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2008年10月27日 (月) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(67)


弟子 私はいささか異なった意味で質問をしたいのです。両眉の間とい
う位置は、自己の場であると言いうるのでしょうか?

マハリシ あなたは、自己が意識の究極の源であることを認め、それは
心の三つの状態(眼覚め、夢、眠り)のすべてを通じて生きていることを
認める。けれども、ある人が瞑想をしていて眠りに襲われたとき、何が
起こるか見てごらん。

眠りの最初の徴候は、彼の頭部がこっくりすることである。もし自己が
眉の間、あるいは頭部のどこかに位置を占めているならば、そのような
ことは起こりえない。

眠っている間に、自己の経験は両眉の間には感じられないのだから、
自己はしばしばその位置を変えるという馬鹿な主張をせずしては、
その中心がそこにあるという言うことはできない。


事実は、サーダカ(修行者)は、彼が心を集中するどの中心(チャクラ)に
おいて体験を得てもかなわない。けれども、この理由のために、彼が体
験する特別の位置は、イプソ・ファクトすなわち自己の座にはならない
のである。

聖カビールの息子、カマルについてのおもしろい話がある。この物語は、
頭部が自己の座とは考えられないことを示す、一例を提供するだろう。

カビールは、激しくシュリ・ラーマに帰依しており、彼の愛する主の讃
歌を歌う者には必ず食事を与えるのだった。けれどもあるとき、帰依者
たちの集まりを前にして、食事を用意する資金がたまたまカビールには
なかった。

それでも彼は翌朝までに必要なだけのものを用意しようと思っていた。
彼と息子は、夜になってから必要な食料を獲得すべく出かけていった。

物語は飛んで、親子はうまく商人の家の壁にあけた穴から食料を選び出
した。その後で息子は、再びその家の中に入り、家の人々を起こして、
泥棒なりの仁義を守ってその家に夜盗が入ったことを告げた。

家の人たちが起き出したとき少年は、壁穴の向こうにいる父親と合流し
てうまく逃げ出そうとしたが、体が穴の入口にひっかかってしまった。

追いかけてくる家の人々に捕まらないよう(もし捕まってしまえば翌朝
帰依者仲間に食物を与えることができなくなってしまうので)、彼は父
親に首を切り落としてそれを持って逃げるようにと言った。

カピールはそうした。盗んだ食糧と息子の首をかかえてうまく逃げきり、
家に帰りつくと、秘密の場所にそれを隠しておいた。翌日カビールは、
前夜のできごとなどまったく心にとめずにバクタ(帰依者)たちにご馳走
を提供した。

「それがラーマの御心ならば」カビールは自分自身に言っていた。
「息子は死ななければならないのなら、どうか御心が行なわれますよう!」
夕方になってカビールの一行は、いつものように行列を作ってパジャナ
(唱名)をしながら町に出かけて行った。

一方、盗人に入られた家の人は、カマルの何の手がかりにもならない首の
ない身体を差し出して、一件を王様に告げた。身もとを調べるために王様
は、その身体を町の大通りに目立つように縛りつけておいた。

そうしておけば、その死体を請求に来るか持って逃げようとする人は(死体
は親類縁者によってとり行われる最後の儀式なしに棄てられてはならない
ものなので)、ひそかに配置されている警官に尋問され、逮捕されるはずで
あった。

カビールとその一行は、大声でパジャナをしながら大通りをやって来た。
すると驚いたことには、カマルの首のない身体が(それは確かに死んだと
見なされていたのだが)、パジャナの一行の歌の調子に合わせて、両手を
打ちはじめたのだった。

この物語は、頭ないし両眉の間の位置が自己の座であるという主張を反駁
するものである。



次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
頭は自己の座ではない
「カマルの首のない身体が、パジャナの一行の歌の調子に合わせて、
両手を打ちはじめた」という話はすごいですね。

ラマナ・マハリシ老師は、なんとしても頭は自己の座ではないという
ことを伝えたいのですね。




チャクラ(cakra )は、サンスクリットで「車輪・円」を意味する語。

第6番目のアージュニャー(Ajna)チャクラが眉間に相当します。
「第3の目」とも言われていて、インド人はここにビンディ(赤い顔料)
をつけます。

私は、この眉間に集中すると、よく白い光がみえていました。
あれは何だったのでしょうか。ここが開かれると人は、至高の存在に
なると言われてれているそうです。

ダライ・ラマ14世は、各チャクラに心を集中すると何かしらがあると
いう反応が得られると述べています。




2008/10/27(Mon) 17:21 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
両眉の間
今日わからなかったところはチャクラです。
よく図解されたりした絵は何回かみることはあるのですが、なんのことだろうか?チャクラが開くってどういう状態になることをいうのだろうか?と思います。

それから眉間の間のところなのですが やまんばはこんな経験があります。ある友人の家に遊びに行った時(5~6人居たと思います)そこに中年のおじさんがおられて、おもしろい実験をするからテーブルを囲んで座るようにといわれました。テーブルの真ん中にメトロノームが置かれ、私たちは目をつむり、その音に集中したのです。やまんばはその間とても困りました。眉間の間が、太鼓のようにメトロノームの音に反応して、くすぐったかったのです。早く終わらないかなあと思いました。終わってそのままの感想をいうと、「あなたは前世たくさんの修業を積んでこられましたね」と、真面目な顔をしていわれ、自分が急に偉くなったような気持ちになりました^^^^。チャクラの図解にも眉間のところにも印がしてあったです。何なんだろう???
カビールさんのお話はおもしろかったです。
「お金がなかったので・・・夜になってから必要な食料を獲得すべく出掛けていった・・・泥棒なりの仁義を守って^^^」それありですか^^^笑ってしまいました。・・首のない身体が(それは確かに死んだと見なされていたのだが)歌の調子に合わせて、両手を打ち始めたのだった・・・想像するとおもしろかったです。
2008/10/27(Mon) 07:19 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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