2008年09月21日 (日) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(52)


もしあなたがエゴを否定し、
それを無視することによって焼き尽くすならば、
あなたは自由になるだろう。

もしあなたがエゴを受け入れれば、
それはあなたに制限を課し、あなたを、
それを越えようとする空しいあがきの中に投げこむだろう。

これがつまり、泥棒がジャナカ王を「滅ぼそう」とし
たやり方である。

あなたが、本来はそれである自己であることが、
永久にあなたのものである至福を実現するための、
唯一の方法である。


弟子 自己のみが存在するという真理を実現しないで、
ヴィチャーラ・マルガ(探究の道)よりバクティ(帰依)やヨーガ
(結合)の道を、サーダナの目的により適切なものとして採用し
てはいけないでしょうか?

自己の絶対存在の実現、つまりブラフマ・ジュニャーナは、
私のような俗人にとっては、まったく達成不可能なものでは
ないでしょうか?

マハリシ ブラフマ・ジュニャーナは、それを得て人が幸福に
なるような、得られるべき知識ではない。ブラフマ・ジュニャ
ーナをあきらめるというのは、無知の外面上のことである。

あなたが知りたいと求めている自己は、他ならぬあなた自身なの
だから。あなたの装われた無知は、けっしていないわけではない
十人目の男が「いない」のを嘆いている、あの愚かな十人の男た
ちのように、必要もない嘆きをあなたに起こさせている。

寓話の中の十人の愚かな男たちが、川の浅瀬を渡って向こう岸に
着いたとき、全員が無事に渡ったかどうか確かめようとした。
十人のうちの一人が数えはじめたが、他人ばかり数えて自分を
数えるのを忘れてしまった。

「九人しかいない。こりゃ確かに一人いなくなった。誰がいなく
なったのだろう?」彼は言った。「お前ちゃんと数えたのか?」
もう一人が言って、自分でも数えはじめた。しかし彼も九人しか
数えられなかった。

こうして次々と十人が数えたが、いずれも自分自身を抜かすので
九人しか数えられなかった。「おれたちは九人だ」全員で一致し
た。「しかし、誰がいなくなったのだろう?」彼らは彼ら自身に
問うた。

どんなに努力してみても、その「いない」男を見つけることがで
きなかった。「誰だかわからないが、溺れちまった」十人の中の
最も感傷的な男が言った。「あいつがいなくなっちまった。」
そう叫ぶと彼はわっと泣きだし、残りの九人もそれに続いて泣き
だした。

川の土手で泣いている男たちを見て、同情した旅人がその原因を
尋ねた。彼らは起こったことを述べて、何度も何度も数えてみた
が九人しか見つからないと答えた。

その話を聞き、しかし、眼の前に十人全部を見ている旅人には、
どうしてそうなったのかがわかった。



次回につづく


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