2008年11月09日 (日) | Edit |
A・スマナサーラ著「自分に強くなる」サティ瞑想法 国書刊行会より(5)


輪廻転生ということについて少しお話します。
死んだ後も生命がつづくという話をすると、
間違いなく誤解されます。

たいていの人が、「では私は死んでも生まれ変わるのかなあ」
とまず考えてしまうのです。

そういう概念で考えるとおかしなことになるし、
ややこしくなるだけです。

だから私はこの輪廻転生の話はあまりしないことにしています。


これは一般の常識ではまったく理解できないことです。
なぜならば、先ほどの「私は生まれ変わる」ということですが、
その「私」とはいったい何でしょう。

ほんとうはそれもはっきりとしていないのです。
ただ漫然と「私」と言って納得していますが、
その「私」というのは何かを指しているに違いありません、
言葉とは何か対象を指すものなのだから。

ところがその「私」というものは、決して輪廻転生で再生しません。
残念ながら再生するのは「私」ではなくて、他の働きです。
それはまだはっきりと認識できていないのです。

つまり確認されていないのです。
ですからどうやって死んだ後に人の命がつづくのか分かりません。
でもそのことは分かってもわからないくてもどちらでもいいのです。

問題は、もし死んだ後にも何らかの形で自分の命がつづくならば、
それは身体ではあり得ないということです。

いくらいっぱい食べて身体を育てても、それは死んでしまえば火葬
して、灰になって終わりですからね。もし来世に何かを持っていけ
るとすれば、それは自分の心のなかで育ったものだけということに
なります。

私たちには、悩んだり苦しんだり楽しかったり、いろいろな精神的
な働きがありますね。仏教では盗まれないものという表現をします。
心に育てたものは決して盗まれない。

手や足や命は取られることもあります。でも徳や性格や、精神的な
ものはだれも取っていくことはできません。

だから、とにかく生まれ変わろうが、生まれ変わることがなかろう
が、そういうことには関係なく精神を育てることが正しい生き方で
あることは事実です。




次回につづく


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ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
心に育てたものは決して盗まれない
スマナサーラさんの表現は、独特なリアリティがあります。


「問題は、もし死んだ後にも何らかの形で自分の命がつづくならば、
それは身体ではあり得ないということです。

いくらいっぱい食べて身体を育てても、それは死んでしまえば火葬
して、灰になって終わりですからね。もし来世に何かを持っていけ
るとすれば、それは自分の心のなかで育ったものだけということに
なります。」


「身体は死んでしまえば火葬して、灰になって終わりです」

これは私たちはもう何度も火葬場にいって伯父や叔母や多くの親族
の身体が、実際に煙となってしまったのを見て知っています。

ですからもし来世に何かを持っていけるとすれば、確かに自分の
「心のなかで育ったものだけ」ということになりますね。

では来世に持っていけるものはいったい何なのでしょう?
それは不滅の「根源的気づき」なのではないでしょうか。


2008/11/09(Sun) 18:36 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
精神を育てる
昨日、やまんばは精神が育ちました。ニョキッ、1センチくらいかな^^
ろくろくさんのコメントはりっぱなものでした^^
印刷してとっておきます。
もし将来、やまんばが寝たきりになったら、このろくろくブログの印刷物は、大きな楽しみの一つになるやもしれません。
学びは生涯続き、また探索し、実行し痛みや喜びを伴って理解されていくのは、素晴らしい旅だと心からおもいます。
2008/11/09(Sun) 07:36 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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