2008年11月29日 (土) | Edit |
ひろさちや著「狂い」のすすめ 集英社新書より(1)
Ⅰ「狂い」のすすめ(1)


『閑吟集』というのは、室町後期に編纂された歌謡集です。
編者は未詳。庶民の生活感情を伝えた当時の歌が収録され
ています。

その『閑吟集』から私の大好きな歌を引用紹介しょうとして、
再読してみたら、こんな歌が見つかりました。

お目当てのものはあとに回して、先にそちらを紹介します。
《何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり》


“何ともなやのう”は、どうにもしかたがないなあ……
といった意味です。“人生七十古来稀なり”は、唐の詩人、
杜甫の言葉です。

そしてこの杜甫の言葉から、七十歳を“古稀”と呼ぶように
なったのは、先刻ご存じのことでしょう。

じつはわたしは、昨年(2006年)になりました。それで、
『閑吟集』のこの歌に〈どきり〉とした次第です。まったく
しょうがないなあ……といった心境です。

また、こんな歌もあります。
《世間は ちろりに過(すぐ)る ちろりちろり》

“ちろり”はまたたくまの意。人生はまたたくまに過ぎてし
まいます。七十年なんて、あっというまです。

でも、だからといって、時間を大切にしなさい、充実した
人生をおくりなさい、と、そんなことは言いたくありません。
それとは正反対のことを言いたくて、『閑吟集』から引用し
ようとしたのです。

そうです、お目当ての歌は、こういうものです。
《何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ》

何になろうか、まじめくさって、人間の一生なんて夢でしか
ない。ひたすら遊び狂え――といった意味でしょう。
“くすむ”とはまじめくさることです。

しかしね、誤解しないでくださいよ。「ただ狂え」
「ひたすら遊び狂え」と歌われていますが、だからといって
室町時代の彼らが遊び狂っていたわけではありません。

悲しいことに、現実には彼らは牛馬のごとくに働かざるを
得ないのです。室町時代にかぎらず、いつの時代でも、
庶民はあくせく働くよりほかありません。

その現実の苦悩の中で、だからこそ庶民は、《一期は夢よ 
ただ狂へ》と歌ったのです。それはある意味で、彼らの願望で
ありました。

いや、願望というよりも、むしろ現実と闘うための思想的根拠
であり、武器であったと思います。



次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
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