2008年12月14日 (日) | Edit |
A・スマナサーラ著「自分に強くなる」サティ瞑想法 国書刊行会より(16)


わたしが欲しかったものをだれからかいただいたとすれば、
私は助けられますね。そして私はその人のことをとても
大切な人だと思うようになります。

つまり私とその人の心がつながって大きくなっていきます。
それは施という、何かをあげるという心の波動が拡がった
ということになります。

そういうエネルギーをどうやってつくればいいのでしょう
か? やはり具体的に何かをあげるのがいい方法です。


自分の持っているものを皆と分かち合おうという気持ち、
自分だけのものではないという気持ちが施です。

自分のものを自分だけのものだと思わないことです。
そういうケチな気持ちは心を小さくする悪しきエネルギー
です。

皆で使いましょうという気持ちで行動していると、
どんどん施しの力が生まれてきます。そのように善心所を
実践する方法はたくさんあります。

私がここでいちばん言いたいことは、清らかな心の波動を
拡げることがとても大切だということです。

高価な食事をして一所懸命身体のことを考えても、身体は
大して成長するわけでもないし、栄養価のあるものをたく
さん食べたからといって、それほど背が伸びるわけでもな
い。

また美容食を摂ったところで、目を瞠るような美人になる
わけでもないし、生まれもった姿形は大して変りません。

歳を取ることを防ぐこともできませんね。ですから肉体よ
りも、心を育てることのほうがずっと、ずっと大切なこと
です。

他人に無視されて生きることは、人間にとって途轍もなく
寂しいものです。しかし、元気で心から清らかな波動を出
して生きていると、

自分で好むと好まざるにかかわれず人から好かれて、
人とつながって、どこまでも拡がっていくことになります。

こちらが清らかな気を出していると、不思議なことに相手
の心も自然と清らかな波動に変っていくのです。





次回につづく


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ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
募金袋
ご縁があって、何度かキリスト教の教会の礼拝に
参加させていただいたことがあります。

賛美歌をみんなで歌ったあと、神父さんや牧師さん
のお話があり、最後に跪いてお祈りをした後に、
募金袋が回ってきます。

こうして健康でいられることを神に感謝しながら、
それぞれの人がポケットマネーを思い思いの額だけ
その袋の中に入れるのです。

やまんばさんではありませんが、小銭を用意して
おかないと思いがけないお金を出すことになります。

その日はあらかじめ小銭を用意していました。

募金袋にお金を入れようとしたとき、手元が狂って、
静かな教会の床に1円玉や5円玉や10円玉が三百円分
位バラバラバラ・・・・・・

恥ずかしかったですね。
その日以降私はいつも千円分位は小銭を用意するよ
うにしています。



2008/12/14(Sun) 19:48 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
分かち合う
自分にあたえられたものは自分だけのものではない。
自分が上手に使って、自分や、まわりの人が幸せになるようにと、その道具として、宇宙から与えられたものだということは、ものすごくわかりますデス。
一人占めにするとろくなことがおこりません。
どこかで、かならず、宇宙の創造主が見ておいでです。
「もぐら叩きの刑」みたいなことがかならずおきるからです。これほど、はっきりしたことはありません^^^^^^^やまんばは何度もこの現象が起こります。
何かいいことがおきたら、かならず感謝するように創造主は促されます。たとえばね、募金箱がやってきたとき、こそくなやまんばが、小銭を出そうとしたら、財布の中にお札しかなかったりしてね^^^^ほんとにすぐに見透かされるから、困る!デス。
世の中の仕組みは本当に数学のように、きちんとしています。
第一、法則に逆らうと、心が曇るらしく、感動がなくなるように思えます。心がいきいきしないです。
だからやまんばは人のためにしているより、むしろ自分のためにしているようなものです。まだまだ修行が足りてません。とほほ
2008/12/14(Sun) 07:46 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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