2008年10月17日 (金) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (78) 


あるとき、医者が来た。親爺がカントの手を引いてからに、どうせ駄目
だろうと思うけれども、せめて、この、苦しさだけでも軽くしてやろう、
と医者の前に連れて行った。

医者が診たところで、どうにもしようがないでしょう、生まれつきだ。
しかし、そのとき、医者の言った一言が、カントをして、あの世界的な
偉い人にしてしまったんですよ。

だから、人間は、冗談ひとつでも、無駄にしゃべっちゃいけないという
ことが、これでわかる。カントはじっと、医者が何を言うか、耳をすま
していた。きっと、駄目だというにきまっている、と思ってね。

覚悟していたら、これは自叙伝に書いてあることだが、医者はつくづく
と顔を見ながら、「気の毒だな、あなたは。しかし、気の毒だな、と言
うのは、体を見ただけのことだよ。


よく考えてごらん。体はなるほど気の毒だが、苦しかろう、辛かろう、
それは医者が見てもわかる。けれども、あなたは、心はどうでもない
だろう。

心までも、こんな傴僂でもって、見苦しくて、息がドキドキしている
なら、これは別だけれども、あなたの心は、どうもないだろう。

そうして、どうだ、苦しい、辛い、苦しい、辛いといったところで、
この苦しい、辛いが治るもんじゃないだろう。ここであなたが、苦しい、
辛いと言えば、おっかさんだって、おとっつぁんだって、やはり苦しい、
辛いわね。

言ったって言わなくたって、何もならない。かえって迷惑するのはわか
っていることだろ。同じ苦しい、辛いと言うその口で、心の丈夫なこと
を、喜びと感謝に考えればいいだろう。

体はとにかく、丈夫な心のおかげで、お前は死なずに生きているじゃな
いか。死なずに生きているのは、丈夫な心のおかげなんだから、それを
喜びと感謝に変えていったらどうだね。出来るだろう。そうしてごらん。

そうすれば、急に死んじまうようなことはない。
そして、また、苦しい、辛いもだいぶ軽くなるよ。
私の言ったことはわかったろう。そうしてごらん。

一日でも、二日でもな。わからなければ、お前の不幸だ。
それだけが、お前を診察した、私のお前に与える診断の言葉だ。
わかったかい。薬はいりません。お帰り、」

また遠い道をてくてく歩きながら、親子いしょにわが家へ帰って来た。
いろりの前にちょこねんと坐ったカントは、いま医者に言われて来た
言葉を考えた。

栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し。蛇は寸にして人を呑む。
やはり、世界の心理学者の最高峰を行く人間になろうカントだ。
何も学問らしい学問は、田舎の山の中の子供なんだから、していな
かったろう。

じっと考えているうちに、そうだ、あのお医者の言った、心は患って
いない、それを喜びと感謝に振り替えろと言ったけれども、俺はいま
まで、喜んだこともなければ、感謝したことも一ぺんもない。

ただ、朝起きると、夢の中でも苦しかった、辛かった、そればかりが、
俺の口癖だった。冗談にも、嬉しいとか、有難いとか言ったことはな
い。それを言えと言うんだから、言ってみよう。言ったって損はない
から言って見よう。




次回につづく


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テーマ:モノの見方、考え方。
ジャンル:心と身体
コメント
この記事へのコメント
ずっと待ってた。中に入りなよ
パウル・クレーは私も大好きです。
「さえずり機械」を探している内にお気に入りの「忘れっぽい天使」
を見つけました。

こちらのサイト「Music&Paperback」の美術館には、私好みの
ルドン、モロー、クレーがあるのには驚きました。

http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/ArtKleeAngelWasure.htm

パウル・クレー さえずり機械
http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/ArtKleeSaezuriMachine.htm

オディロン・ルドン 若き仏陀
http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/ArtRedonTop.htm

ギュスターヴ・モロー オイディプスとスフィンクス
http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/ArtMoreauTop.htm


2008/10/17(Fri) 16:52 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
薬はいりません、お帰り。
発想の転換・・・この人に自分の気持ちをわかってもらった。ここがポイントだと思いました。その人の口から、それでは今、どうしたらいいのか!という参考意見をいただいた。言葉がじんわりと体に沁みこんで行く。

やってみよう・・・・・

「朝起きると、夢の中でも苦しかった、辛かった、そればかりが俺の口癖だった。冗談にも、嬉しいとか、有難いとかいったことはない。それを言えと言うんだから、言ってみよう。言ったって損はないから言ってみよう」・・・・・やまんば、応援旗をもって立ち上がり、右へ左へ大きく振り始めました。がんばれ、カント君!

ろくろくさん、昨日はコメントいっぱいありがとうございます。
たくさんの星野さんの詩の中から、ろくろくさんが選ばれた二つの詩。どちらも共感いたしました。
また、アウトサイダーアートの紹介も感動しました。多くの中から、一番美しいなあと開いたところは、パウル・クレーの「さえずり機械」でした。他にも はっとする絵がたくさんありました。それぞれ独特なエネルギーの形でした。よいものを、たくさん見せてくださり、心から感謝でした。
2008/10/17(Fri) 09:16 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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