2008年12月13日 (土) | Edit |
A・スマナサーラ著「自分に強くなる」サティ瞑想法 国書刊行会より(15)


難しい仏教用語を並べたようですがそんな言葉に
捉われることはありません。

ヴィパッサナー瞑想はただ漠然とやる瞑想ではなく、
きちんとした理論のある瞑想だということをお話し
したかっただけですから。

ヴィパッサナー瞑想は迷信のようなわけのわからない
ものではなく、具体的で明確な教えなのです。


私たちはこの瞑想法で、二十五種類の善心所を育てます。
ヴィパッサナー瞑想は、いい心のエネルギーを育てる道
だという説明をしたかったのです。

お釈迦さまは、ご自分の教えが宗教だということはいっ
さい仰っていません。

「教え」という言葉を使っておられますが、仏教は宗教と
いうよりもいろいろ世のなかにある理論的な教えのひとつ
というように解釈したほうが理解が早いとおもいます。

その教えの内容は極めて明快、理路整然としています。
たとえば貪という心所をなくすためには、施(不貪とも
いいます)という心所を育てればいいというのです。

そういう善心所を育てると、貪という不善心所はなくなる
と教えます。

施とは与えるという意味ですが、単にものをだれかにあげ
るという意味ではなくて、心にそういう波動をつくること
です。それが心所ですね。

わたしが欲しかったものをだれからかいただいたとすれば、
私は助けられますね。そして私はその人のことをとても
大切な人だと思うようになります。

つまり私とその人の心がつながって大きくなっていきます。
それは施という、何かをあげるという心の波動が拡がった
ということになります。




次回につづく


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テーマ:仏教・佛教
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
「むさぼらず」「へつらわず」
道元禅師は「布施」を、
「布施といふは不貪なり。不貪といふは、むさぼらざるなり。
むさぼらずといふは、よのなかにいふ、へつらはざるなり」
と説明されています。

「布施」とは、人に物を施すことですが、
物を施すという行為の本質は、
自分のむさぼりの心をなくしていくところにある、という解釈。

この「むさぼらず」と「へつらわず」とがどのように
結びつくのかしばし考えてしまいますが、

「へつらう」というのは、気に入られようと相手におべっかを言い
機嫌をとることですので、人の心をむさぼるのが「へつらい」と
考えれば「不諂」も「不貪」と同じような意味に考えることが出来
るでしょう。

人はほとんど無意識的に自分の方に物や心をむさぼるように
引きつけようとしてしまいます。

「布施」とは、そういう行為に気づきなさい、
ということなのでしょうか。


2008/12/13(Sat) 18:30 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
おはようございます
やまんば、振り返ればなんとこれまでの人生、多くの人に支えられているのでしょうか。本当に感謝感謝です^^^^
じーと世の流れをみていると、きちんと法則がみえてくる。あまり欲をはらず、すべてに感謝して、自分でできることを、楽しんで生きるのが一番いいのではないかと、その流れが教えてくれます。ボランティアも、無理をしてはいけないなあと思います。無理をすると、どこかにしわ寄せがきます。自分で出来ることを楽しんでさせていただけたら、それでいいのだと思うようになりました^^^
2008/12/13(Sat) 08:20 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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