2008年10月19日 (日) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (80) 


ちょうどフランスのお医者さんの中で、人間というものは、
肉体がもとで生きているのか、心がもとで生きているのか、
という華やかな争いになって、

メカニズムが真なりや、ヴィタリズムが真なりや。
そのことを、山の中の子供でも、噂に聞いていたんでしょう。

あれに、俺のいま考えていることが、幾らか参考になりゃし
ないかしら。そうして、すこしでも人の役に立ちゃしないか
しら。


このあいだまで、ただ、辛い苦しい、辛い苦しいで、何にも
人の世の中のことなんて、考えてみたこともなかった。そうだ、
料簡を入れ替えて、すこしでも人の世の中のためになることを
考えよう。

この文字を読んだとき、私は三十五だった。ほんとうに涙が出た。
俺は三十五で医学博士になって、一人前の医者でありながら、
人のためどころか、カントの悟りを開かない前の、あの子供のとき
と同じだ。

毎日、今日は熱が出やしないか、今日は血を吐きゃしないか、
今日は苦しいの、そればかり考えた。

なんと山の中の十七の子供が、こんなことを考えたのか。くやしい
の、情けないの、ああ俺はとんでもない馬鹿だ、とそのとき思った
のです。

それを思い出した、山の中で。ああ、あのとき、あの本を読んで、
俺は胸が裂けるような感慨に打たれた。いつか、それを今日まで
忘れていた。

そうだ。いまからすぐ、仕合せになれらァ。先生がそう言った。
たったいまから、その苦しさから離れて、こういう真理を考えなが
ら生きてゆこうという気持が出たことを、

喜び感謝しようという気持になれるという、先生の示唆じゃないか
しら、暗示じゃないかしら。いま、こういう気持に俺がなるのも、
もう一人の自分が出て来たからだ。ああ、そうか。俺は今日から、
どんなことがあっても断然、その尊い気持で絶対に生きて行くぞ。

それを遠くの方から見ていた先生が、タタッと駈けて来て、
「アーユー、ギャバティ、」ギャバティとは悟ったな、という意味
です。「悟りました。先生。」

それからのちの私は、まったく、薄紙ではなく厚紙をはがすように、
毎日毎日、来る日来る日、嬉しくて愉しくて、なんとも形容出来な
い。ただ、有難い、嬉しいと思うことに努めただけで、

一週間たち、二週間たち、一月たち二月たつうちにしたがって、
ぐんぐん気持の中が洗い清められるようになった。同時に肉体が、
どんどん治って来た。



次回につづく


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ジャンル:心と身体
コメント
この記事へのコメント
アーユー、ギャバティ
カリアッパ先生が
「アーユー、ギャバティ、お前は悟ったな。」
と、天風先生が悟ったことをすぐにわかると
いうことがすごいですね。

「それまで、ただ、辛い苦しい、辛い苦しい、辛い苦しい、
辛い苦しいで、何にも人の世の中のことなんて、
考えてみたこともなかった。そうだ、

料簡を入れ替えて、すこしでも人の世の中のために
なることを考えよう。」

ということを天風先生は悟ったのでありました。

小さな自己中心的な感覚や思考にとらわれた世界から
自分を超えた捉え方が出来きるようになったのでありました。


2008/10/19(Sun) 16:51 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
やまんばもうれしいです。
よかった!
偉大なるカントさんや、天風先生を身近に感じていました^^
「自分の苦しさにとらわれて 人の世のことなど考えたこともなかった。そうだ、料簡を入れ替えて、すこしでも人の世の中のためになることを考えよう」
迷いが深いほど、心のスイッチが変ると偉業が成し遂げられる場合があるのですね!
はあ~~、こういうのを、悟るっていうのですかあ^^^
2008/10/19(Sun) 07:32 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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