2010年04月16日 (金) | Edit |
余命一年と思って生きる(4)

余命は259日となりましたが、
今回は、最近まとめ読みしている正木晃さんの
本の中から「立派な死」文藝春秋をご紹介します。

超高齢化社会にあって、自らの死をどう迎えるのか。
宗教家たちの晩年に格好のヒントがある。空海、最澄、法然、
親鸞、藤原道長、一遍、西行ら偉大な宗教家を例にして、
理想の死に方を考える。

目次
死に方を学ぶ理由
空海の入定
最澄の一念
法然の往生
親鸞の自然法爾
藤原道長の下品下生
日蓮の感謝
一遍の安心
西行の執着
あなたが選ぶ死に方は?

今日は、上記目次の下から二つ目の「西行の執着」
を取り上げてみました。西行にはあの有名な、

 願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃

(できることなら、お釈迦様が入滅されたという、春(旧暦)
は二月の満月のころに、桜の花の下で死にたい)


という歌がありますが、辞世ではありません。亡くなる十
年前のことだという。この歌で西行は、おのれの理想の死
に方を提示した。見方によれば、死を演出しようとした。


立派な死立派な死
(2005/05/10)
正木 晃

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そして文治6年(1190年)2月16日(この日が満月らしい)に
大阪府の南河内町の弘川寺で亡くなった。歌の通りに亡く
なったので、当時の人々はたいへん驚き、藤原俊成は

「かの上人、先年に桜の歌多くよみける中に、

 願はくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃

かくよみたりしを、をかしく見給へしほどに、つひに如月
十六日望月終り遂げけることは、いとあはれにありがたく
おぼえて、物に書きつけ侍る

 願ひ置きし花の下にて終りけり蓮の上もたがはざるらむ

(西行殿はかねて願っておられたとおり、桜の花の下で亡
くなられた。極楽往生は間違いない)
と歌っております。

西行の臨終はみごとなものであり、事実であったが、正木
晃さんは、恩師の山折哲雄氏から直接聞いた話として次の
ように仰っている。

「西行は最後の段階で断食行を試みたのではないか」

つまり、かねて詠み、識者の間ではすっかり有名になって
いた「願はくは花のした・・・・・」の歌において宣言し
たとおりの死を迎えるために、食を断った。

・・・・・この世における望みが思い通りに成就し、もう
これでいいだろうと考えた時点で、断食行に入った可能性
が高い。もともと真言密教の僧侶だから、宗祖の空海の死
に方を熟知していたに違いない。空海は、晩年に至り、食
を断って入滅した。その顰(ひそ)みにならったわけである。

・・・・・聞くところによれば、断食を続けて体力を十分
に落としたうえで、最期の余力だけを残しておき、いざこ
のときに死のうと思った瞬間、呼吸法を駆使して自らの意
志により心臓を止めてしまう秘法があるらしい。

もちろん断言できないが、西行はこういう方法を使ったか
もしれない。おのれの死を、ここまでみごとに演出した人
物は、西行をおいていない。


西行の死に方から、私たちは何を学ぶか。

それは、一つのことに執着すること、こだわりつづけるこ
との強さであり、その強さが一人の人間の死を幸せなもの
にするという点であろう。

西行の歌に対する執着は、尋常ではなかった。・・・さらに、
その臨終までを歌にもとづいて演出した。早い時期からあらか
じめ自分の臨終の日を宣言し、ほぼそのとおりに死んでみせた
のだから、たいしたものといわざるをえない。

当時の人々も、西行の最期を絶賛している。尋常ならざる執念
がみごと実を結び、かえってあらゆる執着から解放されたかの
ような、そんなすがすがしさすら感じられる。

・・・ところで、私たちには無我夢中になれるものがあるだろ
うか。それさえあれば、西行の顰にならって、私たちでも幸せ
な死に方ができる可能性があるのだが。

こういうと、なにやらとても難しそうに聞こえるが、そんなこ
とはない。その人さえ、無我夢中になれさえしたらいいのであ
る。他人の思惑など、まったくどうでもいい。その無我夢中の
彼方に、無心が待っていて、そのさらに向こう側に幸せな死が
待っている。


