2009年03月06日 (金) | Edit |
タデウス・ゴラス著 山川紘矢(訳)「なまけ者のさとり方」地湧社 (3)


さとるためには、
何をしたらよいのでしょうか?
さとったかどうか、
どうすればわかるのでしょうか?

さとりが深くなると、
実際の生活にはどんな変化が
起こるのでしょうか?

実は、さとるために前もって
しなければならないことなど、
何一つありません。

・・・・・・
私たちの道を邪魔するものは何もないのですが、
大部分の人達は急にではなく、
少しずつ段階的に意識を広げてゆくようです。

同じような気持ちや感情を
繰り返し体験しながら、
私達はらせん状に上がってゆくことが
多いのです。

何か大きな発見をして陶然となったあとには、
たいてい新しい違う種類のネガティブな
気持ちに襲われるものです。

そしてまた、もう一つ、愛について学ばねば
ならなくなるのです。

しかし、上にゆくにしたがって、
ハードルを超えるのは
やさしくなってゆくでしょう。

・・・・・・
スペースであるということは、
すべてのことを十分に意識しょうと、
すっかりオープンになって
準備のできている状態ののことなのです。

つまり、完全に抵抗をやめ、
いかなる思考も物も出来事も拒否しない、
ということです。

ですから、さとるためには、
何か特別な考え方を身につけたり、
特殊な体験をしたり、苦しんだり、
身をつつしんだりする必要はないのです。

意識が広がっていれば、
この宇宙に存在するすべてのものを
体験できるのです。

・・・・・・
自分で作り出してしまったネガティブなものを、
そんなこと自分には関係ないと思ってしまうと、
私達はそれをコントロールできなくなります。

そのネガティブなものは
私達の意志におかまいなく、
私達の注意を引きはじめ、

私達は罪と無知の世界に
住まざるを得なくなるのです。

しかし、そのようなネガティブなものに対しても
常にオープンで、一切抵抗しなければ、
私達はそれにつきまとわれずにすむのです。

自分の中にみにくいものの存在を許してあげれば、
私達は美しいものを自由に作り出すことが
できるのです。

自分の愚かな部分を認めてやれば、
私達はどんな高い知恵でも
得ることが可能になります。

カルマと言うのは、昔、
自分が行った行為のつけを支払う
ということではありません

あなたのバイブレーションがあがるにつれて、
過去では避けてきた種類の体験に
出会うようになったり、

今、あなたが表面意識で欲していることとは
違うことにぶつかるようになる、
というだけのことなのです。

そんな時、あなたが新しい体験に対して
心を閉ざしてしまうと、また、
あなたのバイブレーションは
元の低い状態に戻ってしまいます。

しかし、そのあまりありがたくなく感じられる
事態を気を落ち着けて見つめ、
精神的にその事態のすべてを受け入れて味わい、

しかも、そのことを嫌ったり憎んだりしている
自分を愛してやりさえすれば、
あなたのバイブレーションはさらにあがってゆくのです。


自分の前に現れるあまりありがたくない事柄を上手に扱い、
一つずつ愛せるようになってゆけば、そのうち、

あなたを悩ませる悪い出来事はどうしても
この世の中からは消えうせないのだ、
ということに気がつくでしょう。

でも、もうどんなことが起きても、
どうにも救いようがない状態に陥ることは
なくなってくるでしょう。

そのかわりに、イライラしても、
どうすればうまく生きてゆけるか、
どうやればこの事態を切り抜けられるか、

少しずつ自分でハンドルを切れるようになり、
ついには、もう何も困ることは
なくなってしまうのです。

・・・・・・
自分や他の人の存在をあなたが愛すれば愛するほど、
すべての人やものがそのままで
完全なのだとわかってくるでしょう。

そして、一瞬一瞬に、
あなたは幸福を感じていられるように
なるのです。

美はそれを見る者の目の中にあるのです。
そして、その時、あなたも
美しいバイブレーションを放っているのです。


次回につづく



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