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2006年04月28日 (金) | Edit |
ひろさちや著「自分がみえてくる人生講座」
ー幸福になる仏教の考え方10ー PHP研究所 より (1)


そのとき釈迦は、
街道から少し離れた林の中で座禅をしていた。

その釈迦のところに四、五人の若者たちがやって来て質問する。
「尊者よ、ここを女が通りませんでしたか?」
釈迦は彼らの問いに直接には答えない。

「そなたたちは何を探しているのか?」
「逃げた女を捜しています」
青年たちは答えた。


すると釈迦は、彼らにこう言われた。
「若者たちよ、逃げた女を捜すのと、
“自己自身”を探すのと、どちらが大事だと思うかね・・・?」

「もちろん、“自己自身”を探すことです」
青年たちは素直であった。異口同音にそう答えた。

「それなら、わたしがそなたたちに、
“自己自身”の探し方を教えてあげよう・・・・・・」
釈迦はそういわれた。

最初の四、五人の青年たちのほかに、
彼らのグループは全員で三十人であった。
彼らはその林にピクニックに来ていたのだ。

彼らは全員アベックであった。
妻や恋人を伴って、ピクニックにやって来た。
なかに一人、恋人のいない青年がいた。

そこで彼は遊女を金で雇って連れて来た。
ところが、六十人の男女が楽しく遊んでいるときに、
遊女が彼らの金目の物を盗んで逃げ去った。

若者たちは四、五人ずつにわかれて、
逃げた遊女を探していたのである。

・・・・・・
それはともかく、釈迦の、
「逃げた女を追いかけるより、自己自身を探せ!」
のことばは、若者たちに強烈な印象をあたえた。

若者たちの知的レベルが高かったからだと思う。
現代日本の若者は、このような言葉で
目覚めることができるであろうか・・・・・・。

・・・・・・
その釈迦と同じ呼びかけをしているのが、
中国・唐代の禅僧臨済義玄(りんざいぎげん)である。
彼の語録である『臨済録』には、こんな話が出ている。

臨済は言うーー。
ほら、おまえたちのその肉体のすぐそばに、
「無位の真人(本物の自己)」がいるではないか・・・・・・。

そいつは、肩書きなんて付いておらん。
血液型がO型だとか、背が高いとか、太っているとか、
大学教授だとか、夫だとか、父親だとか、大阪生まれだとか、

そんな世間的な位格に束縛されぬ「本物人間」だ。
どうだ、おまえたち、
その「本当の自分」が見えるか?

おまえたちの眼から鼻から、
口から毛穴から、
出たり入ったりしとるんだゾ。

その「本物人間」を見ていない奴は、
いいか、ここでしっかり見るんだゾ・・・・・・。
臨済はそう言った。釈迦と同じである。

すると、一人の僧が出てくる。
「その“無位の真人”って、何ですか・・・?」


次回につづく


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