2009年11月14日 (土) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(10)


1 どんな実践方法があるのでしょうか?


自己実現に達しようとする人の自己は、
彼自身と異なったものではない。

それは、彼によって到達されるはずの
彼よりすぐれたものであるわけがない。

自己実現とは、ただその人自身の本性を
実現することなのだから、

解脱を求める人は、一過性のものと永遠
のものをはっきり見分けることによって、

またけっして自身の本来の姿から逃げ出さ
ないことによって、疑う余地なく例外なく、
自分の本性を実現できる。


これが、知識の実践として知られていることである。
これが、自己実現に導く探究である。


2 この探究の道は、すべての人に適していると
言えるでしょうか?


ラマナ・マハリシ
若い時のラマナ・マハリシ


この道は、ただ機の熟した人々にのみ適している。
他の人々は、それぞれの心の状態によってそれぞれ
別の道をたどるべきであろう。


3 他の道とは何でしょうか?

それらは、?ストゥティ、?ジャバ、?ディヤーナ
?ヨーガ、?ジュニャーナ等々である。

?ストゥティ――深い帰依の感情をもって、主の賛歌を歌う。
?ジャバ――神の御名やオームのような聖なるマントラを、
声に出したり、心のうちで唱えることである。

(ストゥティとジャバでは、心はときどき集中され閉ざされ、
ときどき拡散され開かれる。これらの方法に従う人にとっては、
心の気まぐれということが明らかにならないだろう。)

?ディヤーナ――深い帰依の感情をもって、心のうちで神の御名
等をくりかえすこと(ジャバ)を意味している。この方法において
は、心の状態が容易に理解されるであろう。

なぜなら、心は集中したり拡散したりしないからである。
人がディヤーナにあるときは、心は感覚の対象物と関係を持たず、
心がそれらと関係を持っているときは、ディヤーナの状態ではない。

それゆえに、ディヤーナにある人は、あちこちに散る心の気まぐれ
を見守ることができ、心が他の想いに走るのを停めることによって、
心をディヤーナに固定することができる。

ディヤーナが完全に行われると、心は自己の内に住むようになる。
瞑想(ディヤーナ)は、心の源に非常に微妙に作用するので、心が
乱れたり静まったりするのを知覚することは、少しもむずかしい
ことではない。

?ヨーガ――呼吸の源は、心の源と同じものである。
それゆえ、一方を沈静させればもう一方もたやすく沈静する。
呼吸制御(プラーナヤーマ)をとおして、心の沈静を実修することを
ヨーガと言う。

例えば、サハスラーラ(頭の中に千弁の蓮の花の坐)などの霊的な
中心に心を集中し、ヨーギたちはどんな長時間でも自分の肉体を
忘れて過ごすことができる。

この状態が続くかぎり、彼らはある種の喜びに浸っているように
見える。けれども、静まっていた心が現れると(再び活動を始めると)、
再び世俗の想いを取り戻す。

だから、ディヤーナのような実践法の助けを借りて、心が外部に
向かうことのないように訓練する必要がある。そうすればやがて、
沈静も動揺もない心の状態に至るだろう。



次回につづく


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