2008年10月08日 (水) | Edit |
H. サダーティッサ著 桂紹隆・桂宥子訳「ブッダの生涯」立風書房より(49)


昔、ひとりの王がいて、余興に、生まれつき目の不自由な人を
大勢連れてこさせた。そして一頭の象を引き入れて、
盲人たちの真中に立たせた。

盲人たちは手を伸ばし、
身近にある象の身体の一部に触れるよう指示された。
その結果、ある者は頭に触れ、ある者は耳に触れ、

ある者は牙に触れ、また別な者は鼻、足、尾などに触れた。
ひとりは尾の先の房に触れた。

そこで王は盲人たちに、いったい象は何に似ていると思うかと
順番にたずねた。

大きく堅い頭に触れたものは、「象はナベのようです。」
と答えた。耳に触れたものは、「穀物をふるうザルのようです。」
と答えた。


牙は鋤ベラを連想させ、鼻は鋤の柄を連想させ、足は柱を、尾はすり
こぎを連想させた。尾の先の房だけに触れた者は、「象はほうきのよ
うです。」と答えた。王がおもしろがったことには、

これら異なる意見の持ち主の間で、大論争が展開し、やがてなぐり合
いのけんかがはじまった。ブッダは、真実の一面だけしか見ないで、
全体を見たと独断的に考える人びとも同じことだと説明したのである。

象の喩えは、真理の追究には忍耐と謙遜が必要であると説く別の寓話
にも用いられている。森の中で大きな足跡を見つけると、素人はそれ
を象王の足跡にちがいないと考える。しかし、熟練した猟師はもっと
注意深く足跡を観察する。

そのような足跡は成長の止まった雌象が強く踏みしめた結果かもしれ
ない。猟師は別の証拠を探し回る。すると、高い木の枝が象の肩で折
られている。それでも、象王が通った後とは考えない。

彼の疑問をすべて解くじゅうぶんな証拠が見つかって、はじめて、
「やはりこれは象王の足跡だ。」と確信する。

同じように〈悟りへの道〉も段階的に達成される。どの段階でも、
まだ耐えることができるかぎりは完成に達したと考えてはならないと、
ブッダは説いている。

仏教は、生活の規律を学びたい人や、常に、祭官・聖典・祭式など、
外部の権威に指導を仰ぐ人には適していない。

ブッダの教えを全般に、調和と良識が強調されるとともに、めいめい
自分で考え抜き、決意し、道徳的判断を下すべきだと暗に意図されて
いる。当然そこには枠組みが必要であり、それが〈八正道〉である。

業(カルマ)の教義によれば、各人は最終的に自己の救済の責任をとら
なければならない。宗教儀式や完全な非活動に、一種の救済保険を探
し求めても無駄なことである。



次回につづく


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ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
死への恐怖

アルフォンス・デーケンさんは、代表的な9つの死への恐怖をあげています。

私の場合の死の恐怖を、この中から選ぶとすれば

⑧自己消滅への恐怖ただ一つです。
死によって自己が全面的に喪失するのではないかという恐怖ですね。

死ぬと自分が完全に消滅してしまうと想像することが私にとっての
一番の恐怖でした。




①苦痛への恐怖

死を前にした人の苦痛には大きく分けて四つのものがあります。

1.身体的苦痛・・・・・・・痛みや呼吸困難などの体で感じる苦痛です
2.精神的苦痛・・・・・・・体が思うようにならない苛立ちや、人への不信感などか

ら来る苦痛です
3.社会的苦痛・・・・・・・残される家族への心配や、社会的な役割の喪失にかかわ

る苦痛です
4.霊的苦痛・・・・・・・・・今までの人生の意味や、死の意味を考える事から来る

苦痛です
現在の緩和ケアでは、身体的苦痛だけにとらわれない、総合的な苦痛の緩和を目指す事

が求められていますし、実践されています。

②孤独への恐怖

人々に見捨てられて、独りぼっちで死を迎えなければならないのではないかという恐れ

です。
その「寂しさ」を素直に表現できる環境と、ケアに当たる周囲の人々が最後の瞬間まで

側にいてくれるという信頼感を保つ事が、この恐怖を和らげてくれる可能性を持ってい

るようです。

③尊厳を失う事への恐怖(不愉快な体験への恐れ)

最後まで尊厳を失いたくないという感情は自然なものですが、過剰な恐怖心に襲われる

とパニックを起こす可能性もあります。
どのような状況にあっても、「あなたは大切な人である事に変わりはない」という気持

ちで、きめ細やかな心配りをする必要があります。

④家族や社会の負担になる事への恐れ

「他人に迷惑をかけない事が美徳」とされる傾向にある日本の文化では、この恐れは思

いのほか強いものです。
どんな時でも「大切な家族の一員なのだ」という事を、思いやりのこもった行動で示す

事が大切です。

⑤未知なるものを前にしての不安

「死」に接する機会の少なくなった現代では、死という未知なるものに、一方的に受け

身の対応を強いられる事になり、深刻な不安に陥る事が少なくありません。
「死への準備教育」が必要になる所以です。

⑥人生に対する不安と結びついた死への不安

社会的な不適応や挫折を重ねると、その後の人生を素直に肯定できなくなり、自分の環

境に恨みや恐れを持つようになる事があります。このような場合、死に対しても過剰な

否定的感情を抱くようになる事が多いようです。
カウンセリングなどで、人生に対する不安と死の対する不安の相互関係を探って行く事

で、過剰な恐怖を解く鍵が見つかるかも知れません。

⑦人生を不完全なまま終わる事への不安

自分のライフワークを未完成のまま終わるという苦しみは、自分の今までの人生を否定

的に考える傾向を生みます。
周囲から、それまでの業績を指摘し、バランスの取れた自己評価を行えるように援助す

る必要があります。

⑧自己消滅への不安

死によって自己が全面的に喪失するのではないかという不安です。
「霊的」なケアが必要になります。

⑨死後の審判や罰に関する不安

死後の生命を信ずる人が持つ、主に宗教的な問題から来る恐れです。
「霊的」なケアが必要になります。


以上のような恐怖を緩和する方法として、デーケン先生は
①死への準備教育
②ユーモアと笑いの効用
③永遠の生命への希望
をあげておられます。



2008/10/08(Wed) 17:45 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
悟りへの道
すぐに「わかった」というやまんばは軽薄な人間^^。でも、それも悟りへの、「確かな一歩」と思うとうれしいです^^
象さんの大きいこと!素朴な家と対照的でした。象のひたいの赤い十字の印は何だろう?
この象の眼はやさしいだけでなく、力を感じました。象は青年の誇り、エネルギーの象徴みたいで、一心同体のようにみえました。
ろくろくさん、聞いてもよいでしょうか?
以前にも、死への恐怖がかかれてありましたが、具体的にどうなるのでしょうか?よかったら聞かせてくださいませんか?単刀直入すぎますか?そうでしたら、ごめんなさい。
2008/10/08(Wed) 07:29 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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