2008年11月26日 (水) | Edit |
谷沢永一著「嫉妬する人される人」幻冬舎より(8)
第一章 嫉妬が動かしてきた日本社会(8)


家康の晩年の寵臣で、本多正信という人物がいます。

じつは、大阪城落城の筋書きを全部書いたのが本多正信
です。

彼がいなければ、あれだけ無茶苦茶な言いがかりをつけて、
京都五山の僧侶を全部引っ張りこむような荒業はできませ
ん。

狸おやじ・海道一の弓取という家康の権威と、悪魔も顔負
けするような正信の悪智恵とが合体したからこそではない
かと思います。


その功に報いるために、あの物惜しみするケチな家康が
本多正信に加増してやろうとします。

これで世の中は平安になるという時期でしたから、この時期
に加増してもらわないと後世に自分の土地を伝えることがで
きなくなります。

どんな人間でも喜んで加増してもらうはずですが、なぜか
本多正信はその話に乗りませんでした。

相模国(神奈川県)の甘縄二万二千石もらっていたから、
それでもう十分だといって、一石たりとも増加を受けなかっ
たのです。これも周りの妬み嫉みを避ける方法の一つでしょう。

また、正信は絶対に表へ出ようとはしませんでした。
駿府の大御所へ各地から人がやって来ますが、その対応は井伊家、
酒井家などの合戦上手の武者に任せて、自分は奥のほうに引っ込
んで、その憎たらしい面を絶対に出さなかったのです。

その代わり、茶坊主を走らせて「今日来た大名はどんな表情を
していたか」など、細大もらさず報告させていました。

万事がこの調子で、そこまで正信は、計算し考えぬいて行動して
いたのです。まさに、政治の表も裏も知り尽くした男だったとい
えます。

その本多正信に、正純というなかなか頭のいい息子がいました。
使い捨て主義の家康は、正信の代わりに息子の正純を二代目の
寵臣にします。そして、あまり切れ物ではない二代将軍・秀忠
のほうへ正信を付けたのです。

息子の正純は、家康の命を受け先頭に立って大名取り潰しの荒業
を行います。これを見て、全国の外様大名たちは「つぎは自分が
取り潰しになるのではないか」と戦々恐々し、正純を非常に恐れ
ました。

正純は、各地の大名が駿府にやって来ると、必ず自分が表に出ま
した。ギロッと目を光らせて、「ご苦労」と威張ってみせたので
す。ここが、父の正信と大いに違うところです。

なにしろ背後に家康の権威を背負っていますから、怖いものなし。
相手が五十万石の大名であろうが、何であろうがおかまいなしで
した。

それだけでも、正純は諸大名から憎まれる要素は十分でしたが、
さらに加増されて三十五万石となって、幕閣および諸大名の嫉妬
と憎しみは頂点に達します。

徳川譜代の大名は井伊家を別格としてひとしなみに十五万石が
上限ですから、「なんであの正純だけが……」となるのは当然
でしょう。

家康が亡くなり、秀忠の時代が終わりごろになると、暗殺計画を
練るような陰謀団ができて、ついに正純は殺されてしまいます。

昔から、地震、雷、火事、親父といいますが、地震、雷、火事は
根こそぎ持っていかれても人を社会的に失脚させまん。しかし、
嫉みによる陰謀は、社会的に男の生命を奪います。とにかく、
人の嫉妬や恨みは恐ろしいものです。

そもそも政治とは、陰湿なものです。暗く、湿って、後ろめたい
ものです。だからこそ、裏方はあまり表に出てはいけない。

父・正信の姿をみていたにもかかわらず、正純には、それがまっ
たくわからなかったということでしょう。




次回につづく


↓↓↓あなたの応援↓↓↓(1日1クリック)お願いします。

にほんブログ村 哲学ブログへ人気blogランキング精神世界 ランキング



スポンサーサイト
テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック