2008年09月23日 (火) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(54)


弟子 神の探究は、遥かな昔からずっと続けられてきました。
究極の言葉は語られたのでしょうか?

マハリシ (しばらくの間、沈黙)

弟子 (当惑して)シュリ・バガヴァンの沈黙を、お答えと
考えるべきでしょうか?

マハリシ そうだ。マウナ(沈黙)はイシュワラ・スヴァルーパ
(神の自己)である。それゆえ聖典は「至高のブラフマンの真理
は、沈黙の言葉によって現わされる」と言っている。


弟子 仏陀は、神に関するそのような質問を無視したと言われて
います。

マハリシ そして、それゆえに彼はシュンニャ・ヴァーディン
(虚無主義者)と呼ばれた。事実仏陀は、神その他についての議論
よりも、求道者に、今ここにある至福を指し示すことの方にかか
わっていた。

弟子 神は、明らかなものとして、および明らかではないものと
して述べられています。前者としては、神はその一部として包含
していると言われています。

もしそうであるなら、その世界の一部としての私たちは、彼を眼
に見える姿で容易に知っているべきであります。

マハリシ 神や世界の本質を決めようとする前に、あなた自身を
知りなさい。

弟子 私自身を知ることが、神を知ることを意味するのでしょうか?

マハリシ そうだ。神はあなたの内にある。 

弟子 私自身、つまり神を知る道にはどんな障害がありましょうか? 

マハリシ あなたのさまよう心と、間違った道とがある。

弟子 私は弱い生きものです。しかし、内なる主の超越的な力は、
なぜその障害物を取り除いてはくださらないのでしょうか?

マハリシ いや、もしあなたがそう願えば、そうしてくださるだろう。

弟子 主はなぜ、私の内にその願いを起こしてはくださらないので
しょう?

マハリシ そう願うのであればあなた自身を棄てよ。

弟子 私自身を棄てれば、神への祈りの必要は何もないのでしょうか?

マハリシ 放棄そのものが、力強い祈りである。

弟子 しかし、自分自身を放棄する前に、主の本質を理解する必要が
あるのではないでしょうか?

マハリシ あなたが、神はあなたがしてほしいことを為してくださる
と信じるなら、あなた自身を彼に放棄せよ。さもなくば、神のことは
さておき、あなた自身を知るがよい。



次回につづく


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ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
青い鳥
二人兄妹チルチル、ミチルが夢のなかで過去や未来の国に、
幸福の象徴である青い鳥をさがしに行くが、
結局のところそれは自分たちに最も手近なところにある、
鳥かごのなかにあったというお話。

作者のモーリス・メーテルリンクは、「青い鳥」で1911年に
ノーベル文学賞を受賞。一度読んだことがありますが、
結構複雑で難解であったように思います。


メーテルリンクは「死後の存続」という本も出していまして、
死後の世界の研究も相当になさったようです。


死をまだ解明されていない未知の生の一形態と見なし、
誕生を見る目と同じ目で見られるようになろうではないか。
そうすれば、すぐにも新しい生命を迎える歓びにあふれた期待を
死に対しても抱けるようになり、
生と死は墓地の踏み段に
仲良く腰掛けられるようになるだろう。  

無限がわれわれを包容しているように、
われわれも無限を包容している。
無限の息吹は、われわれの呼吸であり、
その目的はわれわれの目的でもある。
人間は自らのうちに無限の存在の全神秘を担っており、
あらゆる点でそこに関与している。

モーリス・メーテルリンク【死後の存続】より


ラマナ・マハリシ(1879年12月30日 - 1950年4月14日)
モーリス・メーテルリンク(1862年8月29日 - 1949年5月6日)

お二人はほとんど同時代を生きていたのに出会うことはなかった。
もしメーテルリンクがマハリシに出会っていたらもっともっと
深い内容の本を書くことが出来たでしょうにねえ~


メーテルリンクは語ります。

「私にとっては、限られた間だけのものではなく、
永遠に変わらぬものだけが重要なのだ」と。

時を超えて、生死を超えて「永遠に変わらぬもの」が
あなたの内にある、とマハリシは答えています。





2008/09/23(Tue) 19:50 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
幸福を求める旅
{神・・自己}を求めてさまようのは、青い鳥を探していく道と同じなのですね。
「今・ここに在る」 私という存在そのものが捜し求めている(何か)そのものなのですね。
それを発見していく旅そのものが、幸福なんだなあと思いました。
私が私であること
その、本当に当たり前の事実。
その中にいて、なにげなくいただく1杯のコーヒー
何者でもなく また何者にでもなれる私。
もう遠く彷徨うこともなく、自己と分裂しているような不安に苛まれることもないのですね。

青い鳥は私と共にいる。

恋焦がれるような自己への長い旅でしたが、これからは何事もなかったかのように、普通に生活していき、
神秘や不思議に満ちた(神・・自己)をみつめ続けていこうと思いました。

ろくろくさん、昨日は小さいころのろくろくさんを伝えていただき、ありがとうございます。
鮎男さんという名前になっていたかもしれない・・
それもいいですねえ^^
ジプシーのように引越しされたのですね。いろんな角度で物事をみたり、冷静に判断されたり、人にやさしいのは、そういう環境から自然に身につかれたのでしょうか。タイムカプセルにのって、缶けり、かくれんぼなど一緒に遊んだような気持ちになりました^^ありがとうございました。
2008/09/23(Tue) 09:02 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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