2008年10月16日 (木) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (77) 


その哲学を知らないから、カイロの宿屋の親爺に、ただ、偉い先生が来
ていると教えてもらった。けれども、何の文化もない山の中で、山犬に
毛の生えたような男から、お前の心の中に、もう一人のお前がいる。

日本の迷信を説くような、新興宗教の言っているようなことを、チェッ、
何言ってやァがんだ、と思ったとき、軽く背中を三つ四つ叩いて、
むこうへ行って、また坐っている。

チェッ、何がもう一人の俺がいてたまるかい。
俺は一人にきまってらァ。

そうするうちに、雑念、妄念がだんだんなくなります。
滔々と滝の音をうしろに聞いているうちに。


ふと私は、それから約一年ばかり前に、パリにいたとき、
サラ・ベルナールが読んでごらんなさい、と言って渡した、
イマヌエル・カントの伝記を、思い出すともなく思い出したので
あります。

私の心の中の、まさに、もう一人の自分が思い出したとしか考え
られない。考えようともしなかったことですよ。カントはご承知
のとおり、

ケーニヒスブルグという、ドイツの、いまは国際飛行場になって
いますが、そのじぶんには、ただの宿場であります。その宿場の、
馬の蹄鉄打ちの親爺の子供に生まれたのが、カントであります。

学校の先生たちよ。イマヌエル・カント先生が、もしも大きな革屋
の、金持の家に生れたと教わったら嘘ですよ。あれは、のちにそう
なった。生れたときには、貧しい、馬の蹄鉄打ちの倅に生れた。

そうして、因果なことには、傴僂(せむし)で、くるっと背中に、
団子みたいな瘤(こぶ)があった。乳と乳との間は、二インチ半。
脈がしょっちゅう、百二三十打って、ゼイゼイ喘息でもって、
いまにも死にそうな子供だった。

それでも、十七までくらいは、毎日、苦しい、苦しいとのた打ち廻っ
て、死なずに生きていた。いまのように、医者にもかけない。
年に二度か三度、町の医者が巡回してくるんでしょう。

あるとき、医者が来た。親爺がカントの手を引いてからに、どうせ駄目
だろうと思うけれども、せめて、この、苦しさだけでも軽くしてやろう、
と医者の前に連れて行った。

医者が診たところで、どうにもしようがないでしょう、生まれつきだ。
しかし、そのとき、医者の言った一言が、カントをして、あの世界的な
偉い人にしてしまったんですよ。

だから、人間は、冗談ひとつでも、無駄にしゃべっちゃいけないという
ことが、これでわかる。カントはじっと、医者が何を言うか、耳をすま
していた。きっと、駄目だというにきまっている、と思ってね。

覚悟していたら、これは自叙伝に書いてあることだが、医者はつくづく
と顔を見ながら、「気の毒だな、あなたは。しかし、気の毒だな、と言
うのは、体を見ただけのことだよ。



次回につづく


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テーマ:モノの見方、考え方。
ジャンル:心と身体
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この記事へのコメント
二番目に言いたいことしか
口に筆をくわえて文や絵を書く人で、すぐに思い起こされる
のは星野富弘さんです。星野さんの絵も文もホントに力強さ
が感じられます。


・むらさきつゆくさ・

二番目に言いたいことしか
人には言えない
一番言いたいことが
言えないもどかしさに絶えられないから
絵を書くのかも知れない
うたをうたうのかも知れない
それが言えるような気がして
人が恋しいのかも知れない


・きく・

よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする

強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする

しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする



星野富弘 詩画集「四季抄 風の旅」より
http://sugano.web.infoseek.co.jp/hosino/index.htm




知的障害者のアウトサイダーアートも大変魅力的ですよね

アウトサイダーアート
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&q=%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2&gbv=2

もうひとつの美術館
http://www.mobmuseum.org/


2008/10/16(Thu) 20:19 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
煮詰まっている状態
何か一つの大きな欠けたところがある。・・これはとても大切な恵みだと今は心から思える。その欠けた何かを、埋めないかぎり、本人は充足が得られない。

心がその欠けた部分を探しもとめ、うろうろうろうろさまよう。見つけたと歓喜し、埋め込んでみると、どこかが違う。ああでもないこうでもない・・苦しさや、あこがれで気も狂わんばかりになる。死ぬにも死ねない。万策尽き果てた・・そのとき、メッセージが訪れる。心の膜が剥がされる。ピッキ~~ン^^
諦めてはいけないのですね~~~

やまんばは時々体の不自由な方の絵を見ることがある。手が不自由でしたら、口に筆をくわえたり、足の指で筆を掴んで描かれたりする。さまざまな障害をかかえながらでも真剣に取り組まれて出来上がった絵は、心をわしづかみされるほど、感動させられることがある。その時にやまんばはその人々の体の状態をはるかに越えて、魂にふれあう。不自由なのは体だけ。すべての人は、「完全なる魂」をいただいてこの世に誕生しているのだと確信するのです。
2008/10/16(Thu) 09:49 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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