2008年10月06日 (月) | Edit |
H. サダーティッサ著 桂紹隆・桂宥子訳「ブッダの生涯」立風書房より(47)


ブッダが哲学的な議論を歓迎しなかったという逸話や寓話は
たくさんあるが、そのひとつにマールンキャプッタという僧の
話がある。

マールンキャプッタはいつも心が落ち着かず、
瞑想している間も、普遍的な哲学的懐疑に悩まされていた。

それらの疑問について、当然ブッダから解答を得られるものと
思っていた。しかし、いつたずねてもブッダから満足のいく
説明を得られず、無視されるだけであった。

ついにマールンキャプッタはしびれを切らして、
しかるべき解答がなければ僧団を離れて還俗すると、
ブッダに最後通告をつきつけた。


そして、自分を悩ませている疑問を、一見学者風に並べ上げた。
宇宙は永遠か否か、宇宙は有限か否か、魂と肉体は同一か否か、
などと。

「私の疑問に、あなたは答えてくださらなかった。だから悩んで
いるのです。もし説明してくだされば、ひき続きあなたのもとで
修行生活を送りましょう。さもなければ、僧団を去るつもりです。

もし世尊が宇宙は永遠であるとご存知なら、どうしてそうおっし
ゃらないのですか。知らなければ、正直に、「私は知りません。」
とおっしゃるのが当然でしょう。」とマールンキャプッタは述べた。

ブッダはまず、マールンキャプッタが自分を脅迫しようとしている
ことを戒めた。

「『マールンキャプッタよ、さあわたしのもとで修行しなさい。
そうすれば、そのような問題を説明してあげよう。』などと、
私が君に言ったことがあるか。」

と、たずねた。それからブッダはひとつの寓話を説いた。
「毒矢に射られた男がいると想像してみなさい。その友だちや親族が
急いで彼を外科医のところへ連れて行く。しかし、皆が手当てしよう
とする前に、その男がこんな風に言ったとしよう。

『誰が私を射たかを知るまで、この矢は抜かせない。それは武士か
司祭か商人か労働者か。その姓名は何か。背は高いか、低いか、中く
らいか。色は黒いか茶色か黄色か。どこの村や町の出身か。

それからいったいどんな弓で矢は射られたのか。どのような弓弦が
使われたか。矢の種類、矢羽の種類、矢鏃はなんでできているか、
私は知らなければならない。』

マールンキャプッタよ、その男はそのどれひとつとして知らないうち
に死んでしまうであろう。宇宙は永遠か、有限かなどの疑問を解決し
ない限り、修行生活に邁進しないと言う者がいれば、同じことだ。」

ブッダはさらに、修行生活はそのような疑問と無関係であることを説
明した。科学的問題についてどんな結論に達したとしても、生・老・
病・死・悲しみ・嘆きという人生の事実は変らない。



次回につづく


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ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
魂と肉体は同一か否か
釈尊は、
「宇宙は永遠か否か、宇宙は有限か否か、魂と肉体は同一か否か、
などの問題についてどんな結論に達したとしても、生・老・病
死・悲しみ・嘆きという人生の事実は変らない。」と仰いました。

しかしながら私は、ラマナ・マハリシから「魂と肉体を同一視し
てはならない」と繰り返し繰り返し学びました。そしてこのこと
により私の人生の事実、死生観がすっかり変ってしまったのです。

ラマナ・マハリシは「肉体は有限だが、魂は永遠である」また、
「人間は肉体ばかりでなく思考や感情を自分と同一視してしまう
ことが苦しみの元である」と語ります。

今まで釈尊の仏教では納得できなかったことが、マハリシの教え
により得心し、気持ちがおさまることが多々ありました。

あれほど死に対する恐怖を持っていた私が、すっかり恐怖心が
消えてしまったのには、われながら驚いています。



2008/10/06(Mon) 20:30 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
今日の最期の部分は、水戸の御老公に印籠を見せ付けられたようで、カンネン シマシタデス

「科学的な問題についてどんな結論に達したとしても、生 老 病 死 悲しみ 嘆きという人生の事実は変らない」・・・・・カクン

その気づきからがスタートでしたね。
2008/10/06(Mon) 07:34 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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