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2006年04月17日 (月) | Edit |
鈴木研二著「悟りの冒険」-深層心理学と東洋思想 創元社より (5)


・・・・・・
トータルな否定の象徴としての〈死〉は、
いまだ大雑把で抽象的な観念である。

実際の〈死〉はといえば、
さまざまな具体的様相を呈しつつ、
意識に浮上するものである。

そこで、次にそれらを
五つほどに分類して考えておく。

①世俗的苦悩としての〈死〉=苦
②非日常性としての〈死〉=他界
③後悔をもたらすものとしての〈死〉=セルフ
④生の有限性を浮き彫りにする地としての〈死〉=虚無
⑤自由としての〈死〉=空

これらはそれぞれ
トータルな否定である〈死〉のある側面である。


深い部分で互いに絡み合っているから、
もともとは截然(せつぜん)と
区別できる性質ものではない。が、

便宜上このように分類して考えると
〈死〉がよく見えるのである。

〈死〉は多義的かつ重層的な現れ方をする。

個人個人における現れ方のちがいは、
〈死〉と向き合う人の人格の発達度に
関係するようである。

くだいて言えば、
〈死〉を何と見えるかによって、
見る人の人格の発達段階がある程度推定できる。

つまり、これは一種の投影法による
心理検査のようなものである。

ロールシャッハ・テストの
インク・プロットの変わりに、
曖昧模糊とした死が置かれると見ればよい。

するとそこに投影される心理、
特に〈死〉の不安や恐怖は、
一定の精神発達の枠内における、

人間の心の中の最も深い否定を
映し出すと考えられる。

人間は表層意識的な〈死〉=否定を統合するにつれ、
新しい、より成長した人格に発達する。

すると、次なる否定の象徴としての〈死〉も
一段と様相を深める。つまり、
人間が悟れば悟るほど〈死〉もまた深まると言える。

その意味で、ひとの〈死〉は
彼や彼女の悟りの指標なのである。

悟りを、〈死〉と直面しそれに打ち克つことと見るならば、
具体的なその過程が①から⑤の〈死〉との直面になる。


①世俗的苦悩としての〈死〉=苦

初めの二つ(①、②)は難しくない。
ここに分類されるのは、具体的には、死に際の痛み、
苦しみ、残される家族の生活に関する心配、

あるいは生き残る人々の歎きを想像しての悲しみ、
さらに墓地の確保の問題等、世俗内の問題として
理解できる種類の〈死〉の不安・怖れ、
あるいは気懸りなどである。

・・・・・・
ここで問題にしたいのは、
この種の〈死〉によって脅かされ、
否定されるものが何かということである。

ちょっと考えてみれば見当がつくように、

それは身体と心の快適な暮らしであり、
家族や友人・知人との楽しい交流であり、
安全で保障された今の自分の生活である。

つまり、人が主として世俗的生活、
特に快適なそれの枠内で生きている場合に、
彼や彼女の〈死〉は、

その否定の象徴として①の様相を前面に
押し出して現れるのだと考えられる。

しかしこれは〈死〉という氷山の
最も目につきやすい一角でしかない。

人間が死に対して抱く不安と恐れは、
麻酔薬と社会保障制度と葬式だけで
癒されるものではない。


②非日常性としての〈死〉=他界

・・・・・・
実際に死に直面し、
あるいは死にかかっている人間の孤立感・
無援感・隔絶感などとしてそれはやって来る。

死にかけた人間は、
特に現代日本のように死を否認しがちな社会においては、
世間の、あるいは元気に生きているみんなの、

あるいはふだんの暮らしから得られていた支えが、
突然一切合財取り払われてしまったように感じる。

いつのまにか自分が、自分だけが、
日常性の網目の外に運び去られて
しまっていることに気づくのである。

・・・・・・
②の〈死〉における不安と恐れの本質は、
俗世間というふつうの人々の群れからはみだす
不安と怖れである、と言ってよい。

これによって否定されるものは、
人々の群れの中の、日常的な、
あるいは世俗的な暮らし全体である。

正確を期すならば、
そういう暮らしだけが人生だと
見る見方である。

人が主として世俗の苦や楽の範囲内で
生きている場合に、〈死〉はその
アンチテーゼとして②の様相を前面に
出してくると考えられる。


次回につづく


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テーマ:心理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
散りゆく桜のイメージ
さくら咲き さくら散る

うらうら ほろほろ さくら散る

散るさくら
とか、うしろ姿とかが好ましい
山頭火みたいに・・・

2006/04/18(Tue) 16:33 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
死は、人間の心の深い底を映し出す鏡。
やまんばは、つい最近まで、自分の心のもつれを解くのに夢中でした。それまで現実の世界にいるのに心がそれにとらわれて本当の意味で生きていなかった。それから開放され、やまんばは、生きることが、今、うれしくてしかたないのです。年をとって、みかけは、ぶさいくだけど心は生まれたばかりのピチピチです。コホホ。死は人間の心の底を映す鏡、やまんばは、悟りには、遠い存在ですが、もともと、あるようでないような世間をものさしにする習慣がないので、死は、丁度今の季節のような、散りゆく桜のイメージです。

2006/04/18(Tue) 14:12 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
今回のは ほんとに・・・・・
やまんばさんをはじめ、人気がないなあ~
わかりました~~。
読まなくてもいいから、
みなさん1クリックだけはおねがいします。^^
いやあ~まいったな~
でも、ちゃんと読んでくださっている方もいらっしゃる
ので、さいごまでよろしくおねがいします。
2006/04/17(Mon) 18:48 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
うわー漢字がおおすぎるし、文章がわかりにくくて
読めないー読もうとすると眠くなります。

私はやはり バーカなのかあああ。
2006/04/17(Mon) 18:33 | URL  | こころこ #-[ 編集]
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2006/04/17(Mon) 18:02 |   |  #[ 編集]
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