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2006年04月29日 (土) | Edit |
ひろさちや著「自分がみえてくる人生講座」
ー幸福になる仏教の考え方10ー PHP研究所 より (2)

すると、一人の僧が出てくる。
「その“無位の真人”って、何ですか・・・?」
臨済は心の中で喜ぶ。

きっとこいつは何かをつかんどるに違いない・・・・・・。
臨済はそう考えた。そこで臨済は、
その修行僧の胸倉をつかんで、

「さあ、言え!言え!おまえがつかんどるものを
ここに吐き出してみろ!」とやる。乱暴だ。
しかし、臨済は喜んでいるのだ。

(おぬし、やるのう・・・)と、
その弟子に愛情を注いでいるのだ。
だが、残念ながら、彼には何もわかっていない。
「本物人間」なんて、彼は考えたこともなかったのだ


・・・・・・
臨済は禅僧である。まだるっこいことはしない。
修行僧を突き放す。そして、罵詈(ばり)する。

「なんだ、おまえは・・・! 
おまえさんの“本物人間”は、目糞鼻糞馬の糞じゃ! 
顔を洗って出直して来い!」

臨済はそう言って、
すたすたと方丈へ帰って行った。

でも、読者よ、勘違いしてはいけない。
臨済は弟子たちに慈悲をかけているのである。
これは臨済の愛のムチである。

世の中を見渡してみると、
だらしのない奴ばかりである。

会社人間になり、
文部省のお墨付きのよい子になった子どもたちは、
会社に学校に遅刻しないことばかり考えている。

だから、道端で胃痙攣を起こして
苦しんでいる人がいても、
平気で見捨てて会社に走る。

友だちが血塗れになって倒れていても、
その体をまたいで校門の中に入って行く。
オマエラ、ソレデモ「人間」カ!

金を得るためには、保険金をかけておいて、
妻でも子どもでも殺してしまう。
ソレガ「人間」ノスルコトカ!

「人間」であることをやめ、
畜生になり下がった奴らに、
やさしい言葉は通じない。

だから臨済は、
わざと乱暴に振る舞うのである。


要するに、わたしたちは、
ーー本物人間・真実の自己ーー
を発見せねばならない。

そして、釈迦にはじまる仏教は、
わたしたちに「真実の自己」を発見せよと
命じている。

そこでわれわれは、
「真実の自己」とは何かを考察してみよう。

・・・・・・
「真実の自己」といったことを書きはじめると、
道元の『正法眼蔵』の「現成公案」の巻の
ことばがすぐに頭に浮かんでくる。

「仏道をならふといふは、自己をならふ也。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」


次回につづく


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テーマ:哲学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
やまんばさん
1~2は序論というか導入部分と考えてください。

からっかってはいません。
禅宗ではこういった表現がしばしば見受けられます。

(3)の倩女離魂(せいじょりこん)の公案からが
いよいよ本論です。
2006/04/30(Sun) 15:02 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ただいま。
やまんばは、ちょっとでかけていましたよ。あれっ?なんか静かですね。連休でみんなお出かけかな?どれどれ、ふむふむ。(二日分)無位の真人?お前達の肉体のすぐ側に立っている?(神様は、左側に感じるけどーー)、お前達の眼から、鼻から、口から、毛穴から、出たり入ったりしているの?ふーん、空気みたいね。えっ、本物の人間は、目くそ鼻くそのくそじゃーーー、これって、からかわれてるの?
2006/04/30(Sun) 14:24 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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