2008年12月06日 (土) | Edit |
ひろさちや著「狂い」のすすめ 集英社新書より(8)
Ⅰ「狂い」のすすめ(8)


もう一つ、一休禅師の話を紹介します。
あるとき禅師は、商家の法会の導師をたのまれました。

すると彼は持ち前の茶目っ気を発揮して、乞食に頼んで
その衣服を貸してもらい、乞食の服装でお店に入ろうと
しました。

もちろん入れてもらえません。
「ここは、おまえなんかの来る所じゃない。とっとと帰れ!」
と、追い出されます。


それでも一休は中に入ろうとします。挙句は、彼は番頭さん
や丁稚どんから袋叩きにあったのです。

そのあと一休禅師は寺に帰り、こんどは金襴の袈裟を着て、
商家を訪れました。
「お待ちしていました。どうぞお入りください」

主人が出てきて、一休禅師を迎えます。
すると一休禅師は店先で金襴の袈裟を脱ぎ、
それを主人に渡しました。

「いや、ご当家では、拙僧は不要なようじゃ。
ご当家が必要としておられるのは、この袈裟のほうらしい。
したがって、この袈裟を奥へ連れて行ってくだされ。

中身の拙僧は先ほど追い出されたのだから、
もう一度袋叩きになる前に退散することに致そう」
そう言って、彼はさっさと商家を去って行ったのです。

「風狂の禅者」の面目が躍如とした話ですね。
ただしこの話は、ナーガールジュナ(龍樹)の著作とされる
『大智度論』に出てくるものと似ています。

「一休咄(はなし)」の大部分は前にも述べたように江戸時代
の創作ですから、きっと仏教の知識を持った人が『大智度論』
などを参考にこんな話をつくったのだと思います。

それにしても一休の行動はたしかに非常識です。わざわざ乞食
に衣装を借りて変装して出かけるなんて、常識のある人のする
ことではありません。「狂っている」と評されても仕方がない
ですね。

こんな「一休咄」もあります。
ある年の正月です。一休禅師は元旦の早朝、墓場に行って頭蓋
骨を拾って来ました。そしてそれを竿の先にくくりつけて、
肩に担いで京の街に帰って来ます。

街の中で、手当たり次第に商家の戸を「トントン」と叩きます。
ノックに応えて、商家の人が顔を出す。
一休はその人に、にゅーっと骸骨を突きつけて言うのです。

「いや、めでたいのう……。見なされ、昔はここに二つの眼が
あった。その眼が飛び出て、こんな骸骨になってしもうた。
眼が出た、眼が出た、めでたいのう」

商家の人は怒ってぴしゃりと戸を閉めます。すると一休は、
次に隣の家の戸を叩く。そんな悪ふざけを彼はやってのけるの
です。まあ、「狂っている」と言われても、当然ですね。



次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
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