充分にまとめきれませんでした。ゴメンナサイ。詳細は是非とも
「立派な死」をご覧ください。文藝春秋のサイト「自著を語る」
で正木晃さんご本人が「立派な死」を書くに至った背景などを話
しておられますのでこちらの方もどうぞ。


 昨今は、人生八〇年を超える時代をむかえて、どういう死に方をするか。そして、死に至るまでの時間をどう生きるか。この問題に悩んでいる人は、けっして少なくない。この種の悩みのなかでも切実なのは、男性なら、定年退職したあとの時間の過ごし方、女性なら、定年退職して時間をもてあましている夫との時間の過ごし方である。癌みたいな死に至る病にかかって、途方に暮れる人もいる。

 ようするに、この問題はなにも私に限らず、日本人の多くがかかえている難問にほかならない。しかも、宗教学という分野を選んで研究活動をつづけてきたからには、私にはこの問題について、少しでも役に立つ知見や情報を発信する責務があるかもしれない……。

 そんな考えもあって、この問題に、日本仏教の智恵を拝借しながら、取り組んでみた結果が、本書である。

 問題を解く鍵は、先人たちの死に方にあると私は考えている。立派な死に方ができた先人たちを、いわばモデルケースとして、学ぶことから始めたら良いのではないか。立派な死に方ができなかった先人もまた、反面教師として学ぶに価するのではないか。

 ここでご紹介する死に方のモデルケースは、日本仏教の祖師たちを中心に、つごう九人におよぶ。具体的に名をあげると、空海・最澄・法然・親鸞・日蓮・一遍。それに西行と藤原道長が加わり、最後の一人はブッダとなっている。

 祖師やブッダというと、みなそろってさぞかし立派な死に方をしたと考えられがちだが、実はそうでもない。けっこう深刻な悩みをかかえつつ、死を迎えている。なかには、『立派な死』の看板に偽りありと文句を付けられかねないくらい、惨憺たる最晩年を送らざるをえなかった人物もいる。

 しかし、いかに悲惨な状況にあっても、彼らは死から逃げなかった。死を真っ向から見つめつつ、最後の最後まで、懸命に生きつづけた。そこのあたりが立派なのである。誰の眼から見ても完璧かつ幸福な死に方ゆえに、立派なのではない。

 ご存じのとおり、「学ぶ」の原義は「真似(まね)ぶ」である。したがって、この人たちの死に方のなかから、自分の気に入った人や事例を選び出して、それを多少なりとも真似することから始めたらいい。なにしろ、この人たちもブッダの死に方を真似することから始めたのだから。むろん、全部が全部、真似できるはずもないが、それでもなにがしか役に立つことはまちがいない。

 そうすれば、私たちにも立派な死に方ができるかもしれない。少なくとも、多少なりともましな死に方ができるかもしれない。

 かくして、もし死に方が少しでもわかれば、死に至るまでの時間は、それまでとは比較にならないくらい、生き生きした意味をもってくるとおもわれる。いわば死に方から逆算して、生き方を充実させる。本書は、そういう生と死のあり方を、提案したいのである。

文藝春秋|本の話より|自著を語る


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コメント
この記事へのコメント
はじめまして  ひろぼうさん^^^
おはようございます。

やまんばを名指ししてくださり、びっくり うれしく どぎまぎ^^^^^いろんな感情を味わいました。

文面から、とても繊細で、観察力もあり、詩人だなあと感心しました。
(巨大なレインボーの日輪・幸せの黄色い小花{満天草}・黄色の天の河・七枚の桜の花びらと猫たち)
これだけで、絵が一枚浮かびます。
あなたの生活の息使いが感じられるような文でした^^^

一つ質問なのですが、色鉛筆指頭画ってどのような絵なのですか?

