2008年11月27日 (木) | Edit |
谷沢永一著「嫉妬する人される人」幻冬舎より(9)
第一章 嫉妬が動かしてきた日本社会(9)


寛永時代の老中に、松平伊豆守信綱という人物がいます。
寛永十年に、若年寄から老中に上って、三十年間にわたって
老中を努めました。

その間に、島原の乱や由比正雪の乱などがありましたが、
それらは前の時代からの因縁で起きたもので、信綱の責任
ではありません。

政治家の仕事で何がいちばん偉いかというと、事件が起こら
ないようにすることです。事件が起こってから火を消しに行
くのは、だれにでもできます。



「江戸時代の最大の政治家はだれか?」
私はよく人に訊きますが、伊豆守信綱を挙げる人は一人も
いません。なぜかというと、彼にはこれという実績がない
からです。

近世の歴史についてはこれだけ研究が進んでいるのに、
松平信綱に関する単行本はまだ一冊も出ていません。
あまりに資料が少ないので、歴史家も研究のしようがないの
です。彼はこれからもずっと黙殺され続けることでしょう。

しかし、私は、資料が少ないのは信綱が自分ですべてを消して
しまったからだろうと考えています。全身全霊をささげて三代
将軍と四代将軍の治世をあずかり、幕藩体制を確立したわけで
すから、大変な政治家であったことは間違いないのです。

それでいて、禄高は武州川越の七万五千石しかありません。
譜代の上限が十五万石ですから、わずか半分です。しかも、
彼に「禄高を増やしてやろう」とだれかが言った記録はな
にも残ってはいません。

禄高が変っていないのは、彼が受けなかったからだろうと思い
ます。つまり、信綱は後世に自分の名前が伝えられることを拒み、
経済的に報いられることも拒み、ただ政治という大きな舞台で、
男の一生を賭けて精一杯腕を振るったのです。

そして三十年老中を努めて、リタイヤして十ヵ月後に亡くなって
います。疲労困憊して、まさに朽木の倒れるごとくといったとこ
ろでしょう。

ここにも、政治の実権を掌握しつつ、名声を拒むという二元論の
哲学が活きています。自らの政治に没頭するために、余計な嫉妬
を避けたのです。だからこそ私は、松平信綱は天晴れな男、辣腕
の政治家だと思っています。

講談の世界では、華やかなイベントはすべて寛永時代へ持ってい
きます。寛永御前試合、寛永三馬術などなど。文化の方面では
寛永の三筆が有名です。

家康と秀忠には戦陣と硝煙の気配がつきまとうのに対し、三代将
軍・家光はそこから完全に抜け出ています。出版界では寛永から
刊記がはじまりました。

寛永からあとに本当の江戸文化がはじまったように思われます。
時代をこのように演出したのはだれだったのでしょうか。




次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
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