2008年11月25日 (火) | Edit |
谷沢永一著「嫉妬する人される人」幻冬舎より(7)
第一章 嫉妬が動かしてきた日本社会(7)


日本の政体が、何重にも入り組んだ構造になっているのは、
なぜか。

それは他でもありません、根本は嫉妬心の魔除けなのです。
日本の政治家は、藤原不比等の時代から今日まで、いかに
日本国民の嫉妬を避け、逸らしていくかに全身全霊をささ
げてきました。

そもそも嫉妬というものがなければ、それほど幾重にもな
った構造にする必要はありませんし、一元論で十分やって
いけるはずです。


たとえば天皇家が武装したとしても、ヨーロッパの常識か
らすれば少しも不思議ではありません。ところが、日本で
そんなことをしたら、大騒ぎになるでしょう。

日本という国は昔から一元化してはいけない国なのです。
世界の歴史は、世俗の権力と宗教の権威とが相冒しあう
相関図です。

なぜそうなるかというと、なんでも一元論で片付けないと
気がすまないからです。しかし、日本の場合は反対で、
一元化されるとかえって落ち着かないから、多重構造の
政体を作り上げる。

そのために、日本では「権威」と「権力」とがぶつかり
合う内乱は起きなかったのです。

武家による全国統治を、史上初めて成し遂げたのは頼朝
政権ですが、その統治の方法をすべて立案したのは大江
広元でした。

大江広元は、京都ではうだつの上らない下級貴族でしたが、
しっかりと時代の流れを見定め、早めに鎌倉へ下って頼朝
のもとに参じ、いろいろと献策をしていくのです。

じつのところ、頼朝がどこまで賢かったのかはわかりません。
この政策は頼朝が打ち立てたものだと断定できるものはあり
ませんし、たいていは広元が考え出したものではないかとい
われています。

なぜなら、頼朝政権の政策は京都朝廷の呼吸を、あまりにも
よく呑み込み過ぎているからです。後白河天皇を簡単に騙し
てしまう手口は、大江広元でなければできないでしょう。

大江広元は現代流にいうと、黒幕であり建国の英雄ということ
になります。ところが、彼はある要職には就いていますが、
絶対に上位には上がろうとしません。

なぜなら、関八州坂東武者の栄光ある歴史からすれば、
京都から流れてきた者はしょせん余所者でしかないからです。

そんな余所者が、いかに賢くていかに功労があろうとも、いや、
だからこそ高位に達したら、みんなから嫉妬の対象になるのは
目に見えています。

頼朝はもっと土地を与えようとしたかもしれませんが、広元は
断ったのでしょう。

建国の英雄である広元の地位が上るのは、頼朝が亡くなり、
次いで実朝が亡くなって、源氏が完全に一掃され、北条家の
一元支配になったときのことです。

それも、辛うじて上から三番目の地位でした。それを考えると、
この大江広元もなかなかの人物だといえます。

それにしても、自分を弾き飛ばして下積みを余儀なくさせた京都
朝廷を、下から一気に引っ繰り返したのですから、広元はきっと
男の生き甲斐を感じ、大いに満足したことだろうと思います。

深夜、一人で一杯飲みながら、密かにほくそえんでいたのでは
ないでしょうか。

日本で成功した、あるいは終わりを全うした政治家は、必ず日本
人の嫉妬心の強さというものを肌身に感じていたはずです。

だからこそ、嫉妬を極力避けて通る。
そうでなければ、こうした鮮やかな「出処進退」を
決断することはできません。




次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
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