そうそう、やまんばの昨日ですが、麻紙にドウサ(にじみ止め)をしました。すでにドウサ引きの紙も販売されているのですが、少しでも節約して、ほかに回しています^^

麻紙の大きさは2m×3m。アトリエの机や荷物をどけて、ぎりぎりいっぱいです^^乾くのが一日かかり、今二度目が乾きかけています。(この大きさの絵を描くのではありませんよ^^、必要な大きさに切って使います)

やまんばは大体毎朝一度はここにやってくるのですが、
すぐにコメントしなくて、一日か二日、思いを発酵させてからコメントすることが多くなりました。

やまんばは「待つ」ことがとても好きになりました。

慌てて行動せずに、なんとなく「今がいいかな?」という感覚がうまれてきたら、行動に移す。そうすると、あんまり無理なく生きれるような気がするからです^^^

コメントが長くなりました。

これからもどうぞよろしくお願いいたします^^^^

2010/04/21(Wed) 10:39 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
桜 最高~♪
やまんばさん♪初めましてm(_ _)mひろぼうですo(^-^)o宜しくです(^w^)

今年は変な気候ですが、桜が地球は大丈夫と教えてくれました。花見にいった時、たまたま、ここに座ろうかな♪と決めた時、頭上に巨大なレインボーの日輪が… そして十年前に真っ黄色と桜色のコントラストがみごとだったのに、菜の花ハンターに全て菜の花を採られて、ここ数年間丸裸だった菜の花畑がみごとに復活して、私が命名した図鑑に載ってない幸せの黄色い小花が地面にびっしりビックリ(^O^) 分厚い図鑑で調べても載ってない名もない花群生に『幸せ忘れな草(満天草)』上から見ると、黄色い天の河みたいでした(;_;)自然界は逞しく凛としています。早速 色鉛筆指頭画で描いてみたくてウズウズしてます(^w^)ちなみに、私の小さな小さなマンションお城のベランダに毎年真ん前の桜の花びらが沢山沢山来てくれて、猫達もおお喜び♪今年は八枚の花びらだけがベランダにお越し下さり、寂しかったので、主人がペイネの画集に八枚の花びらを挟んでくれました(^w^)桜は日本の心ですね♪日本画は日本の
魂ですね!若かりし頃、一度チャレンジしましたが、コストと難しさにダウン。
日本画の色彩と構図
は素晴らしいです♪ 岩で絵の具を造る知恵は唯一無二の日本画たる品格ですね♪ やまんばさんの昨日を拝見したいです♪
2010/04/20(Tue) 14:16 | URL  | ひろぼう #2ySkFsy6[ 編集]
おはようございます^^
この画面で大丈夫ですよ。ちゃんと見れます。

やさしい気持ちになれるし、文字が見やすいです。

しかし、色の変化とはすごいですね。内容は同じなのに

全くちがった雰囲気を感じさせますね^^

2010/04/17(Sat) 05:49 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
無我夢中になれること
西行は死の間際まで歌に無我夢中になれました。

やまんばさんは日本画に死の間際まで無我夢中に
なれるからよいですね。

ろくろくは、そうですね・・・死の間際まで・・・・・う~ん
そのときそのときの事に無我夢中になるのでしょうね。

ところで今現在のkeroのテンプレートはいかがですか?
身近な人たちには結構人気があるようですが

ろくろくの古い方のパソコンではこのkeroのテンプレート
だとブログの画面がちゃんとでません。(^。^;)

テンプレートの画面設定を変えればいいのですが、
その仕方がよくわからないのです。

わたしの他の3つのパソコンでは、このkeroのテン
プレートでもちゃんとした画面に見えるのですが、
やまんばさんのパソコンはいかがですか?

実はわたしもkeroのテンプレートが気に入っている
のです。









2010/04/16(Fri) 21:33 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
死に方から逆算して生き方を充実させる
おはようございます。

やまんば、今朝やっと桜のスケッチが終わりました。

今年は桜の枝を時期を変えて一本ずつ、合計三本いただき、うれしくてうれしくて、合い間をぬってはスケッチしていました。

三分咲きからはじまり、八分咲き、満開そして、それらが散り始めて、いよいよ最後を迎える今朝の日まで
やまんばは楽しく桜と共に過ごさせていただきました。

少しずつの変化をみました。
最初は初々しく、次第に華やかに、そして終わりは、芯が紅色に染まり、なんとも美しかったです。

ちょうど、今日のブログの内容を桜で学ばせていただいたようにおもいました。

桜は考えてはいない
ただ、おかれた場所で変化を受け入れ、最後を迎えていました。
その素直さが本当にすてきだなあと思いました。

やまんばも桜の時期に死にたいなあと思いました^^^^

そうそう、今日のブログの背景の色も桜を美しくさせる色でしたね^^^。



2010/04/16(Fri) 06:27 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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