2008年10月04日 (土) | Edit |
H. サダーティッサ著 桂紹隆・桂宥子訳「ブッダの生涯」立風書房より(45)


ブッダは、人を評価する超能力をもっているなどとは言いはしなかった。
彼の判断は、経験、円熟、とりわけ、自覚の結果であった。

自分自身が話題になった場合でさえ、
賞賛と批判に対していつものように調和のとれた態度を示した。

あるときブッダは一団の僧とともに旅をしていた。
少し後から別の教団の苦行者、スッピアと弟子のブラフマダッタが
同じ道を旅していた。

ふたりは歩きながら、ブッダとその教義や教団について議論していた。


スッピアは批判的であったが、ブラフマダッタは若者の情熱をこめて
ほめたたえた。その夜ふたりは、ブッダの一行と同じ宿に泊まった。
ふたりの議論は続き、一部の僧がそれを耳にした。

自分たちがそのような批判の的になっていることに驚き、翌朝仲間同
士でそれについて話しはじめた。やがてそれを耳にしたブッダは次の
ように説いた。

「諸君、人びとが私と私の教えと教団を批判するのを聞いて、どうして
悲しんだり、腹を立てたりするのか。そのような怒りや悲しみはただ
君たちの〈自己克服〉の妨げになるだけだ。

批判されて気を悪くするなら、どうしてその批判の妥当性を正しく考察
することができようか。私たちが批判されるときには、相手の言い分を
よく吟味して、間違いを探し出し、理由をあげて指摘しなさい。

同じように、誰かが私たちについて好意的に話すときにも、決して大喜
びする理由はありません。正しいことだけ認めて、その理由を告げなさ
い。

結局、たいていの人は、どうでもいいことやささいな行為について私を
誉めたたえ、本当に大切な事柄で私を誉めることは決してありません。」

同じようなテーマの逸話が、サーバッティに住んでいたアトゥラという
熱心な在俗の信者についても残されている。彼にはたくさんの友だちが
いたが、ある日説法を聞きに行こうと皆を誘った。

彼らはまず、レーヴァタという僧に出会った。
恭しくあいさつしたのち、説法を期待してそばに腰をおろしたが、
レーヴァタは、ひとり瞑想にふける寡黙の僧であったので、
アトゥラたちに何も語らなかった。

がっかりした彼らは立ち上がると、説法の第一人者として有名なサーリ
プッタに会いに行った。サーリプッタは喜んで彼らの願いを聞き入れ、
仏教哲学に関するくわしく長い説法をした。

しかしこれにもアトゥラとその仲間は満足しなかった。
むずかしすぎて、退屈だったのである。

皆はもう一度別の説法者を探そうと考えた。すると、アーナンダに出会
った。彼らはそこに来た理由と、レーヴァタやサーリプッタから望みの
説法を聞けなかった次第を説明した。

アーナンダは折衷案を試み、やさしい言葉で短い説法をした。それでも
彼らは満足せず、とうとうブッダのところへ不平を訴えに行った。



次回につづく


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テーマ:仏教・佛教
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
「八風吹いて そのままに月」
「八風吹いたら吹きまくる 見え隠れの月」
ですか・・・

「八風吹け吹け 吹き晒しの月」
「八風吹動々 隠れたままも月は月」
どれもいまいちですね

「八風吹いて そのままに月」




夏目漱石の最晩年のことばに「則天去私」があります。
小さな私を去って自然にゆだねて生きること。

これも悟りの境地の言葉でありますね。
創作上、作家の小主観を挟まない無私の芸術を意味
したものだとする見方もあります。

「自然に従うて、私、即ち小主観小技巧を去れ」


やまんばさん同様話は脱線しますが、
夏目漱石の造語には驚かされます。

「新陳代謝」「反射」「無意識」「価値」「電力」「肩が凝る」
等は夏目漱石の造語なんだそうです。

特に「肩凝り」と呼ばれるものは日本人特有の症状であり、
外国ではあまり知られていない。漱石が「肩が凝る」という言葉を
作ったがために、多くの日本人がこの症状を自覚するようになった
と言われます。

知人のイギリス人に聞いたところでは、イギリス人は肩が凝らない
そうです。


2008/10/04(Sat) 19:36 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
八風吹けども動かず・・・・
「八風吹けども動かず 天変の月」でしたよね。
すぐに忘れて、
「八風吹いたら吹きまくる 見え隠れの月」

しかし、以前と比べては、時々は名月らしき月かな?に出会えるようなこともあるようになりました。お蔭様です^^^^
 
話は脱線しますが、先日カボチャをニ種類いただきました。一つはよくみかけるのですが、もう一つは見たこともないカボチャでした。冬瓜のような形で一応シンデレラの馬車になったカボチャのような、凹凸があるのです。外はつるっとして濃い緑色、中は淡いオレンジでした。いとも簡単に包丁が入り、いただいた方から、煮てもおいしくないと言われていたので、やまんばは蒸してみました。蒸しあがったので鍋の蓋を開けると・・「うん?この匂いは、と・う・が・ん?」そうです。どうみても冬瓜とカボチャが結婚したとしか思えないのです。いただいた方に聞いてみると、その畑には、やはり前の年には冬瓜がなっていたそうです^^蒸したカボチャは団子の粉がなかったので、片栗粉を多めにいれ、熱湯でゆであげ、きな粉につけて団子で食べたら、けっこうおいしかったです。^^^

あ~~~、天変の月から、団子に話が脱線していくやまんば、悟りにはほど遠いですが、まっ、 いいか!

天風の月は「全ての人を照らしてくださっている」でしょうから。
2008/10/04(Sat) 10:26 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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