2008年11月30日 (日) | Edit |
ひろさちや著「狂い」のすすめ 集英社新書より(2)
Ⅰ「狂い」のすすめ(2)


青臭いようなことを言いますが、わたしは思想・哲学と
いうものが、苦しみの現実と闘う武器になると思います。

世の中をすいすいと泳いで生きていけるのであれば、
なにも思想・哲学を必要としません。

強者にとっては、世の中が味方になってくれますから、
闘う必要がないからです。

だが、弱者にとっては、世間は冷酷です。弱者は世間の
流れに棹さして生きることができません。


いつの世にあっても、弱者は世間とよそよそしい関係になって
しまうのです。そして世間は彼に重圧をかけてきます。弱者は
世間の除け者にされ、場合によっては世間から糾弾されます。

そんなとき、弱者にとっては思想や哲学が一つの武器になりま
す。

もっとも、なにも世間と闘わなくてのいいのですよ。世間に迎
合したってかまいません。胡麻を擂り、おもねり、へつらって
生きる生き方もあります。まあ、たいていの人はこういう生き
方を選んでいますね。

しかし、いくら胡麻を擂ったって、世間は弱者の味方はしてく
れません。やるだけ無駄だと思います。そして、そんな卑屈な
生き方をすれば、自己嫌悪におちいります。やめたほうがいい
ですね。

だから、弱者は、武器を持ったほうがいいのです。
もっとも、世間と闘うといっても、真っ向から闘争を挑む必要
はありません。わたしは、革命の戦士になれ! とすすめてい
るのではありません。

ちょっと世間を下にン見てやればいいのです。見下すのです。
〈俺は世間を信用しないぞ〉と、心の中でちょっとつぶやいて
みるだけでいいのです。スマートに言えば主体性の確立ですね。

俺は世間の奴隷じゃないぞ――といった意識を持つことです。
それが、わたしの言う思想・哲学なんです。こういう武器を
持っていると、あんがい世間は怖くありません。

あの室町後期の庶民たち――庶民たちは当然弱者です――は、
一つの武器を手にしたのですね。それが、
《何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ》
の哲学です。

人生は夢です。だとすれば、権力者の人生もはかない夢のよう
なものだし、われわれ庶民の人生も同じくかない夢。夢である
かぎり、同質ですね。別段、権力者の人生が立派なわけではな
い。われわれの人生が劣っているわけではない。

《お殿さまでも家来でも、お風呂に入るときゃみな裸、裃脱い
で刀を捨てて、歌の一つも浮かれ出る》

そんな歌があったと思います。調べてもらったら、古川ロッパ
(緑波)が映画「東京五人男」(1945)の中で歌ったものだそうです。
お殿さまを総理大臣に、家来をサラリーマンに置き換えりゃ、
結構現代的になりますね。

ともあれ、人生は夢です。だとすれば、まじめに生きるに値しま
せん。いや、まじめに生きてもいいのですよ。でも、糞まじめに
考える必要はない。そういう自己拘束をやめにしませんか。
『閑吟集』はそう提言しているのです。

いいですね。わたしはこの歌が大好きです。そして、わたしは
これを、――「ただ狂え」の哲学――と名づけています。

この哲学でもって世間と闘ってみよう。そうすると、きっと視界が
開けてくるだろうと思っています。




次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
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