるのは氷の塊が解けるのを眺めるのと似ている。
自分を定義してきた影を失って、
流動体の根源に戻り、
忽然と蒸発して消え去る。
目には見えないが永遠に存在する部屋を満たすほど広がる。
氷の塊のように、私たちは外から見ると劇的な変化を遂げる。

しかし私たちの本質はそれには影響されない。
氷の塊だったものは今でも完全にH2Oだ。
そして私たちは今でもなお巨大な“名付けられないもの”だ。

死に向かって死ぬとはそういうこと。
死となると、これはまた全然違う問題。
どちらにしても、オンドリアが言うように、
人生とは一番きめの粗い存在のあり方なのだ。


以上「死ぬ行為」の89頁~92頁の全文でした。
スティーヴン レヴァインさんはまるで実際に体験したかの
ようなリアリティ溢れる言葉で語ってくれていますが、
みなさんはどの様に感じられましたか?


A Year to Live: How To Live This Year As If It Were Your LastA Year to Live: How To Live This Year As If It Were Your Last
(2005/11/30)
Stephen Levine

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コメント
この記事へのコメント
あるがままに感謝
『立派な死』は私を真に死への恐怖から解放して頂けた素晴らしい瞬間でした☆
宗教でも無く 信仰心でも無く、自分の意志で死をコントロール出来る&西行様の願わくば桜の下での死は、正に私の兼ねてからの夢物語でした。死をコントロール出来てこそ恐怖が無くなる&生に執着も出来る。執着心は悪にも善にも生りうる心ですが、執着心を貫いてなし得る事がある事に大変感銘致しました(;_;)
『希望』については
、全ては、なるべくして成りたいように勝手に成るから、安心して下さい。と伝えたかったのですが、ひねくれ者は私の方ですね(笑)

私に取っての『希望』はシンプルな[パンドラの箱]から、感じた詩ですf^_^;
人ベンに夢と書いて儚いとあります。私は人類も立派な自然界の一部で在りながら、我心や慢心が自らの居場所を無くさないかと、心配して居ましたが、地球は人間が思う程、全く大丈夫な訳で地球上で生かされている間は あれこれ策を煉らずとも成りたい未来に自然に成れると言う意味の『希望』の詩を書かせて頂きました。それは世界規模であり、個人的でもあります。

ろくろく先生とは、根低で理解しあえているつもりでしたが 生意気で申し訳ありません…m(_ _)m

ただ…こんな稚拙で生意気な自分も大好きなんです(^w^)

我がままとは、我がのまま…だけどみんなも我がのまま…

譲り合いの思いやりを忘れなければ、我がのままで良いと思っています。間違っていたら教えて下さい。次回のブログを楽しみにしています
のん気は万能薬(南さんより)

しんどい時はしんどい様に(トキノ実祖母より)

六道は生きてる内に通る道(ひろぼう)
ろくろく様、人たる道を教えて下さい。
2010/04/23(Fri) 21:01 | URL  | ひろぼう #2ySkFsy6[ 編集]
希望
ひろぼうさんの「希望」の詩を読んで感じたのは、ある意味で
もうすっかりひねくれ者になってしまったろくろくです。

「希望」という言葉ですぐに思い起こされるのは
クリシュナムルティなのです。

クリシュナムルティは「希望は最も恐るべきものだ」
と言います。「あるがままを、あるがままに見る」ことを
阻む大きな障壁が「未来への希望」だからです。

「ああなりたい、こうなりたい」という願望こそが、
苦しみのはじまりであるということに気づいてしまった。

そして平和は「あるがままを、あるがままに受け入れる」
ことに違いないのです。

2010/04/23(Fri) 15:28 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
色鉛筆指頭画
トップに「デジカメ散歩日記」が検索されました。
http://kannnon.blog11.fc2.com/blog-entry-549.html

柔らかいタッチの素敵な絵ですね。

色鉛筆をテレピン油で溶かすのですか。
テレピン油は油絵にも使われている油ですよね。
ちょっとためしてみたくなりなりました。

しかし、ろくろくの油絵の道具一式は何処にあるのでしょう?

