2010年02月08日 (月) | Edit |
前回の岸田秀「ふきよせ雑文集」では
「前世の因縁とか親の因果といった考え方が
近代科学によってぶっこわされてしまった」
とありましたが、わたしは壊されてはいない
と思います。

馬でいえば、サラブレッドは、競馬で勝つこと
を目的としてイギリスで品種改良された馬です。
血統が重要なため、1頭1頭に血統書がついていて
両親だけでなく、その家系すべてを調べることが
出来るのだそうですね。

ですからサラブレッドは、何世代もの因縁や親の
因果のかたまりで出来ているようなものです。
犬や猫の品種改良もご存じの通り進んでいますよね。
いまではありきたりの犬ではつまらないというので、
ミックス犬というのが相当に出回っています。

人間も血統書がついていらっしゃるのが色々とあっ
たりして世の中いろいろ面白いのであります。

さて今回のお話は「縁起」です。
縁起は、因縁生起(いんねんしょうき)の略で、
他との関係が縁となって果<結果>がおこるという
仏教の根本思想です。

この世におけるあらゆる現象は、全て因(直接原因)
と縁(間接原因)が関係しあって、それぞれ関わり
合って生起しているという意味です。


親鸞聖人
親鸞聖人

あるとき親鸞聖人が弟子の唯円房に言われました。

「唯円房は我が言うことをば信ずるか」と、仰せの
候らいし間、「さん候」と、申し候いしかば、
「さらば、言わんこと違うまじきか」と、重ねて仰
せの候いし間、謹んで領状申して候いしかば、

「例えば、人を千人殺してんや、しからば往生は
一定すべし」と仰せ候らいし。

「唯円房よ。この親鸞の言葉を信じるか」と。
唯円は応えた。「はい、信じます」

親鸞聖人は重ねて言われた。
「その言葉に間違いはないな」と。
唯円は言った。「決して間違いありません」と。

親鸞聖人は言った。
「それでは人を千人殺してみなさい。
そうすれば必ず極楽浄土に往生するだろう」

唯円は「先生の仰せではありますが、私の力では
一人といえど殺せそうにも思われません」と言った。

親鸞聖人は「これで分かるだろう。何事もこころの
思うままになるならば、往生のために千人殺せと言
えば、殺せるはずだ。しかれども、一人といえども、
原因と条件が揃っていなければ害せないものなのだ。

自分の心が善いから、殺さないのではない。また、
害せずにおこうと思っても、百人千人を殺してしま
うことのもあるのだ。」と仰いました。

ここのところの親鸞聖人の人間に対する洞察力は
すばらしいですね。「良い人間だから殺さないので
はない。また、悪い人間だから殺してしまうのでは
ない」ではどうしてなのでしょう。因縁生起だから
なのです。


ヤフーの知恵袋の質問コーナーにhoilotorulkさんとい
う方が次のような質問をされています。

果たして犯罪者が絶対的な悪であるように扱う
今の社会は正しいのでしょうか?

ベストアンサーに選ばれたjunevo2005さんの回答です。

絶対的に正しいものはなければ
絶対的に間違っているものもありません。

イギリスのことわざで
「一人を殺すものは凶漢なり、万人を殺すものは英雄なり」
というものがあります。一人を殺すのは「悪」、しかしそれ
を一万回繰り返すことは、「英雄(善)」っておかしな話し
ですが、正や悪はこのように曖昧なものだと思います。

親鸞は「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」とい
っています。これは善人が極楽往生できるのなら、悪人がで
きないはずが無いということで、人間は自力で善を成すこと
は不可能であり、すべて悪しかなせない。

だから悪人と自覚している人間の方が、自分は善人だと思っ
ている人間より、救われる道を自覚していることになる、と
いう逆説的表現です。

また「たとえば人を千人殺してんや、しからば往生は一定す
べし」ともいっています。「人を千人殺しなさい。そうすれ
ば浄土に往生できる」と親鸞に言われた唯円は、
「千人はおろか一人も殺せません」と答えました。

すると親鸞は、ならどうして親鸞の言葉にそむかないと言っ
たのかと問い、どんなことでも思いのままにできるものなら、
浄土へ生まれるために、人を千人殺せと言われたらそれを実
行するだろう。

しかし人を殺さねばならない直接・間接の業縁がないために、
殺さないだけである。自分の心が良いから、殺さないのでは
ない。反対に人を殺さないと思っていても、諸条件が具わっ
たなら、百人あるいは千人を殺すことだってありうるという
ことです。まさに戦争がいい例ですよね?

