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2006年04月21日 (金) | Edit |
月洞 譲著「老子の読み方」祥伝社NON-BOOKより (1)


現代の日本は
農業社会や工業社会から、
ほぼ完全に脱皮し、

「商人の時代」へ突入したという
観察が不可欠だ、と私は考えている。

そして、この「商人の時代」というのは、
基本において「知恵競べ」を
前提としたものである。


つまり、今の社会はこれまでの時代とは違い、
過去の実績や権威とか格式といったものに
胡坐(あぐら)をかいていたのでは、

どんどん競争においていかれるという
厳しい時代なのである。

・・・・・・
例を挙げれば、
鉄鋼を初めとする基幹産業にしても、
その体質をどんどん変貌させ、

鉄鋼の新しい用途を企画・開発して
いかなければ成長は望めないように
なっている。かつてのように、

鉄屋は鉄の塊さえ作っていればそれでいい、
といった甘い考えの企業は、
容赦なく社会から見捨てられていく時代である。

・・・・・・
これらの現実の因(よ)って来るところは、
煎じ詰めれば「知恵競べ」の有無
ということにすぎないのではないか。

しかも、この「知恵競べ」というものを
もう少し冷厳に観察すれば、それは

「抜け駆けの精神」にいかに富んでいるか、
ということだと気がつく。

つまり「商人の時代」というのは
「抜け駆けの時代」ということであり、
非常に競争の激しい時代なのである。

・・・・・・
こんな折、『老子』の説く「負けない哲学」
「生き延びるための知恵」というものは、
きわめて示唆に富んだものと言わざるをえない。

つまり、こういった乱世にあっては、
組織は当然のこと、
個人にしてもその身の処し方しだいで、

どのような運命の荒波に巻き込まれるか
分からないのである。


「無為自然(むいしぜん)」とは
“何もしない”ことではない

ところで、
『老子』が時代のスポットライトを
浴びることのなかった時期が長く続いたために、

今日では老子そのものが誤解され、
曲解されているのも事実である。

その一番代表的なものに、
「無為自然」という言葉がある。

たとえば、「無為(むい)を為(な)し、無事を事とし、
無味を味わい、小を大とし少なきを多しとし、
怨みに報いるに徳を以ってす」(第六十三章)

のような章句を見て、『老子』は虚無的で
ことなかれ主義だと見る人が多い。

そして、今では、『老子』の説く「無為自然」を
「何もしないで、のんべんだらりと時を過ごすこと」
と受け取る人が圧倒的である。しかも、

現代日本の代表的なオピニオン・リーダーの間にも、
こう解釈する人が多い。

だが「無為自然」とは、
果たして、そういうものであろうか。


次回につづく


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テーマ:哲学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
お楽しみください
月洞 譲(つきほら ゆずる)さんの
『老子の読み方』は 老子の入門書の中では
とても分かりやすいとおもいます。
PHP研究所からは『老荘思想入門』も出していらっしゃいます。
2006/04/22(Sat) 16:14 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
老子
あまり、ふれたことがないので、今回楽しみにしています。
2006/04/22(Sat) 14:04 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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