2008年10月02日 (木) | Edit |
H. サダーティッサ著 桂紹隆・桂宥子訳「ブッダの生涯」立風書房より(43)


ブッダの良識と日頃の親切心は、彼自身の苦行の体験を反映する、
短いが感動的な逸話に示されている。

ある日、ブッダとその一行は、アーラヴィーの住民たちに招待
された。ブッダの説法を聞きに行こうと思った人びとの中に、
ひとりの貧しい農夫がいた。

ところが、出かける日の朝、雄牛が一頭いないのに気がついた。
ブッダの話を聞きたいという願いと、雄牛への気がかりとの
板ばさみになった農夫は、後から集会に加わるつもりで、
朝早く牛を探しに出かけた。


しかし、牛を見つけて群れにもどしたときには、夕刻近くになって
いた。一日じゅう何も食べていなかったが、すでに遅かったので、
農夫はまっすぐ集会に向かった。

一方ブッダたちは、アーラヴィーの人びとに食事を供せられた後、
いつものようにブッダが説法によって、感謝の気持を示そうとする
ところであった。このとき、農夫は到着した。

疲れ果てて、弱々しい哀れな男が目の前に立っているのを見つけて、
ブッダは主催者のひとりに、彼の席を見つけ食べ物を与えるよう頼
んだ。農夫が食べ終わるとはじめて、ブッダは説法に入り、農夫は
それを一生懸命聞いた。

そのとき居合わせた僧の中には、たったひとりの男、しかも遅れて
やって来たみすぼらしい農夫にブッダが気を配るのに、まゆをひそ
める者もあった。

彼らは集会の後、自分たちには納得できないブッダの行動に不平を
もらしたが、それを聞いてブッダは説いた。

「もしこの男が飢えに苦しんでいる間に説法したら、私の言うこと
を理解できなかったでしょう。飢えの苦しみほどつらいものはあり
ません。」

しかし、ブッダは中庸を勧めても、決して放縦を許したわけではな
かった。それどころか、中庸とは自制、すなわち苦行したいという
欲望をはじめとして、あらゆる欲望に自制を意味していた。

コーサラの国王パセーナディは美食家であった。彼のご馳走という
のは、バケツ一杯の飯と同量のカレーである。

ある日、いつものように朝食をとると、王は眠くなったが、そんな
に早くから居眠りするわけにもいかず、ブッダが滞在していたジェ
ータヴァナ僧院へ散歩に出かけた。疲れた顔でブッダのそばにどさ
りと腰をおろした王は、眼をあけているのもやっとであった。

「大王よ、どうしたのですは。昨夜はよく眠れなかったのですか。」
とブッダはたずねた。
「尊者よ、そんなことはありません。食事のあとはいつもこんなふう
になるのです。」と王は丁重に答えた。

「大王よ、問題は食べ過ぎでしょう。食べては寝てばかりいて、豚の
ようにうごめき回る怠け者は、必ず苦しむことになる愚か者です。」
さらにブッダは続けた。

「大王よ、食事においても中庸を保つのがよろしい。そうすれば満足
があるでしょう。食事をひかえめにする人は、若さを保ち、いつも
健康です。」

しかし、哀れなパセーナディ王は、自分で自分をしつけることができ
なかった。ブッダは王の甥のスダッサナ王子を呼んで、援助を求めた。

パセーナディ王に与えた忠告を告げると、王が食事をとるときには
いつもそれを注意するよう王子に頼んだ。皿に残った最後の一握りの
飯を王が食べようとするとき、王子は彼をとどめて、ブッダの忠告を
思い出させる。

次の食事には先ほど残されたのと同量の飯を用意することにした。
王は一生懸命これに協力した。事実、ブッダの忠告を注意されたとき
には、千枚の金貨を施して、自分の大食を罰しさえした。

やがて王は米の量を一日に一なべほどに減らした。この節制によって、
元気で細身の男に変身した王は、感謝の言葉を述べにぶっだのところ
へやって来た。



次回につづく


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テーマ:仏教・佛教
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