2009年04月02日 (木) | Edit |
岸田秀著「ふきよせ雑文集」文芸春秋より

岸田 秀は、心理学者、精神分析学者、思想家、
エッセイスト、和光大学名誉教授。

著書は『ものぐさ精神分析』など多数あり、
週刊誌等に対談・エッセイなどで登場することも多い。

今回は2006年5月27日に ろくろくブログでご紹介した
記事を再び掲載させて頂きます。

ふき寄せ雑文集 (文春文庫)ふき寄せ雑文集 (文春文庫)
(1997/05)
岸田 秀

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現代の神経症的悩みは、
当人は深刻に悩んでいても、
他の人たちには、

なんでそんなことで悩まなければならない
のかわからない、アホらしいとしか
言えないような悩みなのである。

当人も、他の人に話せばアホらしいと
思われることを知っているので、

あるいは、はっきりと知っていなくても
心のどこかで薄々と感じているので、
ウジウジ一人で悩むわけである。

現代人に特徴的なこの種の悩みを解決し、
人生を楽しく過ごす方法はあるのであろうか。

はっきり言って、
悩みを解決する方法はないと思う。

ただ、悩みを無用になおさら
耐えがたいものにする方法はある。

どういうことが悩みをなおさら
耐えがたいものにするかと言うと、


第一に、悩みを解決する方法があると信じる
ことである。

悩みから開放された人生を想定し、
それを本来の正しいあり方だとし、
悩んでいる今はどこか間違っていると考え、

本来の正しいあり方に達しようと
悪あがきすることである。


第二に、悩みを別の悩みにすり替えることである。

狭い意味での神経症的症状とはこの
すり替えられた悩みである。
たとえば、洗浄脅迫という症状がある。

当人は、トイレに行ったあとなど、
いくら洗ってもまだ手が汚れているような
気がして何時間も手を洗わねばならない。

極端になると、皮膚がすりむけて血が滲んで
くるようになるまで洗う。当人だって
馬鹿げているとわかっているが、やめられない。
深刻な悩みである。

精神分析によって、当人はある罪深いことを
したと思い、罪悪感を持っていることがわかる。

自分の罪に悩んでいることが本当の悩みなのだが、
当人はこの悩みに直面するのを避け、罪悪感を
抑圧した。その結果、「罪の穢(けが)れ」が

「手の汚れ」にすり替えられ、この症状が出て
きたのである。この種のすり替えられた悩みは
むなしいだけに、無限につづく。

いくら手を洗っても、
罪の穢れは落ちないからである。

これほど典型的な例ではなくても、
すり替えられた悩みを無用に
悩んでいる人は多い。


第三に、自分の悩みの責任を他人になすりつける
ことである。

これも他人を次々と敵に仕立てあげねば
ならなくなるので、無限に空回りする。


要するに、悩むべきことをありのまま悩んで
いればいいのである。

そうしていれば、もともと耐えがたい悩みを
なおさら耐えがたいものにする愚は避けられる。


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