2008年09月22日 (月) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(53)


川の土手で泣いている男たちを見て、同情した旅人がその原因を
尋ねた。彼らは起こったことを述べて、何度も何度も数えてみた
が九人しか見つからないと答えた。

その話を聞き、しかし、眼の前に十人全部を見ている旅人には、
どうしてそうなったのかがわかった。

彼らは実際に十人おり、全員無事に川を渡ったことを教えるため
に、旅人は言った。

「あんたたちみんなが確かに数の中に入っていて、しかも一回だ
けしか数えられないようにするために、あんたたち一人一人をな
ぐるからね。


そうしたら、なぐられた人は順番に一、二、三、……と数を言って
おくれ。そうすればきっと『いなくなった』十人目の人がみつかる
よ。」男たちは「いなくなった」仲間がみつかりそうなので、大喜
びで旅人が提案した方法を承知した。

親切な旅人が、十人の男たちを順番に一人ずつなぐると、なぐられ
た男は大声で自分自身を数えた。最後の男の順番が来て殴られたとき、
「十」と言った。彼らはびっくりしてお互いに顔を見合わせ、「十人
いるぞ」と声を合わせて言い、旅人に、悲しみを取り去ってくれたこ
とを感謝した。

これは寓話である。どこからその十番目の男が出てきたのか。彼は
そもそもいなかったのか。彼がその間ずっとそこにいたことを知って、
彼らは新しく何かを学んだだろうか。

彼らの嘆きの原因は事実ではなく、十人のうちの誰もいなくなっては
いなかった。九人しか数えられなかったので、彼らの内の一人がいな
くなったと思いこんだのは彼ら自身の無知のせいであり、むしろ仮定
にすぎないものであった。

これはまた、あなたのことでもある。本当は、あなたがみじめで不幸
であるべき理由は何もない。あなたは自分で、本来無限定の存在であ
るあなたの性質に制限を課してしまっている。

そして自分が限定された生きものにすぎないことを泣いている。あな
たは、そのありもしない束縛を越えるために、どんな方法でもいいか
らサーダナ(修行)をしなさい。

けれども、あなたのサーダナそのものが束縛性を帯びているなら、
束縛を越えることなどできるものではない。

私がこう言うのだから、あなたは本当は無限定の純粋な存在であり、
絶対の自己であると知りなさい。あなたはつねにその自己であり、
自己以外の何ものでもない。

それゆえに、あなたは、本当はけっして自己について無知ではありえ
ないのである。あなたの無知は、単なる形式上の無知であり、いなく
なった十人目の男についての愚かな者と同じような無知である。歎き
をもたらしたものは、この無知である。

真実の知識とは、あなたに新しい存在を作り出すのではなくて、
ただあなたの「無知な無知」をぬぐい去ることであると知りなさい。

至福は、あなたの本性につけ加えられるものではない。
それはただあなたの真実で自然な状態として、
永遠で不滅の状態としてあらわれる。

あなたの歎きを乗り越える唯一の道は、
自己を知り自己であることである。
どうしてこれが到達不可能なことだろうか。



次回につづく


↓↓↓あなたの応援↓↓↓(1日1クリック)お願いします。

にほんブログ村 哲学ブログへ人気blogランキング精神世界 ランキング



スポンサーサイト
テーマ:宗教・信仰
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
永遠で不滅の目撃者
深い慈しみの中に包まれて
今日出来ることをやっていけばよいのです。

腹が立ったら、腹を立てている自分を目撃する。
嬉しくなったら、嬉しい自分を意識する。

泣きたくなったら、泣きたくなったら、
そのまま泣けばいいし、
泣かないでいるのもわるくない、
あるがままを観照する。

このように泣いたり、笑ったり、怒ったりしているのは
本当の私ではない。本当の私は見られることはない。

本当の私は永遠で不滅の目撃者だが、目撃されることはない。



2008/09/22(Mon) 17:49 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
あゆお(鮎男)
私の小さい頃は、戦後間もなくという時代であったことから
本当に食べ物がなかったのです。

田舎なら食べるだけはなんとかなるということでもあり、
父の田舎に引越し、私はそこで生まれたのでした。

父の仕事はなかなか見つからず、教員に採用されるまでは、
近くの川で釣りをして、家族の飢えを満たしていたそうです。

鮎がよく釣れて、鮎をよく食べたことから、私の名前を鮎男
という名前にしようかとまでいわれたそうです。

ともかくなによりも子供のころはまるでジプシーのように、
引越しばかりしてました。学校や先生にもなれ、友達ができる
ころになると、別の地方に移転ということで、落ち着くことが
できなかったように思います。

缶蹴りや、かくれんぼ、凧揚げ、こま回し、ザリガニ獲り
フナ釣り。あのころは紙芝居や、金魚売のおじさんもいました。

朝には「なっと、なっと~」と納豆売りが来たり、豆腐も売りに
来てました。



2008/09/22(Mon) 17:16 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
はじめは笑い、あとは涙
おはようございます。
私が私をどうみているか・・よくわかる寓話でした。
最初のころは昔テレビでみた「三ばか大将」を思い出し、いつもの通り、映像が浮かんでおかしかったです。だけど、かつての自分を思い、涙しました。十人いるはずなのに、一人いない!

「あなたの嘆きを乗り越える唯一の道は、自己を知り自己であることである。」
自分をみつめること、そうして、長い間ピラピッドのように築き上げてきた「自分がこういう人間である」という「ありもしない束縛」から、ひとつずつ解放されていこう。
しかし、それは今ここにある。こうしてブログに書き込んでいってる^^
「涙君 さよな~ら~ * さよ~なら 涙君・・」ですね。

ろくろくさんにこうして毎日書き込んでいただき、何度も「見る」ことを繰り返すうちに、ぼんやりつかみどころのないものが、次第にはっきりしてきたように思います。
日常さまざまな現象が起きても、それは無限の鏡のような自己の湖にさざなみが立ったようなもの。

深い慈しみの中に包まれて、今日出来ることをやっていけばよいのですね。

ところで、ろくろくさんは小さいころ、どのような男の子だったのですか?どんな遊びをしておられたのですか?
差し支えない程度でよいですから、教えていただけませんか?サングラスをはずして事実をみることを学んでいるのに、こんなことを知りたいと思うのは逆さまですけど^^^棺のコメントがユニークでしたから、つい知りたくなりました。

2008/09/22(Mon) 09:32 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック