2008年11月20日 (木) | Edit |
谷沢永一著「嫉妬する人される人」幻冬舎より(2)
第一章 嫉妬が動かしてきた日本社会(2)


秀吉の場合、ことに黒田官兵衛に対しては、
嫉妬が高じて恐れになっています。

これも、「嫉妬論」を語る時の忘れてはならぬポイントです。
嫉妬の対象となる相手に、ただ嫉妬している間は、まだ軽く
見ているといえます。

ところが、もっと相手が大きな存在になると、今度は「恐れ」
になります。

秀吉にとって黒田官兵衛は、彼がいなければ天下取りはできな
かったろうと思えるぐらいの重要な人物です。


ところが、秀吉が日本史上空前絶後の奇跡をおこして天下を取
ってから、官兵衛をどう処遇したかといえば、豊前小倉十三万
五千石なのです。

自分の盟友で、ずっと支えてくれた前田利家には加賀百万石で
すから、そこから割っていけば、いくら少なくとも官兵衛には
五十万石は与えるべきでしょう。

ところが、秀吉は、官兵衛を遠く離れた豊前小倉へ放り出して、
わずかな石高にしてしまう。

秀吉は、壮年まで絶対に人の悪口を言わない、人の批判をしない、
口を固く閉めていた人ですが、天下人になってからはやはりペラ
ペラしゃべっている。

それはそれで面白いのですが、ある席で並み居る人たちに、
「もし私がここでポコっと死んだら、だれが後の天下を取るか」
と尋ねるのです。そのとき、

「それは三河殿か、利家老か、あるいは……」
と名前が上がりますが、それに対して秀吉は一言、
「違う、あの官兵衛よ」
と断じます。

このエピソードは後で作った話だとは思いますが、
それほど秀吉は官兵衛のすごさを、しみじみ知っていたわけです。

すると、ここから一つの命題がでてきます。
秀吉も官兵衛も、どちらも非常に優れた英雄の素質を持った人物
ですが、その間にどれだけの能力の差があるのか、少なくとも
秀吉は差があると見たわけで、その場合に友情は成立しない。

これはもう敵味方です。秀吉は、自分が天下人になってからは、
官兵衛にこの世にいてほしくなかったのではないでしょうか。

だからこそ、嫉妬の極りは、「恐れ」と「憎しみ」。
意識の中で「抹殺をする」というところまで、嫉妬はつき進んで
しまうのです。



次回につづく


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ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
黒田官兵衛(如水)
やまんばさんの
「本当に才能がある人にはあんまり欲の深い人は
いないように思える」
というコメントにはちょっと賛成いたしかねます。

欲のない人は才能があるなしにかかわらずいらっ
しゃるのではないでしょうか。

わたしは、才能がある人はむしろ欲も深いのでは
ないかなぁと思います。

隠居後の号である「如水」は、
文字通り水の如くの清らかさや柔軟さを人生訓
としていたというのは、実際の性格が違うから
だとおもいます。

あらゆる権謀術数を駆使する名参謀であれば
「水の如く」という名をつけて、巧みに無欲を
演出したのではないでしょうか?


黒田官兵衛は自分の処遇に驚くことはなかったと
思います。彼は秀吉のことを知り尽くしていたこ
とでしょうから、懸命に野心を隠し続けていたの
ではないでしょうか。



2008/11/20(Thu) 19:52 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
秀吉と黒田官兵衛
秀吉は官兵衛の才能をみつけ、それを愛したのではなく、自分の利益のために利用したのですね・・・。だから、目的を達成したら、いらなくなったし、あまりにも相手のすばらしい才能を恐れたのでしょうね。
では、黒田官兵衛さんはどうだったのだろう?まあ、最初はその処遇に驚いたかもしれないけど、秀吉と一時代自分の才能を生かしきった時代があったことを、幸せに思い、置かれた場所で、それはそれで新たな幸せを見つけた方なのではないかと想像します。本当に才能がある人にはあんまり欲の深い人はいないように思えるからです。
2008/11/20(Thu) 07:46 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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