2008年12月03日 (水) | Edit |
ひろさちや著「狂い」のすすめ 集英社新書より(5)
Ⅰ「狂い」のすすめ(5)


弱者の自覚――それはそれでいいのですよ。
ただ心配なのは、自分が弱者であると自覚したとき、
どうも卑屈になってしまいはしないだろうか、
ということです。

卑屈になり、いじけてしまう。
すると世間は嵩(かさ)にかかってその人をいじめる。

いじめられたその人は、ますます卑屈になり、
いじけてしまう。そして世間のいじめがよりいっそう
ひどくなる。


完全な悪循環になりかねません。
それじゃあ、困りますよね。

そこでわたしは、ここで新たに、
――狂者の自覚――
を提案したい。

「弱者の自覚」と実質は同じなんですが、
むしろ自分は狂者なんだと自覚したほうがよい。
そのほうが卑屈にならなくてすみそうです。

それに、世間のほうも、狂者に対してはちょっと遠慮して
くれます。狂犬にはいつ噛み付かれるか心配ですから、
嵩にかかっていじめることはできないのです。

でもね、狂者の自覚といえば、べつの心配もあります。
差別語の問題です。日本の社会は弱者に対して厳しい。

とくに肉体的・精神的なハンディキャップのある人を差別
していじめ、痛めつけます。痛めつけておいて、ただ言葉
だけは差別語を使ってはいけないと言う。

言葉狩りをします。わたしが言う「狂者」とは、精神障害
者と同義ではないのですが、そこを勘違いされて非難攻撃を
受けかねません。“狂う”という言葉に過剰反応するのです。

で、その点をはっきりさせておきますが、なに、狂っている
のは世間のほうですよ。世の中が狂っているのです。その狂っ
た世の中にあって、わたしが「狂者の自覚」を持てば、わたし
はまともになるのです。

いや、ここはちょっと論理的ではありません。狂った社会で
狂えば、場合によっては正常になることもありますが、場合に
よっては狂いが倍加されます。

だから、わたしが「狂者の自覚」を持つことによって、わたし
がまともになれる保証はないのですが、まあ、そこのところは
楽観しておきましょう。

現代日本の社会はあまりにも狂いすぎているので、そこから狂
うことによって狂いが倍加されることは絶対にありません。
必ず正常に戻ります。わたしはそう信じています。

ということは、現代日本社会の歪みの大きさを言っていること
であって、それを楽観と呼んではいけませんね。悲観と言うべ
きでしょう。

しかし、わたしたちは「狂者の自覚」を持てば、必ずまともな
人間になれるのですから、これは喜ぶべきことですね。したが
って、悲観と楽観、どちらでもいいのです。


『閑吟集』の「ただ狂へ!」は、つまるところ、
「狂者の自覚」なんですよ。



次回につづく


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