2008年10月03日 (金) | Edit |
H. サダーティッサ著 桂紹隆・桂宥子訳「ブッダの生涯」立風書房より(44)


パセーナディ王に与えた忠告を告げると、
王が食事をとるときにはいつもそれを注意するよう王子に頼んだ。
皿に残った最後の一握りの飯を王が食べようとするとき、
王子は彼をとどめて、ブッダの忠告を思い出させる。

次の食事には先ほど残されたのと同量の飯を用意することにした。
王は一生懸命これに協力した。事実、ブッダの忠告を注意されたとき
には、千枚の金貨を施して、自分の大食を罰しさえした。

やがて王は米の量を一日に一なべほどに減らした。この節制によって、
元気で細身の男に変身した王は、感謝の言葉を述べにぶっだのところ
へやって来た。


「やっとふたたび幸せになりました。またもと通り狩に出かけて、野生
の動物や馬をつかまえることができます。以前、甥とはけんかばかりし
ていましたが、今では、大変仲よくなって、娘を嫁がせたほどです。

それから、昔失くした貴重な宝石がうれしいことにみつかって、もどっ
てきました。さらに、あなたがたともっとお近づきになるために、あな
たのご親戚のお嬢様をひとり私の身内に加えました。そのことをとても
喜んでおります。」

調和のとれた食事療法の第一人者になったパセーナディ王は、公正な判
断を説くための逸話にふたたび登場する。次の話は、精神的に円熟した
人のもつ中庸・良識・自制という性格が、人間のあらゆる行為にあては
まり、全人格の基礎となるべきことをよく示している。

ある日ブッタを訪れたパセーナディ王は、一団の苦行者が道を歩いてい
るのを見た。当然のことながら敬意をこめて、王は立ち上がり恭しくあ
いさつした。彼らが通り過ぎた後、ブッダを振り返ってたずねた。

「あの苦行者の中に、聖者と呼べる人が誰かいたでしょうか。」
この少し無邪気な質問に、ブッダは、情欲の生活にとらわれ、財産に心
を奪われている俗世の人間が、そのような判断を下すのはむずかしいこ
とだと指摘した。彼はさらに続けた。

「ひとりの人とじゅうぶんに、しかも長い間接してはじめて、その美点
を知ることができます。それは決してとっさに見出されるものでもなく、
愚者が知ることもできません。ただ賢者にのみわかるのです。

長くつき合って、はじめて他人の誠実さを判断することができます。
困ったときに、はじめて他人の忍耐強さがわかるものです。そして、人
と交わるとき、いろいろな話をして、はじめてその人がどのくらい賢明
であるか言うことができます。」

ブッダは、人を評価する超能力をもっているなどとは言いはしなかった。
彼の判断は、経験、円熟、とりわけ、自覚の結果であった。自分自身が
話題になった場合でさえ、賞賛と批判に対していつものように調和のと
れた態度を示した。

あるときブッダは一団の僧とともに旅をしていた。




次回につづく


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ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
問題は食べ過ぎ
「大王よ、問題は食べ過ぎでしょう。食べては寝てばかりいて、豚の
ようにうごめき回る怠け者は、必ず苦しむことになる愚か者です。」

「食べ過ぎの怠け者」に関しては、まるで私に言われた言葉のようで
あります。もっともこの件に関しては現代日本人の半分以上の人に
当てはまりますですね。

そして、
「大王よ、食事においても中庸を保つのがよろしい。そうすれば満足
があるでしょう。食事をひかえめにする人は、若さを保ち、いつも
健康です。」


「食事においても中庸を保つのがよろしい」などと簡単に仰いますが
そもそもこの「中庸」は中国のことばですよね。
仏教は「中道」を説いているわけですから、どうなのでしょうか。

「中道」
中国で説かれた中庸と同一視されることもあるが、厳密には別のものである。
中庸の「中」とは偏らないことを意味し、「庸」とは易(か)わらないこと、
と説明されている。中道の「中」とは偏らないことを意味し、
「道」は修行を意味するとされる。

中庸にしても、中道にしても我々凡夫にはなかなか難しいことであります。
どちらにしましても「食べ過ぎ」はやめましょう。トホホ





2008/10/03(Fri) 18:19 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
おはようございます。
今朝も気持ちのよい朝です。
昨日のブログは「中庸」のことが書かれていました。美食家の王様がバケツ1杯の飯と同量のカレーを食べるとかかれてあるのを、やまんばは想像して、気分が悪くなりました。なぜならば、やまんばも北海道フェアーで手に入れた「かりんとう」を食べ過ぎて、胃が弱っていたからです^^
{あらゆる欲望の自制}・・・節制・・むつかしいです^^あと、もう、ちょっと。ここで(きちんと止める!)

今日は公正な判断についてかかれてありました。
「情欲の生活にとらわれ 財産に心をうばわれている俗世の人間はむつかしい」あれまあ・・やまんばは財産はなくとも、目先の絵の具や筆、紙代を今月どう捻出するかで頭の中が計算で忙しいから、公正な判断はできない!あまり大きな行動を起こさないほうが身のためのようです^^^^
2008/10/03(Fri) 08:07 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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