2010/04/23(Fri) 14:38 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
2年間ろくろくブログオンリー派
ひろぼうさんは、ここ2年間ろくろくブログオンリーですか?
有り難いことです。(;^_^A アセアセ・・・

『立派な死』のどこのところがよかったですか? 
よろしければお教えください。

2010/04/23(Fri) 14:11 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
色鉛筆指頭画
ひろぼうさん、紹介ありがとうございました。
やまんばも自分で検索して見させていただきました。

ほんとうにほのぼのと温かな画面でした。

今度からなんでも自分で調べてから、それでもわからなければ、質問することにしました。ついここではろくろくさんがなんでも詳しいから、安易に質問していました。
お手数かけてごめんなさい。

それから、やまんばの絵は自分のためにだけ描く絵ですので、とても皆さんに見ていただける絵ではありません。謙遜で言うのではありません。
本当にお見せできるような絵ではないのです。
筆を持ってるとなんだか機嫌がよくなるのです^^^^^
2010/04/23(Fri) 09:04 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
希望
希望を叶える為に

時と夢は信じ合う

素敵な未来に会えますように     夢と時は愛し合う
2010/04/22(Thu) 18:15 | URL  | ひろぼう #2ySkFsy6[ 編集]
色鉛筆指頭画
やまんばさんo(^-^)o
お返事遅くなり申し訳ありませんm(_ _)m&素敵な感想コメントに感謝感激恐縮の嵐ですぅ~(*^o^*)

早速にお返事下さり幸せ幸せ♪♪♪

素晴らしい作品を創造されてらっしゃり想いを馳せています
私は友達以外では、2年間ろくろく先生のブログオンリー派です!♪出会った理解して頂けそうな方のみに『ろくろくブログ』を紹介させて頂いています。(^w^)
正真正銘ブログ初コメントに…ドキドキでした…ありがとうございますm(_ _)m

色鉛筆指頭について
☆色鉛筆を紙にこすりつけて テレピンオイルを指を使って布(メリヤス)に付けた物で、紙にこすりつけた色鉛筆を溶かして 指で布ごしに直接ケント紙に描いていきます。

分かりにくい説明ですみませんf^_^;

作品は ろくろく先生に聞いて検索してパソから覗いてやって下さい♪

やまんばさんの作品も是非是非♪拝見したいです。宜しくお願い致しますm(_ _)m
2010/04/22(Thu) 17:52 | URL  | ひろぼう #2ySkFsy6[ 編集]
死は眠る様に
1日一生と言われますが、私が想うに、自宅であれ、病院であれ、桜の木の下であれ、路上であれ、しの瞬間まで意識を持つのは不可能な方が自然体です。たとえ尊敬する、お釈迦様でさえも、やはり眠るように死なれたと思われ、故に…その瞬間はむしろ自覚が無い方が幸せです。気持ち良いです。
生ある内の全に感謝出来る魂は、脳の自覚を超越して、やり残した事を病気で意識の無い状態でも、己の魂が成さしめんと導き、『ありがとう』の全てへの感謝の心も魂は死を迎える前に十二分に感じている様に想います
例えば、そろそろ寝ようかな?と思った瞬間に意識せずとも心で想ったり念じる事無く生きとし生ける全ての魂が生への感謝をしてから眠りに入ると感じています。…ってf^_^; 私が人一倍 孤独死を恐れていましたが、ろくろく様の『立派な死』に出会えたおかげで今日のコメントが書けました。感謝
2010/04/22(Thu) 17:00 | URL  | ひろぼう #2ySkFsy6[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/04/22(Thu) 07:41 |   |  #[ 編集]
死への恐怖
そうですね、100%ではないですが、
もう以前のような恐怖心はなくなりました。 

拠り所としていた自己に一貫性がないということですからね。
自己が自己保身のために恐怖心を煽っているようなところが
あるのではないでしょうか。

観察し続けていると自己や意識や思考というものは、
一貫して安定して我々を支えているわけではないのですね・・・





2010/04/21(Wed) 13:06 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ひろぼうさん
はじめまして

そうですね、出来ることなら、限りある生を笑って笑って生きたいですね。

「どの道…最後は自分の生に『ありがとう』で終われますから」

とありますが、
最期は感謝の気持ちで締めくくりたいものです。
一番の問題は死ぬ時の私は、今の私とは違う、
ということです。願わくば死ぬときまで意識をしっかりと
していたいものです。



2010/04/21(Wed) 11:30 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
おはようございます。
今朝は婆ちゃんの介護に少し時間がかかりました。
おはようございます・・ではなく・・おそようございますですね^^^^

やまんばはさきほど、ひろぼうさんにもコメントしたのですが、昨日はドウサ引きの紙を乾かしながら、たまたま日曜日に手にした臨死体験(下)立花 隆さんの本を読んでいました。(上)は読んでいません。
そこにも似たようなことが書かれていました。

そこでふっと思ったのですが、以前ろくろくさんは死への恐怖があったと書かれてありましたが、もうそれからはすっかり解放されましたか?
2010/04/21(Wed) 10:53 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
シンプルと笑い
この世界で絶対と言えるのは死のみです
出来れば、限りある生を笑って笑っておもうがままに…

どの道…最後は自分の生に『ありがとう』で終われますから… 感謝 合掌
2010/04/20(Tue) 13:04 | URL  | ひろぼう #2ySkFsy6[ 編集]
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