2008年10月23日 (木) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(63)


弟子 シュリ・バガヴァンは、ハートは意識の座であり、
自己と同一のものであると言われます。
ハートとは正確には何を意味するのでしょうか?

マハリシ ハートについての問いが起こるのは、あなたが
意識の源を求めることに興味があるからである。

深く考えるすべての心にとって、「私」およびその本性を
探究することは、いやおうのない魅力である。

神、自己、ハート、意識の座、それをどの名で呼ぼうと、
すべて同一のものである。


把握されるべきことは、ハートとは、それなしには何ものも
存在しえない、人の存在の中核そのものを意味し、中心を意
味するということである。

弟子 しかし、シュリ・バガヴァンは、ハートの位置を身体内
の特別の場所、胸の中央から指二本分だけ右に寄った所にある
と、明細に述べられました。

マハリシ そうだ。それは聖者たちの信仰証明による霊的体験
の中心である。この霊的なハートの中心は、血液を送り出す筋
肉器官である心臓と同じ名前ではあるが、まったく異なったも
のである。

霊的なハートの中心は、身体の器官ではない。ハートについて
あなたが言えることのすべては、それがあなたの存在の中核そ
のものである、ということである。

ハートに相当するサンスクリット語のフリダヤムが意味してい
るように、あなたは、眼を覚ましていようと眠っていようと、
夢を見ていようと仕事をしていようと、サマーディ(三昧)に
溶けていようと、本来はそれと一体なのである。

弟子 その場合、それは身体の中のある部分にどうして限定され
るのでしょうか?ハートを一か所に固定することは、空間と時間
を超えたものであるそれに、生理学上の限定を加えることを意味
するのではないでしょうか?

マハリシ それは正しい。ハートの位置について問う者は、彼自身
を身体とともに、あるいは身体の中にあると見なしている。今質問
をしながら、あなたは自分の身体のみがここにあって、あなた自身
はどこか別の場所から話しているといえるかね。

そうではない。あなたは自分の身体的存在を認めている。物理的な
身体についての言及がなされるのは、このような見地からである。

真実を言えば、純粋な意識は分割できないものであり、部分を持た
ないものである。それは、姿も形も持たず、内も外もない。右も左
もない。ハートである純粋な意識は、すべてを含み、何ものもその
外になく、それを離れて存在しない。それが究極の真理である。



次回につづく


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