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2010年01月05日 (火) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(13)


9 ハートの本性は何でしょうか?

そのことについて、聖典は次のように述べている。
「両乳の間、胸の下方、お腹の上方に、色の異なった
六つの器官がある(チャクラとは異なる)。

そのうちの一つで、水仙の花のつぼみに似た形をして
いて、指二本分だけ右側に位置しているのがハートで
ある。

それは花を伏せた形であり、その内部には深い暗闇
(無知)の座である小さな穴があり、欲望に満ちている。

すべての神経系列(ナーディ)はここに源を発している。
それは生命力の住処であり、心と(意識の)光の住処で
ある。


(ラマナ・マハリシが愛してやまなかった聖アルナチャラ山)
アルナチャラ01


このように述べられてはいるけれども、
そのハート(フリダヤム)という言葉の意味は、
自己(アートマン)である。

それは、存在、意識、至福、永遠、充実(サット、チット
アーナンダ、ニチャム、プールナム)の言葉によって示され
るけれども、内と外、上と下のような違いはまったくない。

すべての思いが終滅した静かな状態が自己と呼ばれている。
それがあるがままに実現されるなら、その位置が身体の内側
にあるか外にあるかなどの議論をする余地はない。


10 外的なものごととの関係は断っているのに、心の内に
さまざまな想いが湧き起こるのはなぜでしょうか?

それらの思いは心の潜在的な傾向(プールヴァ・サムスカーラ)
に原因がある。それらの想いは、自らの本性を忘れて外面へ
さまよい出てしまった個々人(ジーヴァ)の意識にとってのみ
現れる。

一定のものごとが知覚されたなら、いつでも「それを見ている
者は誰か」という問いがなされなければならない。そうすれば、
想いはただちに消滅するだろう。


11 深い眠りやサマーディ(三昧)にあっては存在しない、
三つの要素(知る者、知られるもの、知識)は眼が覚めているとき
や夢を見ているときにどのようにして自己の内に現れてくるので
しょうか?

次のように連続して自己の中から現れてくる。
①チダーバーサ(反映された意識)――一種の光明としてとして。
②ジーヴァ(個人意識)、あるいは見る人、あるいは最初の概念として。
③現象、つまり世界として。


12 自己は、知識および無知という見解からは独立していると
言われています。それなのに自己が感覚のある姿で全身体に
ゆきわたり、感覚に感覚する力を与えているとどうして言える
のでしょうか?

賢い人は言っている。
自己と、さまざまな心理的な神経系の源の間にはひとつの関係があり、
それがハートの結び目である。感覚力のあるものとないものとの関係
は、真実の知識の助けを借りて切り離されるまではひきつづき存在する。

電気の眼には見えない微細な力が電線を流れてゆき、多くの有益な働き
をするように、自己の力は心理的神経系をとおして全身にゆきわたり、
感覚器官に感覚の力を与える。

ハートのその結び目が切断されると、自己はそのすべての属性をぬぐい
去って、あるがままの常の状態に立ち帰る。



次回につづく




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コメント
この記事へのコメント
私は青空。
ろくろくさん、ハートの結び目へのコメント、ありがとうございます。

やまんばは何度かコメントしましたように、際限なく、湧きおこる思考を雲として捉えています。
そして、自己は青空のイメージ。

そうしたら、単純なやまんばの脳は、マハリシさんの言われることが、100パーセントではありませんが、なんとなく理解できるように思えるのです。

言葉にすると、大変むつかしい表現になるんだなあ・・・と、読ませていただいてます。そう、丁度 禅問答を聞いてるみたいです。

さて、どんな雲が現れても、いつかは消え去ってしまうことを、理解したやまんばは、もう一度、大地に足をしっかりつけて、歩いてみたくなったのです。

失敗しようが、歓喜で溢れようが、恐れることは何もないのだ!たいしたことではないのだ!
そうだ、自分の魂が、この世に誕生するときに、選んだこの肉体を使って、
いろんな触れ合い、感情表現、なにげない日常の生活、すべての感覚を駆使しての制作、などなど、楽しく味わいながら、生きていこうと思えるようになりました。
ときには、はめをはずして怠けるのも悪いことではない、素敵なことなんだわ^^^^^


今朝の朝日も柔らかく、凍えた世界を照らし始めてくれてます。
こんな、ありがたいことはありません。

はてさて、時間を取り決めた人間社会。
オタオタしていたら、すぐに年末になってしまいます。

にかわも溶かしたことですし、今日から絵の制作に入ることにいいたしましょう!
2010/01/08(Fri) 09:12 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
ハートのその結び目
ハートのその結び目が切断されると、
自己はそのすべての属性をぬぐい去って、
あるがままの常の状態に立ち帰る。


「ハートのその結び目」にしても
ラマナ・マハリシの独自の表現方法ですから
実際のところはわかりませんが、

大まかに言えば、やまんばさんの「自分をよ
く観察する」ことの延長線上にあるのだと考
えてよいのではないでしょうか。


2010/01/07(Thu) 12:40 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
φ(.. ) メモメモ
何度も申し上げているように
面倒でも「メモ帳」に下書きしてから
それをコピペしたほうがいいですよ。

コメントを送ったつもりになっていても
送れてないこともままあります。

ろくろくブログのスペースを提供してく
れている「FC2 BLOG」に掲載する時に
フリーズしてしまうこともあります。

やまんばさんの操作ミスばかりが原因とは
かぎりません。

「メモ帳」の場所はどなたかにお聞きくだ
さい。


2010/01/07(Thu) 12:37 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ラマナ・マハリシさんが愛した風景
やまんばはこの風景にとてもよく似た一枚の絵ハガキが大好きでした。

私の母は苦労して私たちを育ててくれたのですが、私が中学になるころは働く必要もなくなり、家にいるようになりました。子育ても終わり、なんとなく生きがいをなくしたような母は、ある時から水彩画をかくようになったのです。絵といっても本格的なものではなく、絵の本や、絵ハガキの中から、気にいったところを、模写していました。

自然、やまんばは家に帰ったら、母と一緒に絵をかくようになっていました。

その絵ハガキの一枚にこの風景ととてもよく似たのがあったのです。何枚か描いたのに、なぜかこの風景しか記憶にありません。

この風景は母との思い出につながるのです。
2010/01/07(Thu) 07:39 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
あ~~~残念
ちょっとしたミスでいままで書いたコメントが瞬時に消えてしまいました^^^

まあ、どちらでもいいことだったのでしょうね^^^^

「一定のものごとが知覚されたなら、いつでも「それを見ている者は誰か」という問いがなされなければならない。そうすれば想いはただちに消滅するだろう・・・・いやあ、便利なことを教えていただきました。やってみましょう!

ハートのその結び目が切断されると、自己はその属性・・・・結び目が切断される?どうやって?自分をよく観察するとそうなるということでしょうか?
2010/01/06(Wed) 10:24 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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