2008年12月01日 (月) | Edit |
ひろさちや著「狂い」のすすめ 集英社新書より(3)
Ⅰ「狂い」のすすめ(3)


思想・哲学を持つといっても、大したことではありません。
まあ、わたしたちは、自分が弱者だと自覚することです。

強者に対しては、世間のほうが遠慮してくれます。
強者を叩くなんてことはしない。

考えてみれば、世間を維持しているのが強者です。
いや、世間の甘い汁を吸って生きているのが強者であって、

その甘い汁を吸っている連中の集合体を名づけて“世間”
と呼んでいるわけですから、世間イコール強者なんです。


だから、世間は強者を叩かない。
叩かれるのは弱者です。そして、弱者は甘い汁を吸を吸わ
れる。

で、わたしたちは、そのことをはっきりと認識すればよい。
自覚するとよいのです。そう自覚するだけで、少し状況が
変ってきます。

なぜなら、弱者は自分の思想・哲学を持っていません。
持っていないのではなしに、正確にいえば持ってはいけない
とされているのです。持つことを禁じられています。

弱者が独自の思想・哲学を持てば、強者は甘い汁を吸えなく
なり、利益が激減するから困るのです。それで巧妙に、弱者
に思想を持たせないようにしています。そういう社会のカラ
クリになっています。

一見、弱者が思想を持っているかのように思えることがあり
ます。でも、それは思想ではありません。――常識――なん
です。

よく聞いてみてください。赤提灯で得々として語っているサ
ラリーマンおやじの「意見」なんてものは、商業新聞や週刊
誌に書いてあることと同じです。

いわゆる体制護持的な思想、それを弱者は自分の意見だと思
っている。思わせられているのです。そして、そのような
「まともな意見」に逆らう奴を、

「なんて非常識な奴なんだ、おまえは……!?」
と、蔑みの目で見ます。じつは、その人は奴隷でしかないの
ですよ。世間の奴隷、常識の奴隷になっているんです。

困るんです、この奴隷になった連中が。奴隷は、自分が弱者
のくせに、ちっとも弱者だと思っていません。権力者の太鼓
持ちのくせに、自分が権力の一端を握っていると考えている。
虎の威を借る狐です。

彼らは最後には、自分には何の力もないのだと自覚してしょ
ぼんとするのですが、その自覚のないうちは、虎の威を借り
て威張っていて、弱い者いじめをやっています。

……
そんな奴隷・太鼓持にならないためには、われわれは自分を
弱者だと自覚することです。なんの権力もない弱者だと自覚
した人は、まず第一に世間を信用しなくなります。
世間に踊らされることはなくなるのです。



次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
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