犯罪者だって心が悪いから犯罪をしたのではなく、
諸条件が重なり犯罪を犯してしまったのかもしれません。

ちなみにユダヤのことわざには「犯された行為は変わらず
に残るが、人間は日々変わっていく」
「裁判所で罰金を払ったら、口笛を吹いてでてきなさい」
というものがあります。
これは犯罪は悪だが犯罪者は悪ではないという
「罪を憎んで人を憎まず」に似た感じがします。

聖書にも、「なんじらのうち、罪なきものまず石を擲て」
という有名な言葉があります。皆何かしら悪いことをして
いるわけですね。だからこそ「なんじら人をさばくな、
さばかれざらん為なり。己がさばく裁きにて己もさばかれ、
己がはかる量りにて、己も量らるべし」と聖書は書いてい
ますね。


ろくろくはもうこれ以上何も付け加える必要を感じません。
すべての出来事はとうてい一人一人の人間に責任を押し付
けられるようなものではないのだ、ということなのですね。

ではわたしたちは日々をどのように過ごしたらよいのでし
ょうか? 

そうですね、人それぞれの生き方があっていいのであります
が、先ずは、被害者意識を捨て去ることではないかと思いま
す。そして、自分が受けた様々ないじめだとか傷つけられた
ことなどを、少しづつ赦しはじめることではないでしょうか?

逆に自分が、知らず知らずのうちに色々なかたちでかかわっ
て来た人たちに与えた傷があることを気づき始めなくてはな
りません。そして赦しを請うことだと思います。

「余命一年・・・だとしたら」の133ページからの
「赦しの瞑想」を実践することも大変効果的だと思います。


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コメント
この記事へのコメント
あと322日・・・
先日「余命一年・・・だとしたら」をろくろくブログと共に
読み続けているAさんと話をしていたら、Aさんが「それに
しても余命一年・・・の本はすごいですね。万が一、本当に
ろくろくさんがもう亡くなっても大丈夫です。こまったこと
があったらこの本を読んだらいいですからね」

私はおもわず苦笑してしまいました。ろくろくも随分軽く見
られたものです。「余命一年・・・だとしたら」は確かに名
著だとは思いますが、人生のいよいよ仕上がりの賭場口にさ
しかかったろくろくと比較されてもちょっと困ります。

どんな素晴らしい本であっても、しっかり生きている人間に
敵うものはないのではないでしょうか。やばんばさんが本の
読みすぎから復帰?されたように、いざとなった時は自分で
あり、信頼するにたる身近な人間だと思うのであります。

「余命一年・・・だとしたら」は、しっかり生きていく時の力強い
参考書になるとは思いますが、それ以上のものではありませ
ん。

2010/02/11(Thu) 13:51 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
誰が死ぬのか
ろくろくは、こうみえても(実際はどう見えているかは
分かりませんが(;^_^A アセアセ・・・)このブログに掲載させ
て頂いている本には実は一貫しているものがあります。

ラマナ・マハリシにしても、クリシュナムルティにして
も、ケン・ウィルバー、バグワン、A・スマナサーラに
しても前世や来世について多くを語っていないというこ
とです。

極楽浄土を説いた親鸞聖人ですが、今回掲載させていた
だきました「縁起」のことをこのように深く洞察された
方が、心の底から死後極楽浄土に生まれ変わると考えて
いたとは考えにくいです。

なぜなら「縁起」とは「無我」を意味するからです。

ラマナ・マハリシの説く自己とは「無我」を意味し、
十牛図で少年が探し求める「本来の自分=牛」とは
「無我の境地」のことを指しているのです。

ただ今当ブログのテキストとなっていますレヴァインの
「余命一年・・・だとしたら」の169~173頁「誰が死ぬ
のか」をお読みいただいたら少しはお分かり頂けるかも
しれませんが、死ぬのは「自我」なのです。

「本来の自分」は死ぬことはないのです。というか「本
来の自分」は生れたこともないのですからね。不生不滅
の魂が自分の心の中にある。それにほとんどの人が気づ
いていない。気づいた人のことを悟った人というのです。

来世の存続を求めるのは死とともに死んでしまう「自我」
であり、「自我」の実態はよくよく観察していけば無い
のです。

「前世療法」の本を読んだことがありませんから、詳細は
わかりませんが、現世の自分が救われるための夢物語だと
考えれば、それなりの意義はあると思います。

そういえば以前マリアさんとも同じような論争をしたの
かもしれませんね。


2010/02/11(Thu) 13:16 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
おはようございます
いろんな本を読ませていただきすぎたのか、やまんばは不消化のままの頭でっかちになり、
固まってしまっていました。

思考でごちごちになっていました。

しかし、やまんば本来の生き方、・・・・直感にそって生きるを思いだし、救われました^^^^

7日の日曜日、ふとしたところで、たくさんの本の中から、「前世療法」という本をみつけました。
そこは図書館でもなく、自由に持ち出しが出来るところなのです。

やまんばは借りて一気に読み上げてしまいました。

「この世におけるあらゆる現象は全て因と縁が関係しあって それぞれ関わりあって生起している」と今回のブログに記載されていますが、これに生まれ変わりの発想を組み合わすと、納得度が高まるなあと、一人感心しています。
2010/02/10(Wed) 08:04 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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